<グーグルロゴ>(49)「マリア・ライヒェ生誕115周年」
5月
15日
ドイツのドレスデンに生まれ、ドレスデン工科大学で数学や天文学を学びます。また、語学も堪能であり、5ヶ国語を話すことができたといいます。
語学堪能なことが幸いし、ペルーの首都リマで語学教室や、翻訳などの仕事も行いました。1937年、リマの国立博物館で働き始めます。
この頃、第二次世界大戦が勃発、母国のドイツはその中心であり、彼女はドイツに帰国しない決意を固めました。博物館で働いていた時に、アメリカの考古学者<ポール・コソク>さんと知り合い、ペルーの盆地に不思議な形をした線がたくさんあることを聞きます。
<ポール・コソク>さんは、古代の灌漑研究が専門であり、その線が農地の用水などに使われていた跡なのではないか?? と予測しました。
ここで、彼女の数学者としての知識が活かされます。彼女に不思議な線の測定を頼み、助手として一緒に研究を始めました。不思議な線を測定しては地図作成をし、一帯の地図を作成。その結果、不思議な線は、現在では「ナスカの地上絵」として知られている、様々な「絵」で構成されていることが解りました。(1946年頃までに18種類の動物や鳥が描かれていることを確認)
「ナスカの地上絵」が<ポール・コソク>さんにより発見されたのは、「1939年」と比較的近年のことです。更にペルーの空軍の力を借り、上空からの写真調査も行い、全容解明に努め。彼女は、絵は、暦や天体測定に利用されていたという説を展開。
現在では、科学も発展し、様々な観点から調査が行われていますが、絵の描かれた目的などは未だに不明となっています。
彼女は、その死に至るまで、ペルーに在住し、「ナスカの地上絵」の研究に生涯を費やしました。