《眼福(267)“私的紅葉・黄葉前線(2)!?!”❖21-327》

箱根山中の黄葉には少し早かった... 箱根山中の黄葉には少し早かったが、自然・野生環境な雑木林。
野生林(左側)と右側のすこし整... 野生林(左側)と右側のすこし整備された林の違いが散策していて感じた。
微妙な変化がみてとれた。 微妙な変化がみてとれた。
《Wind Wood》空間と環... 《Wind Wood》空間と環境。
この風情に“サウンド・インスタ... この風情に“サウンド・インスタレーション”を体験した。
天を仰ぐと音色がおりてくる。... 天を仰ぐと音色がおりてくる。
《”箱根山中・ポーラ美術館(2)” 》
自然と人が手がけた造形。ふたつがひとつになり、凛とした時間が流れる。
造形と云う「響き」、森で耳を澄ます”スーザン・フィリップスのサウンド・インスタレーション。
ポーラ美術館の森の遊歩道に国際的に活躍するアーティスト、スーザン・フィリップス
(Susan Philipsz)のサウンド・インスタレーション《Wind Wood》をコレクションに加えた由。
2019年に開催された企画展「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」に際して、
美術館屋外の「森の遊歩道」で展開されたもの、その再演公開、とパンフで知った。
清々しい鑑賞空間に作家自身の幻想的な音色と自然を感受したいと出掛けた。
《Wind Wood》、室内や屋外に音を響かせることでその空間や環境を新たに体験させる、
これらをサウンド・インスタレーションと称し作品化する事で知られるアーティスト。
上手く表現出来ないが、芸術・・表現、情感は、微妙かつ繊細、孤独の空間!!
自然自体が、紅葉・黄葉が、音と共に一瞬・同化する。言葉に表現できない空間。
面白い自然鑑賞方法“造形”と凡人感覚で楽しんできた。
「令和参年(皇紀2681年)11月23日、記」
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《眼福(266)“私的紅葉・黄葉前線(1)!?!”❖21-326》

ポーラ美術館入口への道(画面右... ポーラ美術館入口への道(画面右に進むと館入り口)。
駐車場の左側1帯が、庭園。 駐車場の左側1帯が、庭園。
美術館入り口への道脇、オブジェ... 美術館入り口への道脇、オブジェと樹に付いたキノコ(種は不明)。
正面に見えるのが美術館本館。 正面に見えるのが美術館本館。
山上での紅葉は、静寂の中で我々... 山上での紅葉は、静寂の中で我々の心を癒やしてくれてた。
《眼福(266)!?!”❖21-324》

《”“箱根山中・ポーラ美術館(1)” 》
箱根山中には、色々と個性を持った美術館が点在する。
黄葉・紅葉を見事に魅せる庭園が、幾多にもあって一日では回れない。
ゆっくりと散策、堪能したいからだ。前回は、色に拘って散策した。
今回は、“自然環境”に拘って散策したいと訪ねたのが“ポーラ美術館”。
美術館のホームページには、「アートの森で、響きあう。
私たちの美術館は、
箱根の国立公園にとけこむように立っています。
手つかずの自然と、人が手がけた造形。
ふたつがひとつになり、凛とした時間が流れる。
モネ、ピカソ、フジタ・・・そして現代の作家たち。
化粧道具や工芸品、その数は10,000点におよびます。
ひとつの作品から、ひとりひとりの感性へ。
アートが持つ力をありのままに届ける。
響きあうためのキュレーションとともに。
都市の美術館にないものを。POLA MUSEUM OF ART」、と謳われている。
「令和参年(皇紀2681年)11月22日、記」
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《眼福(255)“懐かしき場所・懐かしき絵!?!”❖21-315》

《眼福(255)“懐かしき場所...
観音崎灯台か。 観音崎灯台か。
こんな雰囲気の場所、アトリエ近... こんな雰囲気の場所、アトリエ近くにもあったような!?!
横須賀美術館に併設しているレス... 横須賀美術館に併設しているレストラン。画像左側。
レストランから真正面に見えるの... レストランから真正面に見えるのは、東京湾・・その向こうは、千葉県の富水市辺り。
レストランのパンフレット!!... レストランのパンフレット!!




