9月
24日,
2007年
印尼紀行その6:バリ原住民の村(1)
6から7世紀に回教がジャワ島に伝わると、その宗旨を受け入れない王政との間に軋轢が生じました。
一部の王族は、臣民を全て引き連れ東隣のバリ島に移住したと伝えられています。バリには元々の原住民(アガ・バリと呼びます)が居ましたが、多くは王政に溶け込みました。しかし、これを拒否する人々は辺鄙な場所に集落を作り外界と遮断してきたと言われています。現在、大きな集落二箇所が知られています、キンターマニのバツール湖東岸のトルニャンとここトゥガナンです。どちらも当然ヒンズーではなく、土俗宗教を信じています。
トルニャンは風葬でしか知られていませんが、ここでは色々な文化が継承されています。写真はダブルイカットと呼ばれる、世界でここだけで織り上げられる絣で、経糸と緯糸の双方を染めて作られますが、染める日が吉日しか出来ず、信じられない日数を必要とします。
数年前、ここで求めましたが、価格交渉に1時間を要した記憶があります。大部分のバリニーズはここに来るのを好まないようです、我が友人も再三案内を頼んでも、滑った・転んだで、結局自力で訪問しました。日本の観光案内は勿論、ロンリープラネットの旅行記でも、ここの案内はほんの僅かで、それも内容は他のページに比較して明らかに貧弱です。(最新版)理由は明白で、ほんの一部の土産物を商う住民以外は英語は通じません、日本語がわかる人も居ますが、探し出すまでが大変です。会話はバリ語ですが、インドネシア語は勿論通用します、しかし観光客に馴れた南部のバリニーズとは根本的に異なる部分があり、気高く・閉鎖的と感じます。これは西欧人も感じるようで、観光客にまとわり付く姿は一切無く、価格交渉は余程の会話を経ないと行き着けないため、違和感があるようです。私はこのプライドの高さと自立性が好きで、訪問を繰り返しています。 ロンリープラネット
9月
23日,
2007年
印尼紀行その5:ウブドの美味しいお店
下にはSuckling pig 乳離れしていない豚、とありますが、ここイブ・オカでは実は成獣を使います。イブは女性の敬称でマダムが一番近い表現で、オカは固有名詞です。
イブは会話時には「ブ」と言います、「おばさんありがとう」は、てりまかし・ぶ、道を聞いたりする場合「おばさん・おばさん」は「ぶ」と呼びかけます。この時期ちょうどラマダンです、罰当たりにもタブーの豚肉をたらふく食べました。
一人前、ご飯と豚肉が沢山のセットで200円強、
ただし、かなりの辛さがあります、香辛料になれない方は、多分完食出来ません。Bali料理は甘いは「うそ」で、外国人に合わせてた調理方をしているからです。
ホンモノのBali料理は結構辛い(唐辛子の)のです。
余程、普段から辛いモノを食べていない限り、うっかり、現地と同じと辛さで・・・・
等とは絶対に言わないことです。
9月
23日,
2007年
印尼紀行その4:ホテル
過去には、ヌサドア、クタ、サヌール、シンガラジャ、ウブド、チャンディダサ、イエガンガ(タバナン)などなど、主な地域は泊まり歩きましたが、このホテルは値段・食事・設備・サービスのバランスが良くとれています。いわゆる高級リゾートホテルはホテル内に滞在するならともかく、あちこち歩き回るなら「高い買い物」になります。
ここは、朝食・サービス料・税金込みで、二人で7000円程度(一泊)です。プールはオーバーフロタイプ(井戸水)で、やや冷たい、散々泳ぎ回りました
9月
23日,
2007年
印尼紀行その3:ホテルの電網事情
当時は接続数はそれなり少なかったので、どうにかURLを見たりはできましたが、今はどうにもなりません。
最近は欧州の長期滞在者が激増で、ホテル側もインターネット接続の有無がホテルの予約に大きく関係する事がわかったきたため、争って接続を強化し始めました。
しかし、有線電話事情は極めて劣悪で、ADSLは不可能に近いのが周辺地域の実情です。解説:州都デンパサールではADSLは普及し始めていますが、Baliは火山台地を雨季の豪雨が深い渓谷を刻み、道路・住宅事情に大きな影響を与えています。
