<グーグルロゴ>(211)「津田梅子を称えて」
11月
10日
<津田梅子>は、〈1864年12月31日(元治元年12月3日)〉に生まれ、〈19298月16日年(昭和4年8月16日)〉に64歳で亡くなられた、日本の教育者です、日本における女子教育の先駆者と評価されています。女子英學塾(のちの津田塾大学)の創立者として有名で、2024年(令和6年)上半期を目処に執行される予定の紙幣改定に於いて、 五千円紙幣に<梅子>の肖像 が使用されることが決まっています。
さて、<梅子>自身の誕生日でもなく没年月日でもない11月10日との関連はとなりますと、しばし<梅子>の人生を辿らねばならず、難問となりそうです。
<梅子>は、1871年(明治4)12月、欧米視察の「岩倉使節団」一行として横浜を出港しています。それは、北海道開拓使が募集した日本最初の女子留学生5人のうち最年少の満6歳でした。一行を乗せたアメリカ丸は翌1872年(明治5)1月サンフランシスコ着、<梅子>がシカゴを経由してワシントン近郊のジョージタウンに住む<ランマン>夫妻の家に預けられたのは、日本を発ってから70日後のことでした。
1873年(明治6年)7月13日、キリスト教の洗礼を受けています。
帰国後、<伊藤博文>の勧めで華族女学校の教授をするかたわら、自分自身の学校をつくる夢を持ち続け、ついに再度アメリカのブリンマー大学へ1889年留学~1892年 (明治25年)8月に帰国。再び華族女学校に勤めます。
ブリンマー大学で質の高い少人数教育を受けた経験が、その後の<梅子>の教育観へとつながってゆきます。
そして1909年9月14日、「女子英学塾」を開校、塾長となり、華族平民の別のない女子教育を志向して、一般女子の教育を始めます。
と、<梅子>の人生を駆け足で辿る過程で見つけました。どうやら1915年(大正4年)11月10日 に「 勲六等宝冠章」を授与されているのを称えてのロゴの変更のようです。
投稿日 2020-11-10 10:53
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2020-11-10 16:24
ワオ!と言っているユーザー