《”横須賀・鴨居・観音崎2021/11/07!?!” 》
"谷内六郎”さんの名を聞くと、「週刊新潮」の表紙絵を描いておられた方。
描かれた、親しみある画風は、我々の心を魅了し続けた御仁であった。
天星するに早すぎた、と惜しまれる。その画伯の記念回顧展が開かれている。
横須賀美術館内に谷内六郎館があるが、改装中で本館で展覧されていた。
「特別展示:生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」
昭和31(1956)年に創刊された『週刊新潮』の表紙を創刊以来、飾り続けた足跡。
谷内六郎(1921-81)の原画数・約1300点余りが横須賀美術館に所蔵されている。
今回の展では、『週刊新潮』表紙絵をはじめ、戦後まもなく発行された漫画本、
兄が経営する「らくだ工房」で作られた染色作品、子どものための手作りオモチャ、
第1回文藝春秋漫画賞受賞の抒情的初期作品群、装丁本等、多彩な展示であった。
*       *       *       *       *
開催している横須賀美術館は、東京湾に面し観音崎灯台の近くに位置する。
又、後ろの緑の丘陵上に防衛大学校があり。最寄り駅は“馬堀海岸駅。
京浜急行の本線は、かつて馬堀海岸駅を通り浦賀駅が終点だった。
大津駅から久里浜駅が支線だった。後に三浦海岸駅まで延長している。
今は、こちらが本線となっている。だが三崎までは鉄道が行っていない。
かつて横須賀は、造船の町でもあって、浦賀ドックは、立派だった。
海軍基地の街、人口も其れほど多くは無かった頃、国立病院があり、
市立病院があり、私立の総合病院も2つもあった。半世紀も前のことだ。
横須賀の変貌は、70年安保頃が変わり目か?都市開発が始まった。
今の16号線沿いの海岸線(よこすか海岸通り)沿い住宅は埋立地上に建つ。、
馬堀海岸は、昔、大海水浴場で、走水は地元の人が行く静かな場所だった。
観音崎灯台の近く、開発された住宅地奥に谷内六郎さんのアトリエがあった。
昔を思い出す。親と植物観察に散策してる折、幾度かお会いした事があった。
アトリエは、今の横須賀美術館の裏手になる。画伯の庭みたいな所だ。
「令和参年(皇紀2681年)11月11日、記」




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《囈(51)“高性能デジタルカメラ!?!”❖21-314》

