<グーグルロゴ>(149)「ジョゼフ・プラトー生誕218周年」
10月
14日
リエージュ大学へ進学し、物理学を学び、1827年に、ブリュッセルで数学の教師となりました。
1928年、イギリスの医師<ピーター・マーク・ロジェ>さんが提唱した「残像効果」に興味を持ちます。「残像効果」とは、回転する車輪が 一定の速度で回転していると、止まって見えるという視覚現象です。1829年、この「残像効果」に関する研究の論文で博士号を取得。論文は、たった27ページでしたが、その内容は、回転による視覚の歪みなどを数学的な観点から説明したものでした。
この研究を元に、1932年、円板に絵を描き、それを回転させ、スリットから覗き込むことで、絵が動いているように見えるのではないかというパラパラ漫画の円盤版アイデアを思いつきました。
そして、2枚の円盤で構成された装置を生み出します。1枚は視聴者が見るための窓のあり、もう1枚が連続する絵が描かれていました。
2枚が反対方向に正確な回転数で回転すると、「残像効果」により視聴者には動画が見えるというものでした。最初の円盤にはダンサーが描かれていました。
この装置は、1933年に「フェナキストスコープ」として紹介されました。これは、のちに映画の映写機の開発の元になりました。
この功績から、ベルギーの国際映画祭には、彼の名を冠した「ジョゼフ・プラトー賞」が設けられています。
1835年、ゲント大学の物理学の教授となりますが、1843年頃、光の研究で、太陽光を直視したことにより、失明してしまいます。失明後は、視覚を感覚で印象的に捉えるなどの研究も行いました。
「フェナキストスコープ」以外でも、晩年の1873年にシャボン玉の膜を使い「空間内に与えられた一つの閉曲線で囲まれた曲面のうち最小の曲面を求める」という実績も残しており、これは「プラトーの問題」として、現在も広く数学界、物理界で用いられています。