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<グーグルロゴ>(163)「アンナ・メイ・ウォンを称えて」

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本日の<グーグルロゴ>は、ハリウッドで成功した初の中国系アメリカ人女優で、東洋人独特のミステリアスでエキゾチックな容姿で、ファッションリーダーとしても注目を集めました「アンナ・メイ・ウォンを称えて」です。

<アンナ・メイ・ウォン>(1905年1月3日~1961年2月2日)は、1919年、デパートで働いていたときに、「The Red Lantern:紅燈祭(こうとうさい)」という映画で300人の女性エキストラを募集していることを知ります。友人の紹介もあり、ノンクレジットながらも重要な役のエキストラを演じました。これがデビュー作となります。それから2年間、学業と並行しながら、エキストラとしていくつかの映画に出演。1921年に、高校を中退し、女優としてやっていくことを心に決めます。

1921年に出演した「Bits of Life」で初めて女優としてクレジットに名を連ねました。1922年、17歳で「The Toll of the Sea:恋の睡蓮」の主演に抜擢されました。(この映画はハリウッドで2番目のテクニカラーの映画でした。)

「The Toll of the Sea:恋の睡蓮」は、「1922年11月26日」に、ニューヨーク市のリアルト劇場で初演され、「1923年1月22日」に一般公開されました。この一般公開日に合わせてロゴが変更となっているようです。

1924年、「The Thief of Bagdad:バグダッドの盗賊」に出演したことで、一気に人気が高まります。それから、出演の依頼は増えていきますが、当時のアメリカでは東洋人に対する偏見などもあり、同じような役(妊婦・売春婦・奴隷・メイド)などの役柄ばかりが与えられました。

また、当時は法律で異種族間の恋愛や結婚が禁止されており、映画業界でも異種族間の恋愛表現は倫理規定で禁止されていたので、中国系アメリカ人の彼女が演じる役は限られたものとなっていました。
1928年、彼女はハリウッドから離れ、ヨーロッパへと活動の拠点を移します。
1929年、「Piccadilly:ピカデリー」に出演し、主演ではありませんでしたが、大きな評価を得て、ヨーロッパでも人気女優としての地位を確立します。

ヨーロッパでの映画出演や舞台での活躍が評価されはじめると、再び、アメリカから出演依頼が届くようになり、1930年、アメリカへ帰国し、ブロードウェイの舞台へ出演。好評を博します。そのままハリウッド映画へ再出演を果たしますが、映画界は以前とは変わっておらず、以前と同じような役ばかりが与えられました。

1931年、「マレーネ・ディートリヒ」さん主演の「Shanghai Express:上海特急」等の数本の映画を除いては、ヨーロッパとブロードウェーでの舞台を中心に活動を行い、また、ファッションリーダーとしても、1938年にアメリカの「Look誌」は、彼女を「The World’s most beautiful Chinese girl:世界で最も美しい中国人女性」と称しました。

<アンナ・メイ・ウォン>は死後に再評価が進み、1960年には、「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」に彼女の名前が刻まれました。1961年に心臓発作で亡くなっています。
#ブログ #芸能 #記念日

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