Nikon FとNikon Z... Nikon FとNikon Z9 ニコンの原点と最新機。
Nikon Z9 性能数値より... Nikon Z9 性能数値より実際にファインダーを覗き、扱ってみると驚く!!
職人技と言っても過言ではない。
《”職人感覚デジカメ・復活NIKON!?!” 》
一眼レフカメラの最高峰Nikon F。機能もさることながらデザインもまた素晴らしかった。
ピラミッド型ファインダーに象徴される直線を基本としたボディーラインは、當に工芸美。
ニコンFは、機能や堅牢性、ニッコールレンズの秀逸性も加味しプロに愛用されていた。
ニコンFは、フルメカニカルカメラ。メンテナンスも可能で道具として使用に耐える。
フィルムカメラからデジカメに移行すると、日本のプロ用機材群は世界を席巻する。
銀塩一眼レフではNikonが圧倒的だったが、デジカメ時代に入るとCanonが台頭。
報道写真界での使用分布での話。今は、個性豊かな機材が日本には色々ある。
そんな中、ミラーレス・フラッグシップ機としてNikon Z9が発表された。
4軸チルト式モニター、3D-トラッキング、最長125分の8K動画機能など搭載。
メカシャッター非搭載。このミラーレスカメラ「Z 9」、価格は税込70万円前後に由。
総画素数5,237万画素積層型ニコンFXフォーマットCMOSセンサー(35.9×23.9mm)を搭載。
3000万画素以上のミラーレスカメラで世界最速のスキャンレートと云う。
それによりローリングシャッター歪みを極限抑制。“メカシャッターの要らない構造に由。
自動焦点(じどうしょうてん)は、ディープラーニング技術を用いた被写体検出。
検出できるのはミラーレスカメラで世界最多という9種類もあるという。
人物(顔、瞳、頭部、胴体)、犬猫鳥(其々頭部、瞳、全身)、車、列車、飛行機の各所。
同社ミラーレスカメラで初めて「3D-トラッキング」を搭載している。AF演算は120回/秒。
ファインダー(EVF)は「Real-Live Viewfinder」の名前で、表示解像度は約369万ドット。
一眼レフでのミラーアップによる像消失がないだけでなく、メカシャッターも使わない。
連写の開始/終了時における同一画像のリピートやワープ(表示飛び)がない。
動画機能も充実、ゆっくり動く被写体、速く動く被写体もスムーズに追従する。
手ブレ補正は、ボディ内VR、シンクロVRのほかに、電子手ブレ補正も利用可能。
EXPEED 7エンジンの採用で性能が大幅に進化した由。仕様としては、D6を上回る。
外形寸法は約149×149.5×90.5mm。重量は約1,340g(バッテリー、メモリーカード込み)。
一眼レフカメラの「D6」と比べて約20%の小型化としている。
その他、各所に新技術・改良点が見られ、他メーカーのフラッグシップ機を上回る性能。
*      *      *      *      *
Nikon F(親所有)を持って先輩にモデル撮影会に連れていって頂いた(遥か昔のこと)。
その時のモデルさんの中に入江美樹(ベラちゃん)さんや長谷川照子さんがいた。
このお名前を知る人は、かなりの高齢だろうね!!
Fに135mmをつけて持参したが、メインはMinolta Autocordで撮った様に記憶してる。
Fは、殆どバッグの中に。懐かしく思い出す。
デジカメ時代に入って、ニコンは報道写真に余り登場しなくなって、と聞いていた。
自分では使っていなかったこの20年来だが、やはりNikon派の自分がいる。
そして我が仲間の報道写真家がバタバタと、天星、寂しいかぎりだった。
彼等は皆、Nikon派だった。 Nikkor 14mm~600mm迄借用して撮ったこともあった。
落ち込んでいた昨今だったが、Nikonが爆発した。驚くも嬉しい。やっぱりNikonだ!!
仲間の最長老は、ライカ一辺倒の人だ。僕は、フジとシグマ。
なんとか、私家版植物図鑑を作りたいが夢だ。頑張ろう!!

「令和参年(皇紀2681年)11月10日、記」



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《囈(50)“Coffee-break・・好みのデジタルカメラ”❖21-313》