つまり渓谷が交通障害となって、住宅の密集度や位置が平均化されておらず、電話回線がかなり歪な経路で敷設されています。(この調査が私の仕事です)このため有線電話回線があてにならず、ホテルでは無線によるインターネット接続を行っています。写真はこのホテルの無線アンテナで、800M帯?と思われるアンテナを州都デンパサールに向けて設置しています、基地局もかなりの高さのアンテナを用意しており、これで接続を確立していますが、速度は極めて遅く、昔のダイヤル程度しか出ていません。
それでも月額五万円ほど払わされるているようです。
9月
21日,
2007年
印尼紀行その2:ウブドの夜明け
昔は静かな田舎町が最近は「東京表参道」のような様相を見せてきています。でも、そこから数キロ離れれば、昔のウブドがそのまま残っています。写真はホテルの前の田園風景、朝6時すぎです。
北東には霊峰アグンを望む事が出来、素晴らしい環境です。
ホテルに冷房は不要で、早朝にはむしろ長袖のトレーナーが必要です。
赤道直下ですが、高地のため冷え込みます。
この冷え込みが朝靄を誘います、段々畑が延々と熱帯のジャングルに続いています。
9月
20日,
2007年
印尼紀行その1:ジンバラン海岸の海鮮料理
この空港の南をジンバランと呼び、小さな入り江を取り囲むようにホテルとレストランが林立しています。
ジンバランは観光地として新しく、私がBaliに通い始めた15年前はただの薄汚い漁村でしたが、今はリゾートに変身しています。
ここのは3箇所のレストラン群があり、すべてシーフードを扱っています。写真はレストランから見たここの夕焼けです。
Nikon:D200 Auto
日没後1時間くらいが見ごろです。
規定よりやや大きいサイズでの投稿をお許しください。
9月
14日,
2007年
印尼のバリの田舎から
普通のダイヤルアップよりかなり低速です。写真は無理のようです。天気はよく、湿度もありません、ついでに部屋にはエアコンもありません。たった5部屋の小さなホテルです。
スタッフ全員結婚式とかで、ホテルは空っぽで、誰もいません。会社のOFFICEから機械を借りて投稿しています。さっきから電話が鳴りっぱなし、いいのかなぁ・・・・
9月
13日,
2007年
インドネシアに出かけます
遅い夏休みです・・・
昨日地震がありましたが、行く先とはやや違います。写真は国旗で、使用する色は日本と同じです。
赤を「めら」、白を「ぷてぃ」といい、国旗の事を
「めら・ぷてぃ」と呼びます。80%がムスリム(回教徒)で、今日からはその重要な儀式、断食月(ラマダン)に入ります。インドネシアはムスリムの習慣が、中東よりむしろ厳格にの残っています、観光地BALIは99%がバリヒンズー(土俗化したヒンズー)なので、全くわかりませんが、ジャカルタのあるジャワでは厳格に習慣が守られています。ラマダンはイスラム暦で月暦でカウントしますが、閏月がないので時期が移動します、今インドネシアは乾季のまっさかりなので、日中に水を飲むことを(唾液も)禁止する掟はとても厳しい事になります。
日の出から日没までは、飲食はすべて禁止、
この期間中には性行為もタブーとされます。
※妊婦・病気の方は例外。
乾季のラマダンの後半は人々がいらだってくると聞きます。入国までの飛行機はSQなので安心ですが、国内線では機内食は勿論、飲み物も出ないかもしれません。
※十数回行っていますが、ラマダンは初めてです。通信回線が確保出来れば、現地から投稿します・・・
9月
11日,
2007年
常神半島破風岬
三方五湖の周辺道路をすすみ、トンネルを抜けると
眼下に日本海の展望が開けます。
塩坂越(しゃくしと読みます)、遊子、小川、神子、
常神とアップダウン+S字カーブの道です。途中、数箇所の展望台がありますが、ここ破風岬が
一番のお勧めです。
前にも同じようなショットをアップしましたが、今回は天候は曇り、波は無し。
画になりにくいので、やや絞り込んで墨絵の感じを強く出してみました。
太陽光の反射が無いのが今回は幸いしました。
カメラはDMC-TZ3です。