《東伊豆・北川温泉&旧道周辺散歩❖’22/06/08》 最近伊豆半島の定宿にしている場所は、非観光地的な北川温泉。 特段観光的場所はない。それ故か、比較的静かで保養地の感がある。 早めに到着すると“お三時”が頂ける!?! 楽しいTea-time !! 夕飯前に周辺を散策。隣のホテル脇道を旧道に上がって紫陽花探し。 事前調べを怠って、野生紫陽花を探せなかった?? 「令和肆年(皇紀2682年)7月23日、記」
《植物(31)伊豆高原・北川周辺の紫陽花(1)❖’22/06/08》 我が家の紫陽花達、その親達が健気に咲き誇っている伊豆半島!! 今年は、開花が例年に比べて遅いと聞いていたが拝みに出掛けた。 野生・自生紫陽花の場所探訪は、来年にして1泊だけ伊豆高原へ。 伊豆高原周辺、野生紫陽花は極々普通に見られる!!! 野生地は、点在してるので時間が必要。植物園で観るのが手っ取り早い。 だが見せるだけの植物園ではない育て研究されている方がいる。 城ヶ崎文化資料館 Lingua Franca cafe(リンガフランカカフェ) “やぎとおやつとコーヒー”コーナーも併設された。 昨春リニューアル、ここの敷地内に紫陽花園が広がっている。 園内には、恋人の路なんて場所もあって楽しい環境だ。 ※ ※ ※ ※ ※ 紫陽花行脚を掲載する準備をしていたが、 安倍晋三元総理の事件で、友達との連絡で雑務に紛した。 なんとか落ちついてみると、何か空虚感で一杯だ。 色々と元総理の評価があるが、異国の友の評価は高い。 異国の友人に心より誇れた政治家だった。 改めてご冥福をお祈り申し上げます。 合掌 「令和肆年(皇紀2682年)7月20日、記」
《痛恨の極み・・<安倍晋三元日本国総理の死去。❖’22/07/08》 参議院選挙中に起こった、未だに信じられない出来事。 暴徒の凶弾に倒れた安倍元首相だが、その現場画像に唖然?? 警備・警護の粗末さ・・・?平和ボケが招いた、痛恨の極み。 参議院選挙の結果、想った通りだったが・・・悲嘆・悲歎。 凡人が語れるものではないが、、、 異国の元首から絶賛された日本の総理は、安倍元総理だけだろう。 国内では、“もりかけ”等と言われる虚言を振りかざし、貶めた政治家達。 与野党の低俗な政治家達に反省を求めたい。而してマスコミもだ。 なくして偉大さを知っても遅い。覆水盆に帰らず、だ。 この上は、戦後の政治・事象を正確に記録して後世に残す。 この先、30年余りを以って、歴史的変遷を分析すべきだ。 第二次世界大戦後の100年史。戦後史が漸く知れるようになった今。 安倍氏の祖父、岸信介元首相や昭和天皇の偉業も知ることができる様になった。 祖父を超えたと言っても過言ではないだろう。 安倍元首相のご冥福をお祈り申し上げると共に、感謝を申し上げたい。 合掌 安倍さんの郷里、山口県には近代史での偉人・孫文を支援した御仁もいた。 今、台湾の「国父」孫文ゆかりの蓮(はす)がきれいに魅せる長府庭園もある。 長府庭園は、長府毛利藩の家老格、西運長(にしゆきなが)の屋敷跡。 園内の回遊式庭園に孫文蓮(そんぶんれん)が見れる。 孫文蓮といえば、 昔、鎌倉鶴岡八幡宮の源氏池に分植されたのだが現存は不明だ?? 以前ブログルで紹介した鎌倉の植物、紫陽花だけではない。 池の調査をして欲しく思う。政治史の事だ、正確に後世に伝えて欲しい。 安倍さんの死去、今の日本、特に外交問題に関しては助言分析者がいなくなったに等しい。 突然の出来事、未だに受け止められない。呆然としている。 「令和肆年(皇紀2682年)7月13日、記」
《植物(28)紫陽花鑑賞;俣野別邸園❖’22/06/19》 首都圏の紫陽花名所、あきる野市の“あじさい山”に初めて訪れてみた。 今年は、諸々の条件下で紫陽花自体が悲惨な状況で、今後の課題をみたきがする。 植物観察を楽しみにしている身としては、植物を管理するのは人間ではないか。 “野生・自生紫陽花”を観ていて、自然環境に感謝したい気持ちだ。 掲載時系列で前後するが、前の週に訪れた俣野別邸の手鞠咲紫陽花を掲載する。 今年は、手鞠咲き紫陽花と生育環境を、あじさい山のを掲載するつもりでいた。 「令和肆年(皇紀2682年)6月30日、記」
《植物(27)紫陽花鑑賞に遠出。❖’22/06/25》 首都圏には、色々な紫陽花名所がある。中に“あじさい山”と銘打った場所がある由。 教えてくださったのが、植物観察スペシャリストの仲間(色々教えを乞うている)。 観察に行くというので同道させてもらった。そこは多摩山麓のあきる野市にあった。 随分と昔、幾度かその周辺は歩いたことがあった。 お一人の紫陽花愛好家が、造り上げた場所。昨今、紫陽花祭りを開催されている由。 出向く前に検索してみると、今年は開花が遅い(生育が悪い)とあった。 あじさい山までマイカーが今年から入れないとあったが、路が狭く当然と思った。 生育が悪い、と聞いていたのだが現地を散策していて思う所があった。 昨今、紫陽花鑑賞地を回っていて“野生・自生紫陽花”地を見習うべきと感じている。 総てが理に適っている、と思うのだ。人間の都合・身勝手で植物に対してはいけない。 そんな感覚で、野生・自生地を主に見て回って参考にしている。 植物の為ではなく、如何に花を美しく見せるかが先のようだ。 然るに園芸種が多くなる。 「令和肆年(皇紀2682年)6月27日、記」