《囈(50)“Coffee-b...
《囈(50)“Coffee-b...
《”こだわり・職人気質のデジカメ!?!” 》
フィルムカメラ時代から日本にも色々と楽しいマニアック仕様の機材はあった。
僕自身、山岳・植物・仏像等々、比較的静物を求めて撮り歩いてきた。
アナログ(フィルム)時代には、6☓6判を主に、時折大判カメラも使っていた。
フィルム代を考え、一枚入魂って・・・慎重に一枚一枚撮ったものだ。
デジカメ時代になり、フィルム代は不要になったが、センサーを使いこなせない。
最先端技術に全くついていけない。オート仕様にすれば良いのだが、、、。
アナグロで育ったものとしては、どことなくマニュアルフォーカス&露光に傾く!!
デジカメの中で殊更、拘ったカメラが“FUJIFILM X-Pro1・ 2・ 3"がある。
デジタル表示を見ながらダイヤルやファンクションボタンを駆使し操作する時代に、
フィルムカメラのようなアナログ的な操作系を採用し、クラシック的なカメラ。
『X-Pro3』は、レンズ交換式デジタルカメラの中でも特異な存在と思える。
デジタルカメラが進化するにつれ、様々な機能が備わってきて撮影者には便利だが、
何かを失いつつあるって感じる。操る楽しみ、詳細にセッテング、ワクワクする感覚。
写真を撮る道具として、便利・不便という観点に当てはまらないカメラ『X-Pro3』。
フラッグシップのテクノロジーが詰め込まれたカメラとも思う『X-Pro3』。
超個性的で全ての愛好家が好むものではないが、五感を研ぎ澄まして撮るカメラ。
道具としての『X-Pro3』、写真文化を支えてきたフジフイルムらしい素晴らしいカメラ。
同じフジフィルムからラージフォーマット中判デジタル機が身近になってきた。
先日発売された『FUJIFILM GFX 50S II』は、ボディ内手振れ補正機構を採用している。
高解像度による手振れにシビアな中判デジタル機の登場に驚く!!
先の『GFX 50S』は、中判カメラシステムをデジタル化させた機種で特筆したい。
今度の『GFX 50S II』はよりライトに使えるようミラーレス機として進化したと言えよう。
中判カメラの手持ち撮影は、手振れとの戦いであることは周知の事。
弱々しくある老人にとって、中判デジタル機を手持ち撮影できるカメラの登場に驚いた。
「令和参年(皇紀2681年)11月09日、記」
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《囈(49)“Coffee-break・独特な形のカメラ”❖21-312》

SIGMA dp0 Quatt... SIGMA dp0 Quattro。
dp0 Quattroで撮影。... dp0 Quattroで撮影。ピンぼけか手ブレか??
《”尖ったデジカメ!?!” 》
ここ数年、主に帯同しているデジカメはSIGMA dp0 Quattro。
SIGMA dp0 Quattro本体の形もユニークだが個性的なデジカメ。
而して、dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。
そのレンズ構成はまさに豪華絢爛。高性能レンズを使い超広角。
「ディストーションゼロ」歪み0.5パーセント。このレンズの凄味。
広角は周り周辺が歪むことは、当前。その概念を打ち砕いた。
foveonセンサーは、等倍にしても画像が鮮明、建築物撮影に適している。
更には、カラーモードも多種、RAW現像すると更に良い。
基本をマスターしていない。それなのに魅力的なデジカメが次々に出てきた。
dp0を使うにあったって、オートフォーカスではなく、マニュアルフォーカスで。
所が、ピンぼけばかりで・・・目の治療をしないといけないか???
それにもまして思うことがある。機材が軽すぎてブレるとおもえもする!?!
「令和参年(皇紀2681年)11月08日、記」

 



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《囈(48)“Coffee-break・・・デジタルカメラ”❖21-311》

