< 碑を守るように、祠が作られています >
<監物太郎頼賢>は、中納言<平知盛>(平清盛の四男)の家臣でした。
『平家物語』によりますと、寿永3(1184)年2月7日、源平一ノ谷の合戦で活躍した<監物太郎>は、主人の<平知盛>とその嫡男<平知章>の3人で海へ逃げようとしていました。その途中、源氏方の児玉党との戦いになり、主人<知盛>を逃がすべく、<監物太郎>は<知章>共々討死しますが、その間に名馬<井上黒>が海を泳ぎ切り、<知盛>は味方の舟まで逃げ延びることができました。
『摂津名所図会』によりますと、江戸時代の享保年間に<並河誠所>が諸国行脚の途中、討死した地:長田区「明泉寺」に立ち寄り、<監物太郎>の忠義を称え顕彰するために、西国街道近くの現在の地に碑を移したとされています。
膝を射やれた<監物太郎>にちなみ、<碑>は腰から下の病を救う霊験があるとされ、2005年3月に「神戸市地域史跡」に認定されています。
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投稿日 2016-02-07 11:42
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2016-02-07 11:46
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