昭和時代・戦後の高度成長の頃、熱海といえば箱根と並ぶ保養・温泉地だった。
特に東海道新幹線が開通した事で熱海は、より人気が高くなったと思われる。
だが、明治時代から多くの文豪たちが居を構え、名作を執筆した場の熱海。
中でも有名なのが、 明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に、
掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)。
この小説にある「お宮の松」「貫一・お宮」像は、実在人物の様にみえる。
「貫一・お宮の像」「お宮の松」は海岸の国道沿いにあり、観光スポット。
銅像をよくよく見ると、明治時代の服装がよく分かる。
海岸線、子供自分に来た時は、広い砂浜って感じだったような???
今は整備され、親水公園などがあって。その一角にも、銅像が建っている。
江戸時代の熱海の偉人銅像であるが、説明文を見ていて思ったことがあった。
昨日、二月十三日は、苗字布告記念日であることを思い出した。
1875年(明治8年)の2月13日、明治政府が「平民苗字必称義務令」を発布した。
太政官布告により国民はすべて姓を名乗ることが義務づけられた。
説明文にあるように、「釜鳴屋平七」の釜鳴屋は屋号、店の名である。
又、熱海は和洋の食文化もしっかりと根付いている。美味な店も多い。
路地裏グルメなどと呼ばれている。地味だが美味しい洋食屋さんもある。
何故か、いっとき斜陽だった熱海、行政の懸命な努力で訪問者も増えた。
2月13日は、旧きを思えた日、続く14日は、和的洋食材を思えた日。
僕の中でチョコレートといえば、米国製のHershey(ハーシー) 。
友達(米軍属の子供)が遊びに来るときは、必ず持参してくれた。
我が高校生の頃、2月14日のバレンタインデーは一般的に知られていた。
日本的聖バレンタインデーは、女性から男性に向かって恋を打ち明けてもよい日。
女性が愛の印にチョコレートを贈る。この習慣は、宗教的なものではない。
1958年(昭和33年)にメリーチョコレートが、販売促進を目指して宣伝を展開した。
更には、それに便乗して日本チョコレート・ココア協会もキャンペーン展開している。
高校生(我々時代)の間でも結構、行われていた。義理チョコではなく。
初めて頂いたのは、手作りのクッキーだった。チョコではないことが嬉しかった。
懐かしい。クリスマスケーキ、チョコ等の材料を売っていた店が鎌倉にあった。
鎌倉周辺の若者たちは、手作りが思いの深さ、と認識していたか!!
昨今の風潮は、ちょっと度がすぎているような・・・。
「令和肆年(皇紀2682年)2月14日、記」