今年は不思議な1年でした。これまで平穏無事に10年暮らしてきた我が家のマンションの前に突然勃発した新築マンション工事問題。しかも、我が家が最も被害を蒙る東向きの2F。そのまん前には立体式駐車場が設計されておりしかも4Fの高さ。たまったものではありません。さらに、現在あるマンションを取り壊してから建築するため、3ヶ月に及ぶ取り壊し作業による騒音と振動で毎日悩まされます。そうでなくても18世帯が住むマンションには中学受験生が3軒、大学受験生が2軒居住しタイミングも悪く、「寝た子を起こす」とはまさにこのことを言うのでしょう。
普段はめったに顔を合わせない住民がここぞとばかりに一致団結し連日の打ち合わせ。お互いのスケジュールがなかなか合わないため、やりとりはメールと携帯で連絡。たまたま自分も輪番制の都合で役員をしているため、何かと前面に出なくてはならないし、今回のことに腹を立てている家族からも矢面に立たされ、普段父親として活躍する場面が少ない自分としてはここぞとばかりにと勢いづくのでした。
結局、数回に及ぶ説明会や交渉の末、立体式駐車場は1F部分を地下に下げ、なんとか高さを低くすることで交渉がまとまりました。また、その他のいくつかの交渉も少しは成立したのです。人は一人では微力でも、力を合わせれば強い力になるものだと再認識した一件でした。
そんな折り、ほぼ同じタイミングでhotline(ホットライン)中央林間校の前にあったパチンコ店が閉店し、その跡地に8F建てのマンションが建設される計画も浮上したのでした。こんな偶然があってよいのでしょうか。とは言え線路を挟んだ向こう側でもあり、直接の被害はあまり考えられず、ただ、取り壊し工事にかかる騒音と振動はやはり懸念されます。でも、hotline(ホットライン)が入居している上階の居住者の皆様もやはりここは一致団結、いろいろな交渉を進めてくださったのでした。工事時間は夕方まで、防音シートを囲んで極力騒音や振動、埃は最小限度にと。おかげでなんとか大きな被害もなく進行したのでした。
と思いきや、一安心したのもつかの間。また新たな計画が勃発したのです。今度はhotline(ホットライン)中央林間校のまん前、線路の間わずか1m足らずのスペースに大規模な自転車置き場を建設するという計画が何の説明もなく、突然工事が始められたのです。しかも、初日は線路に入らないための防護柵が取り壊されたまま、わずか1本のロープだけで放置されとても危険な状態でした。夜に気づきすぐに近くの交番に走りました。翌日、早速工事の一時中止と居住者への説明会が行われたそうです。そして、今回もすでに一度の学習を経験された居住者の皆様のご協力により、当初の規模から縮小され、また、危険防止の策をいくつか講じた内容で工事の再スタートが切られたのでした。
何か不思議なタイミングで同じようなことが続いた1年でしたが、どれも、一人では微力なことでも力を合わせる大きな力になることを痛感させられた年でした。きっと、もっともっと人と人の力を合わせることを学びなさいと、きっと誰かが教えてくれているのでしょう。
なお、ただ今 hotline(ホットライン)中央林間校前の花壇はクリスマスバージョンに変身中です。居住されている皆様の善意によるものです。毎年受験が近づくと温かく応援していただいています。
(ラッコ横山)
先週のある日、多摩センター駅周辺のファミリーレストランで昼食をとろうと出かけました。お腹をすかすために駅まで歩いて行ったのですが、まだもう一つ食欲がなかったので、ペディストリアンデッキ(歩行者専用デッキ)に設置されているベンチでしばらく休憩することにしました。この街のペディストリアンデッキは私が最も気に入っているものです。広々としていて緑もいっぱいです。パルテノン多摩というホールやサンリオ・ピューロランド、丘の上パティオといった商業施設もあります。今はクリスマスツリーを中心としたイルミネーションの飾りつけも済み、夜にはきれいな光の渦を見せてくれています。光はエコロジーに合わせて青色発光ダイオードによる青が中心で、これはフランスのパリのシャンゼリゼ通りのイルミネーションも今年からはこれが使われているようです。最近はどこの街にもあるクリスマスのイルミネーションですが、ここのクリスマスツリーのイルミネーションはもっとも古くからあるもので、十数年前にはテレビドラマ等の1シーンに良く使われていた伝統(?)のあるものです。