NikonのCOOLPIX S... NikonのCOOLPIX S4。使い勝手が良かった。画像は、借り物。


NIKOND40 NIKOND40


SIGMA dp0 Quatt... SIGMA dp0 Quattro。超広角、35mm換算21mmレンズ仕様。
LCDビュウファインダー装着画... LCDビュウファインダー装着画像。
《”便利、自分で自由自在に加工できる写真!?!” 》
感光材(銀塩フィルム)の化学反応を用いたフィルムカメラ。
その仕様に取って代わった、便利で効率よい画像保存方法の登場!!
CCDやCMOS等の撮像素子やフォトダイオードによる光電変換する方法。
電気信号をデジタルデータ化し、メモリーカード等に保存する仕様。
それが、デジタルカメラ。従来のフィルムカメラは、好事家だけの宝物。
フィルムカメラ関連の事業は激減しているのが今の現状だろう!?!
レンジファインダー、一眼レフ型カメラを使ってきた者には、デジカメは???
細かすぎる仕様。色々な操作で独自の風合いが出せる利点はあるが!!
今後、どんな仕様になるのだろうか??望むは、簡単・シンプルで尖った機だ。
デジカメを最初に面白いと思い入手したのがNikonのCOOLPIX S4だった。
レンズ回転式構造をニコンでは「スイバル機構」と呼んでいた。
COOLPIX S4は、その機構を採用した10代目の機種。
1/2.5型の600万画素CCD、10倍ズーム、2.5型液晶モニター、単三電池駆動。 
次に手にしたのは、NIKOND40。デジカメ初心者向けで且つコンパクトカメラ。
重厚なNIKONにあって軽量化と新画像処理エンジン搭載、使い勝手が良かった。
今、最も愛用しているデジカメは、SIGMA dp0 Quattroという特異なデジカメ。
SIGMA dp0 Quattro、上から見ると異様!!怪しげなデザインが凄いって感じる。
SIGMAカメラの欠点としてISO感度を上げるとノイズが乗りやすさに苦慮する。
而して、PC上でRAW現像をする必要があるクセが強い「じゃじゃ馬」的なのだが!!
つかっている者とすると実に楽しく然と挑戦し、乗りこなせたら最高である。
画角に歪みが無い。dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。
而してdp0は、「Foveon X3イメージセンサー」と云う独自のセンサーを採用している。
独特な質感描写を生み出すシステムとして注目、使って見てビックリであった。
一般のカメラは「ベイヤー式」、光の3原色RGBを互い違いに並べて構成するセンサー。
SIGMAのカメラは3層になっていてそれぞれの層で色を受け止める仕組み。
「ベイヤー式」は1枚のセンサーを3色で分割する為、それぞれの色情報が少なくなる。
一方でSIGMAは3枚のセンサーで各色を受け止めるので、色の情報が豊富である。
Quattroシリーズは、一番上のB層を4分割し情報処理の効率を格段に改善している。
独自路線をひた走る「Foveon センサー」のシグマというメーカーに期待している。
フルサイズFoveonセンサー搭載カメラの製品化を注目しながら待ち望んでいる。
「令和参年(皇紀2681年)11月07日、記」
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《囈(47)“Coffee-break・・・中判写真機”❖21-310》

ASAHI PENTAX 6☓... ASAHI PENTAX 6☓7



MAMIYA RB67 MAMIYA RB67
《”独創的中判カメラ!?!” 》
レンジファインダーから一眼レフ型カメラへ傾斜した日本写真界。
20世紀後半、報道写真の世界では一眼レフは、大活躍(現在もだが)。
とは言ってもプロの世界では、色々な用途に用いるカメラが多種類あった。
静物を撮る、コマーシャルに使う写真、それ等に適したカメラも存在した。
ブローニー判という少し大きなフィルム用カメラ群は、色々あった。
中で関心を持ったカメラが2つ、アサヒペンタックス6X7、マミヤRB67である。
アサヒペンタックス6X7、35mm一眼レフを大きくした形のカメラであった。
マミヤRB67の方は、ハッセルブラッド等の6☓6判一眼レフに似た形態だった。
プロの世界では6☓6一眼レフ=ハッセルブラッドで、信頼愛用されていた。
写真報道では35mm一眼レフが多用されるのは、当然の理である。


畏敬の念を持つ写真仲間(写真を生業としていた)の幾人かが天星した。
僕より一回りも若い人々。言葉、持てない。
国産製機材に拘った人達。僕は、アサペン67もマミヤRB67も使ったことない。
プロ故に撮影した画像は素晴らしい。彼等の言葉、おれ達・・日本人!!
「令和参年(皇紀2681年)11月06日、記」



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《囈(46)“Coffee-break・・・写真機文化の変遷”❖21-309》

