3月
14日,
2008年
東大寺お水取り最終日
「お水取り」は3月2日に若狭の国から送られた「水」が10日間かかって写真の若狭井に到着するとされ、12日深夜にここから聖水としてくみ上げられます。
この建物は若狭井呼ばれますが、正式には閼伽井屋でです。
閼伽は仏教用語で、仏壇にお供えする「水」のことです。
徒然草の「神無月の頃」にも閼伽棚として出てきます。
この閼伽、語源はラテン語で、これが英語ではAQUAに転じています。
二月堂から大仏殿や正倉院を見ると、はるか昔西方からシルクロードで文物と共に「言葉」も伝わり、ここに形として残っていることに深い感慨を覚えます。
3月
11日,
2008年
春の陽光
写真は聖ザビエル天主堂内部から入鹿池の遠望です。
撮影時間は午前11時、日照角度があがり、内部のステンドグラスの撮影は難しくなってきています。
3月
6日,
2008年
尾張平野の古戦場
タワーから南東方面には歴史ではあまり目だっていない古戦場が一望出来ます。
秀吉の天下統一直前に徳川家康と一戦を交えた小牧山の合戦は、徳川に多くの自信を持たせた重要な戦いです。
今ひとつ、織田信長24歳の時の浮野の合戦も歴史的には極めて重要な戦いです、齋藤道三亡き後、彼の庇護の無い状態で、信長は多くの犠牲を払いながらこの合戦で勝利しています、既に鉄砲はこの合戦で投入されています。
この戦いの余勢で信長は勢い乗り、尾張平野を手中に納め、数年後に桶狭間の合戦となります。
桶狭間は信長の兵が少なくゲリラ戦のように伝わっていますが、私はそうは思いません、かなりの兵力を温存しての正規戦と思っています。
一宮のタワーからはこれらが一望出来ます。
3月
3日,
2008年
東大寺お水取り:その2 青衣女人
参考URL
http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/top.html
青衣の女人:(しょうえのにょにん)
お水取の儀式はいろいろあるのですが、私はこの話が気に入っています。
いろいろな儀式のなかで過去帳の読み上げがあり、二月堂に関わった人々の名前が延々と読み上げられます。
聖武天皇に始り、順次名前が読み上げられるのですが青衣の女人の話は、この過去帳の時です。
固有名詞ではなく、この様な名前で読み上げられるのは、以下ような理由によります。
昔、過去帳読み上げ時に、堂内に青い衣を着た亡霊が立ち現れ、「我が名、何故読み給わずや」と、読み上げ役に迫ったといいます。
その僧侶は、驚き、とっさに「しょうえのにょにん」と叫んだようです。
亡霊は、その声に満足したのか消え去ったという話です。
女人の素性は諸説紛々ですが、その読み役の僧侶
に思いを寄せながら亡くなった女性との説が有名です。
※この話は司馬遼太郎さんの「街道を行く」の奈良東大寺に記載されています。
奈良国立博物館で過去帳の現物を見ましたが、青衣(の)女人と記載してありました。
3月
3日,
2008年
東大寺お水取り:その1
目的は東大寺のお水取り(修二会といいます)です。
伝統的な行事は旧暦が多いのですが、お水取りは新暦で行われています。
東大寺二月堂で大きな松明(たいまつ)を振り回す日の祭典と思われがちですが、この伝統文化は実にいろいろな行事(修法)が行われています。
3月
1日,
2008年
一宮から見る戦国絵巻
市の観光協会のHPの仕事で写真撮影を行いました。
コントラストを出すために早朝での撮影です。
写真はタワーから西で、伊吹山、関ヶ原、大垣、墨俣などが一望出来ます。
ここから清洲、犬山、小牧山、遠くに長久手、すぐ北には金華山の岐阜城を見ることが出来ます。
織田信長のデビュー戦「浮野古戦場」も眼下です。
2月
29日,
2008年
若狭の味 へしこ
一口でいえば鯖の味噌麹漬けですが、作り方・味は正に千差満別です。
私は、若狭の民宿杉本さんの帰路、自家製を販売している「魚一」で求めています。
適当な大きさに切りわけ、そのままでもよし、するめの程度に炙っていただても美味しい食品です。
寒い夜、日本酒にへしこ、なかなかいけます・・・・
2月
27日,
2008年
映画 ラストコーション
台湾映画なので、中国語の勉強という理由をこじつけて見てきました。
舞台は第二次世界大戦直前の中国上海が舞台で、この時代の中国近世史を理解されていないと、この映画の本質部分が見えてきません。
※日本ではこの部分は歴史から消えています。
過激な性描写が売り物ですが、私にはこのシーンは過剰な部分で、映画の質を落としているようだけに感じました。「その部分」の期待に応えるためになんでしょうか?
主人公の心の襞の変化が重要なポイントですが、やや粗雑さが感じられ、日本人にはあまり受けないだろうと思われます。
仲間割れの殺戮シーン等はリアル過ぎるし、反日感情の根底が理解できていない日本人には不可解な行為言動が目立ちました。
中国人の根底に流れる部分を理解するには良い映画かもしれませんが、私には後味の良くない映画でした。
2月
20日,
2008年
蛇の怨念
<蛇の怨念>
15年前の暑い夏の日、男は道を横断する蛇をひき殺しました。
バックミラーでのたうち回る大きな蛇を見て「ゴメン」とつぶやき
ましたが、どうにもなりません。
嫌な日はアスレティックのでもと、普段は出かけ無い夜間の
時間帯にプールで泳いでいると、歳若い女に声をかけられました。
「泳ぎがお上手ですね」、男は泳ぎには自信があったので、
喜び、すぐに打ち解けました。
男には妻子がいましたが、彼女その事を気にするまでもなく接近して
きました。
男の趣味であるダイビングを一緒にしたいと言い出し、その練習にも
連れて行きました。
お盆休みの最終日、ついに二人は男と女の関係になってしまいました。
女は素晴らしく男はたちまち虜になってしまいました。
女は男に同居をせがみ、一緒に住む事になり、ますます惑溺して
行きました。
女は料理が得意で、男の健康も気遣い、浪費はせず、非の打ち所
の無い女でした。
更に女はいわゆるアゲ万で、男のビジネスは順調を極めました。
女の両親にバレ、数回の悶着がありましたが、女は決して別れませんでした。
15年目の冬、女は語学研修に海外に行く許可を求めてきました。
男は承知し送り出しました・・・・・
女は帰ってきましたが、突然別れてくれと言い出しました理由は何も
言いません、男は半狂乱になり泣き叫びました、急に目の前が暗くなり
男は軽い失神を感じました、気が付くと女の姿はそこにはありません。
あわてて玄関を出ると、庭の茂みに大きな蛇が冬の枯葉の上を
滑るように入って行くの見えました、冬なのに蛇が・・・・
男はすべてを理解しました。
蛇は長年かけて女を男の最愛のものとさせ、それを瞬時に奪い去ることで復讐をしたのです。