《大和市泉の森❖’22/04/09》 4月に入って泉の森野草園周辺は、彩りを持ち始める。 可愛い色々な花が、咲き始め嬉しく・楽しいかぎりだ。 ほんの一瞬のことだが、花々は我を忘れさせてくれる。 「令和肆年(皇紀2682年)4月9日、記」
《”国 益”!?!今の日本は。。。?》 四月、日本では新学期、新たな年度の始まり。 3月末に湯島天神に参ったが、花見に行かなかった。 例年、花観察として散策するのが常だったが、、、? この2年、コロナの問題で花見どころではなかった。 漸く、明るい兆しが見えてきたというのに、異国では?!? 今の時代に、”戦争”なんて、、、侵攻等考えもしない。 でも過去を振り返ると戦争を実感する事象、過去に3回ある。 初めては、子供の頃に街中で傷痍軍人を見た時。 2回めは、ベトナムでの体験(戦地を少し観ただけだが)。 3回めは、韓国のソウル空港をトランジットした時。 背筋がぞおっとした韓国でのトランジット通路を歩いた時!! 空港内の通路を小銃を持った兵士が監視していた。 眼光鋭く、子供が騒ごうものなら、そちらに銃口をむける。 家族で見た光景は、強烈で・・鮮明に脳裏に残っている。 激戦を体験したわけではないが国防とは、を思うことがあった。 今は、情報・報道が、TVで逐一映しだされている。 どう考えても、ロシアの発表は”詭弁”としか思えない。 それにしても一般国民に被害が及んでいるのは間違いあるまい。 一日も早く停戦してほしいものだ。 日本は、対岸の火事ではない。現に日本の領土が脅かされている。 新年度の始まりだが、“国防・憲法”の文字が脳裏に浮かぶ。 「令和肆年(皇紀2682年)4月6日、記」
《大和市西鶴間周辺❖’22/03/27・28》 3月は、色々と雑用あって散歩すらままならなかった。 住宅地の小さな桜並木、そして住宅地の小公園の桜。 このような光景でも人の混みあいが見られないだけ良いか。 買い物の行き帰りに見れるだけでもよい。 ニュースを聞くと、未だにコロナ・・コロナ??? 国の対応、慎重に・・ってわかるが手順が狂っている。 自分で自分の首を締めている、としか思えない。 新年度の始まり、コロナ対応も新たに策を練り直すべきだ。 「令和肆年(皇紀2682年)4月3日、記」
《泉の森❖’22/03/28》 近間故、1時間余で散策できる泉の森。一寸の息抜きに良い。 だが今年はタイミング悪く、桜の好景を見ること出来ないと感じてる。 でも暇を見つけて、散歩・散歩。野草に出会えるだけでいい、と散歩。 「令和肆年(皇紀2682年)3月31日、記」
《泉の森❖’22/03/20》 遅れ気味の野草の開花、それでも足は森に向いてしまう。 毎年、顔を見せてくれる野の花々。森の今、桜が主だろうが。 地表近くで健気に魅せる花々、今年も出会えたって、ほっとする。 「令和肆年(皇紀2682年)3月28日、記」
《横浜・新治市民の森❖’22/03/12》 気分転換に散策に出掛けた。今年の樹々、開花は遅い。 分かっていても散策したくなって、となり町まで行ってみた。 思った通り里山全体で、草木は漸く眼を覚ました状態。 だが樹々は、着実に芽をつけ訪問者をワクワクさせてくれた。 このところ、憔悴感を日に日に募らせるも如何ともし難い、異国の戦禍。 国家間の争いだが、今年の二月~三月は、公私に渡りバタバタ続き。 ブログなど綴る感覚を持てないできた。遠出も桜行脚もままならない。 思い切って近間の森へ。見慣れた光景だが、心新たで気分が良かった。 葉芽は、未だ姿をみせていなかったが、春の息吹を感じとれ満足。。! 「令和肆年(皇紀2682年)3月25日、記」
《泉の森❖’22/03/06》 今年の二月~三月は、公私に渡りバタバタ続き。 ブログなど綴っている暇など持ち合わせなかった。 遠出が中々出来ず桜行脚もままならなかった。 そんな中で近間の森へ出掛けた。漸く河津桜が。。。! 見慣れた光景だが、心新たで気分が良かった。 野の花は、未だ地中から茎を出したばかり。。。! 辺り周辺、散歩にはもってこいの場所だ。 「令和肆年(皇紀2682年)3月22日、記」