《浅草界隈(2)❖’22/05/12》 浅草周辺・・・下町感、香りと言った方がいいだろうか。 語る、言葉を持てない。古きを懐かしんでいるだけ。 ちょっと感傷的になった浅草の町、その周辺。 * * * * * 浅草の街中を貸し衣装か??若者たちが和装・浴衣姿で歩いて。 隅田川沿いの旧安田庭園では“Photo-wedding”らしき撮影も観た。 コロナ禍であったが、街中は普段通りに極普通に安全であった。 そんな中で和装姿を遠目に見ていると、青年時代を思う。 ノンポリ的で山登りに夢中になっていた青年時代。。。!! そんな時代に北朝鮮による拉致が判明した。だが未だに未解決。 一国民として出来ることって、署名とカンパくらいか。。。 政治家も含め報道関係者の対応に甚だ不満を持つ。 拉致問題・慰安婦問題等々、朝鮮半島での問題に日本政府は??? もっと、もっと積極的に対処して欲しく思う。 願わくば、来る参議院選挙で良き方向に向かう議員が増える事を希す。 而して憲法改正を早急に検討し改正して欲しい。 「令和肆年(皇紀2682年)6月12日、記」
《浅草界隈(1)❖’22/05/11》 浅草周辺をのんびりと散策なんて、何年ぶりだろうか。 全くのお上りさん。スカイツリーに上ってから散歩しなが浅草へ。 浅草雷門にたどり着き宿泊ホテル方向は??とキョロキョロ。 歩き始めると向かう先の交差点が騒がしい、消防車のサイレン。 ホテル方向の脇道を通り過ぎ、野次馬と化してしまった。 何があったのだろう?? と思いつつ宿泊ホテルに向かった。 浅草周辺の小ホテルが閉鎖されてる。歩きながら思いは複雑?? 国政や東京都政は、保身の為に方向性を誤ったと痛感する。 久し振りの浅草、そこで目についたのは“和服姿”だった。 先日、衝撃的な記事を新聞で読んだ(下記頁参照)。 https://mainichi.jp/articles/20220525/k00/00m/030/193000c ウイグル族収容資料流出 米欧各国「衝撃」「透明性ある調査を」 | 毎日新聞 新疆ウイグル地区における人権侵害、随分と前から聞いていたことだが。 日本では、政治家・日本政府ともに何故に関心が低いのか??? 其れよりマスメディアは、何故に報道しないのか不可思議だ。 昨今のウクライナにおける政情・国土を鑑みると、 国際的な約束事等、国連常任理事国には通用しない!?! 身勝手がまかり通っている。日本の安全保障は??? 抑止力ってなんだ。真摯に考えるべきだ。国民として。 「令和肆年(皇紀2682年)6月2日、記」
《スカイツリーの足元❖’22/05/11》 地下鉄銀座線の浅草で下車、スカイツリーの周りを散歩。 隅田川沿いの散歩道も整備され以前とは随分と変わった。 隅田公園リバーサイドギャラリーを隅田川沿い歩道を歩く。 吾妻橋の向こう側(墨田区)にアサヒ飲料の面白い社屋が!! その先(荒川寄り)のリバーウォークを渡ったのだが、 この橋の遊歩道、東武鉄道高架橋下でスカイツリーへ最短路。 リバーウォーク浅草側に“”恋人の聖地”と記された看板があった?? 詳細は知らないが、此処から望むスカイツリーは、確かに画になる。 リバーウォークの墨田区側に“東京ミズマチ”があり商業施設があるらしい。 お上りさんは、事前調べを怠って隅田公園を通って歩いて進んだ。 それ故、ミズマチのいち部分しか観ていない(次回は見てみたい)。 東京スカイツリーを囲む環境、まさに都会の中のビル群だった。 浅草も含め周辺の環境、特に樹木の植栽を増やして頂きたいと思った。 「令和肆年(皇紀2682年)5月27日、記」
《スカイツリー(1)❖’22/05/11》 久し振りに浅草周辺を散歩。コロナ禍にあっても人出は、程々にあった。 浅草周辺、隅田川沿いの散歩道も整備され以前とは随分と変わっている。 その中でスカイツリー存在は、眼を見張るもの。世紀の大事業だったろう。 2012年5月22日に電波塔・観光施設「東京スカイツリー」として登場した。 浅草も含め周辺の環境、特に街路樹植栽を増やして頂きたいと思った。 都会だからこそ、否、下町の風情には欠かせない“緑気浴”でもある。 スカイツリーの足元(周辺)を緑で一杯にできたらより良い環境になる。 「令和肆年(皇紀2682年)5月26日、記」
《地植え、移植の紫陽花&周りの花々&自邸紫陽花(2)❖’22/05/22》 今年も楽しみの季節が到来、世は憂鬱の季節かも知れないが?? 先週は、梅雨入りのような天候だった。 それでも植物は!! 3年ほど前から移植した紫陽花が、開花に向かって姿を見せている。 地植え移植した紫陽花だが、正式名称は未だ発表されていない種。 我が師(伊豆高原在中・平澤 哲 師)が言われる“里紫陽花”。 今見ている我が家の紫陽花、葉っぱが微妙に面白い形?? 元々自生していた場所から見ると興味深い。開花が楽しみ。 周りには、ドクダミやシランが瀟洒に咲いている。きれい。 「令和肆年(皇紀2682年)5月23日、記」