30分程休んでから食事に行こうと考え、持っていた雑誌を取り出して陽だまりの中で読んでいました。しばらくすると、
A「すみません。この辺りに郵便局はありますか。」
と中年の女性にたずねられました。こう聞かれてすぐに思いついたのは少し離れた所にある郵便局なのですが、すぐに多摩中央郵便局がペディストリアンデッキのはずれにあることを思い出しました。
私「それなら、この先にありますよ。真っ直ぐに行った所なのですが、あそこに看板が見えますね。」
A「わかりました。どうもありがとうございます。」
その人が立ち去った後、郵便局のATM機ならすぐ近くのスーパーにも設置されていることを思い出しました。でも、他の用事かも知れないからあそこでいいのだろうと自分に言い聞かせました。しばらくするとまた、
B「すみません。イトー・ヨーカドーがあると聞いたのですが、この近くですか。」
と30代前半の主婦らしき女性にたずねられました。きっと最近にこの近くに越してきたのでしょう。
私「それなら、そこの先がそうなんですが‥‥」と少し説明の言葉を考えていると、
B「あるんですね。ありがとうございます。」
と言って立ち去りました。あとで、何で“あそこに見える銀行の入っているビルの隣がイトー・ヨーカドーのビルです。”と的確に答えられなかったのかと、なさけなく思いました。とっさに聞かれると、意外とうまく答えられないものです。しばらく休んでから、近くのファミレスに行きました。
店内に入るとやってきた女性店員には「いらっしゃいませ。いつもご利用ありがとうございます。」と、帰りのレジの男性店員には「毎度、ご利用ありがとうございます。」とていねいにあいさつされました。2人とも店で言われたのではなく、自然と出てきた言葉のようです。お忍びでのんびりとしたいといった気分なのですが、週に1回は行っているので顔が知られているのは仕方がないのかも知れません。どうも、今日の運勢は『出会い運』が“吉”のようです。
帰りはモノレールに乗って帰りました。そして1つ目の最寄り駅に着いて改札を出ると、それまで改札前で携帯電話で話していた営業マン風の男性が私を見て近づいてきました。
C「すみません。○○小学校はこの近くにありますか。」
○○小学校は息子の通う小学校で、私の帰る方向にあります。
私「この道を真っ直ぐに行ってですね‥‥」
と言って、その後の説明を少し考えていると、
C「この方向にあるのですね。わかりました、ありがとうございます。」
と言ってさっさと行ってしまいました。もう少し待ってくれれば、“この道を真っ直ぐに行って、突き当りを左折して50m程歩き、右折してしばらく歩くと左手に○○小学校があります。”とうまく答えられたのにと後で思うのですが、とっさにはそこまで考えつきませんでした。道を聞く人は意外とせっかちな人が多いようです。そう考えると、自分も子供達に対していろいろと質問をするのですが、その答を聞くときにはもう少し時間をかけて待ってやらなければいけないなと反省もしました。以前、女子大生と思われる人に、近くにある野球のできる公園を聞かれたときに、ずい分と遠くにある公園を教えてしまったことがあります。その時はすぐ近くにある公園を思いつかなかったのです。きっとなかなか友人に会えなくて苦労したと思います。ですから道を聞かれたときにはできるだけうまく答えようと心掛けているのですが、なかなか成果は出ないものです。
ひまそうに見えるのか、お人よしに見えるのか昔から良く人に道をたずねられるのですが、この日のように1日に3人にも道を聞かれるのは初めてのことです。私流のギネスでの新記録だなどと考えながら家にもどりました。
カーネル笠井
今日、横浜に向かう電車で見た光景、
時代が変わったことを改めて感じました。
昼過ぎのすいた電車に乗り込んできた学生服の6人組が
私の前の席に並んで座りました。
乗っていたふた駅の間、互いにひと言もしゃべらず、
それぞれが携帯電話を操作していました。
目もあわせず、ただ画面を見ている姿は
奇妙で、携帯電話に管理されているようです。
私の育った頃は、家には一台しか電話はなく
コードレスでもありませんから、
取り次いだ母には誰からかかった電話かわかってしまいますし、
いやおうなく会話がまわりに聞こえてしまいます。
娘を育てた時期もパソコンも携帯電話も
今ほど普及していなかったので、
親の目が行き届く範囲でした。
今、子育てをしている親御さんは大変だと思います。
どこまで許して、どこまで厳しくするか、
日々悩まれるのではないでしょうか。