アサヒペンタックス... アサヒペンタックス


初期ニコンF... 初期ニコンF

PC(アオリ・シフト)Nikk... PC(アオリ・シフト)Nikkor 35mm




ニコンF フォトミック ニコンF フォトミック
《”一眼レフ全盛時代懐古!?!” 》
レンジファインダーの完成型カメラの出現で日本のカメラメーカーは兜を脱いだ。
1950年代のカメラ業界の行く末を決定付けたモデルがLeica M3だろう。
太刀打ち出来ないと諦めたのか(Nikon SPは、充分に戦えると思ったのだが)??
日本のカメラ製造メーカーは、一眼レフ型カメラに舵を切った。
黎明期の一眼レフの欠点が、「撮影の際にブラックアウトする」であった。
これを解決したのが、旭光学工業(現リコーイメージング)のクイックリターンミラー仕様。
1954年に発表されたアサヒフレックスIIb(旭光学工業)に装備された。
今ひとつ、「絞り込むとファインダーが暗い」という欠点も日本のメーカーで解消していた。
ズノー光学工業は、1958年に自動絞り機構を装備したズノーペンタフレックスを発売した。
1957年、旭光学工業は“アサヒペンタックス”との名称で一眼レフカメラを研究開発した。
世界初のクイックリターンミラーとペンタプリズムを両方搭載した画期的な一眼レフカメラ。
更には、1959年ニコンが発売した“ニコンF”は頑強で報道者に愛用されはじめた。
写真報道で多用されていたスピードグラフィックとローライフレックスにとってかわった。
以後クイックリターンミラー・自動絞りを装備するのが当然となって行く。
以後、日本の一眼レフ型カメラは、世界的に圧倒的支持を得て発展してこんにちがある。
そんな一眼レフカメラにあって総合的高評価は、Nikon Fが抜きん出ていたか。。。!
世界中のプロが使っていた一眼レフカメラ。レンズも多種あった。
如何にNikon Fが信頼されていたか!!!
米軍用 Military Nikon F KE-48C Nikon F US GOVT PROPERTY なんていうのもあった。
交換レンズの中には、アオリ機構(シフト、ティルト)つきレンズも初期からあった。
「令和参年(皇紀2681年)11月05日、記」



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《囈(45)“Coffee-break・・・写真機!?!”❖21-308》

《囈(45)“Coffee-b...
Leica-M3 Leica-M3




Nikon SP Nikon SP
《”写真機の傑作=Leica M3!?!” 》
レンジファインダーを追求し一つの完成型カメラの登場したのが、Leica M3であった。
今では「一眼レフカメラ」が主流だが、M3は「レンジファインダーカメラ」である。
ドイツのLeicaという会社製。世界中のプロフォトグラファーに絶大なる信用が!!!
一般的には「35mmフィルム」と言うが、「ライカ判」なんて呼ばれたりもしている。
この「35mmフィルム」とは、フィルム幅が35mm、高さ24mmの大きさ。
Leica M3は、巻き上げレバーやバヨネットマウント等、新機構を搭載して登場した。
以来長きに渡りライカM型は進歩を続け、今日に至っている。
採光式ブライトフレームファインダーに組み込まれた50、90、135mmのフレーム枠、
取り付けるレンズに応じて自動的に枠が出る。半世紀も前に完成したシステム。
発売初期から色々と改良はされているが、前期型はフィルム巻き上げが2回式とか、
初期型ライカM3のシャッター音の静かな事は歴代ライカM型のシャッターの中で最高。
色々あるが評論できるほど使っていない(総て先輩の借り物)だが、魅力余りある。
一方、昔、使ったことのある国産レンジファインダーカメラ、Nikon SP。
このカメラ、敬愛して止まない写真家のお古だった。使いこなせずお蔵入り状態。
「令和参年(皇紀2681年)11月04日、記」
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