《伊東の桜と椿❖’22/02/17》 二月の綺麗な伊豆大島を眺めることが出来、ラッキーだった。 大島の三原山に冠雪が・・・中々出会えない光景と宿の人に聞いた。 気分よく宿を後にして紫陽花の自生地、伊豆大川に寄ったのだが?? 路が狭く、車での探索は無理と判断。桜探訪に伊豆高原に向かった。 今年は、桜の開花が遅い、伊豆高原の“さくらの里”も素通りした。 伊豆高原の伊東寄りに小室山があり、椿が咲いてるか?と向かった。 そんな小室山の椿も開花は未だ。樹木の開花は、気温に左右されるのか。 単に気温の変化では無いような気がする。気温の一定・安定度が重要。 毎日の高低の激しさより、気温の安定が何日続くか、が重要なのだろう。 今年の桜開花は、2週間ほど遅く開花したと感じている。 久し振りの小室山、駐車場の場所を忘れており迷ってしまった?? 椿園脇の駐車場に車を停め、ちらほら、と少し咲く椿もおつなものだった。 せっかくだからと山頂へのリフト乗り場まで歩いた。前に来た時は??? 自然公園的な所を歩いていると、幸運にも“伊東小室桜”の花に出会えた。 今回は、植物掲載がメイン・・・花のみをアップ!?! イトウコムロザクラ(伊東小室桜)は、1988年に伊東市小室山で発見された桜。 寒緋桜(カンヒザクラ)と大島桜(オオシマザクラ)の交雑種と紹介されている。 花は径4㎝ほどの淡紅紫色。花弁5枚、花の形は一重咲きで中輪。 特徴的にカンヒザクラの形質が見て取れる。 開花初めの頃、イトウコムロザクラは、カワヅザクラに比べやや色が薄い。 花弁がとても大きいのが特徴。発見者は、萩原直義氏。 今回の桜行脚で得た最大の収穫は、この伊東小室桜に出会えたことだった。 つばきを見たくて訪れた小室山だが、桜の野生種が確認された場所。 野生種を思うと色々と浮かぶ、河津桜にして然り。椿に関してもだ。 椿といえば、伊豆大島。椿油にしても伊豆大島が第一に出てくる。 だが、椿油の良質な生産地である“利島”は余り知られていない。 それでも地道に利島産椿油が、伊東市内で販売されている。 南伊豆で桜並木が注目されている。同様に利島を宣伝できないか?? いろんなことを思えた桜行脚だったが、最後、帰宅についた路が最悪。 伊東辺りで昼食をッて思ったが、休日等で道すがらで探そうと・・・。 ところが135号線で大渋滞に巻き込まれ、昼食無し、疲れて帰宅した。 「令和肆年(皇紀2682年)3月19日、記」
《温泉宿“北川海岸”点描❖’22/02/16》 温泉浴三昧・・北川では温泉と景観(海)、シンプル・・単純が最高!! 早朝、部屋から見ゆる朝陽、地平線に浮かぶ伊豆大島は軍艦のようだ。 刻々と色変わる空“自然な文様”暗闇から明けて行く様・・・静かな麗明。 地上の変異は見て取れるが、海底は神秘そのものって思えもした。 早朝?!に温泉に浸かった事で、心地よく数時間も海を眺めていられた。 「令和肆年(皇紀2682年)3月16日、記」
《癒し&静かな温泉郷“北川”点描❖’22/02/16》 最近、お気に入りの東伊豆・北川の宿。チェックイン後のティ‐ブレイクがいい。 その後、夕暮れの海を眺めながら(屋内・露天共)の温泉浴は、癒しの極み。 温泉浴でさっぱり、夕食の創作フレンチ懐石料理に舌鼓をうつ。 今回、泊まった日の夜には部屋でムーンロードも運良く(晴天)観られた。 地形・位置的に伊豆大島の姿・景観が良く映る場所が、北川の宿。 深夜の温泉浴は、日頃の疲れを洗い流してくれる。心地よい・至福の時。 * * * * * この1ヶ月間に、異国では悲惨な争いが勃発、如何ともし難い。 又、先日、大地震が東北を襲った。こちらは、予期できない事象だ。 だが国家間の争いは、人智があって然るべきなのに??? 今の時代に平然と殺戮を繰り広げている。愚かというしか無い。 だが、こんなことを言っている僕自身、平和ぼけしているようだ。 北朝鮮に拉致された日本国民を救出できていない。 国家間戦争に疑義を持つが、日本国民の救出は、国の責務だ。 もどかしい、、、。日本国憲法は、誰のためにあるのか?? 「令和肆年(皇紀2682年)3月13日、記」