我家流を貫いてほしいと願いつつ、
それを実行していく難しさも伝わってきます。
福井
今週に入り、陽が落ちた後の冷え込みが
一段と厳しくなってきました。
昨日の気象協会の発表ではラニーニャ現象の
影響でここ三ヶ月程寒い日々が続くようです。
どういう現象というのは、理科担当に任せて
本格的な冬支度の時期を迎えています。
今日は勤労感謝の日、戦前の新嘗祭、
そして浅草では今年の酉の市が開かれています。
一度だけ子ども達を連れて
見に行ったことがあります。
電球に照らされた色とりどりの熊手や
威勢のいい一本締めの掛け声に
目をまるくしていました。
午前中久しぶりでお汁粉を作りました。
私の母の時代は時間をかけて煮ていましたが
圧力鍋で二十分、控えめのお砂糖に少量の塩
あっという間に優しいにおいに包まれます。
寒い日のおやつに是非
子ども達に小豆本来の味を伝えて下さい。
福井
朝、昼、晩の寒暖の差が日を追うごとに増してきているようだ。ジャケットのボタンを留めようとして、街灯と街灯の狭間を照らすかすかな光にふと気づいて見上げた空に、思わずこちらから微笑み返したくなるように、月が満面の笑みを浮かべこちらを見ていた。
微笑み返したくなった自分に滑稽さを感じて今度は吹き出したくなる始末。清廉な気持ちもまたたく間に消え去ってしまったが、背後にひかえるまたたく星といっしょに夜道を照らし、自分の後先左右とついてくる透明で柔らかな存在は、何かしら抱擁感と懐かしさを覚えるものだった。
輝くばかりの朝日がやがてその姿を見せるとわかっていても、それまでの時間がとても長いと感じるときがある。つらいこと、悲しいこと、明日になればと願うときがある。布団にもぐりこんで眠ってしまうこともできず、ぼんやり窓の外をながめ、やがて空に浮かぶ星や月を眺めて慰撫された記憶がかすかに蘇る。反対に、楽しいキャンプの夜に眺めた満天の空は、明日への期待を倍加させてはくれなっかただろうか。そこにはやはりいっしょに月がどこかで微笑んでいた気がする。
昨今、希望を無くした子供達の痛ましい事件が、大人のケースに隠れて新聞の隅に載ることが少なくない。胸のうちを誰にも打ち明けることもできず、うちひしがれた幼い心を思いやるに何ともせつなくやるせない。子供達には皆それぞれに眩しいばかりの未来が待っている。暗く方向を見失いがちな夜、光に溢れた明日を迎えるまでの間、常に傍を離れずに、微笑みながらそっと道を照らす、そんな存在としての大人のあり方が問われているのではないだろうか。
さてさて、清廉から感傷へと気持ちが移りかけてしまったが、受験生達の孤独もいよいよ募る時期である。この厳しさも子どもの成長にとって大切な経験だと信じている。がしかし、彼らを優しく受け止め、その後そっと背中を送り出す、そんな役割を誰かが担わなければならない。
話がさらに飛び、月と言えば小説や音楽、映画のタイトルではとてもロマンテイックな響きだが、ムーンライテイング(moonlighting) と言うと、夜働くとか、第二の仕事といった意味だそうである。うーん、我々の仕事は月の下で働く夜がメインだ。急に悲哀が押し寄せる。が、それでもまた新しい一日がもうじきやってくる。きっと晴天だ。
(秋元)
もう巷ではクリスマスモードに突入しています。今朝も中央林間校近くでは街頭でサンタがずっとクリスマスソングを歌っていました。きっと、毎日毎日ずっと歌い続けていることでしょう。
しかし、このロボットのように中学受験でも毎日毎日継続する重要性が問われています。その柱は「計算」と「漢字」です。意外にこの柱が盲点になっていて、つい応用問題とか記述などに目が行ってしまうのですが、先日の模試でも計算と漢字で実は差がついているのでした。
まだまだ丁寧にそして定石通りの「計算」と「漢字」を続けていきましょう。
(ラッコ横山)
毎年この時期になると思い出すことがあります。それはずい分と昔のことになるのですが、東京生まれの東京育ちの友人が毎年この時期になると「東京には秋がない。」といつもぼやいていたことをです。確かにその頃の東京には動植物が少なく、田舎のような紅葉やススキ、それに実りの秋を楽しむことはできませんでした。ただ灰色の秋といった印象でした。しかし一歩郊外に出ると燃えるような紅葉を楽しむことはできたのですが。しかし近年になると都内のいたる公園でも紅葉がじゅぶんに楽しめるようになってきました。東京都の樹木のイチョウの木もまだまだ幼かったものが立派な樹木に成長し、見事な黄葉を楽しませてくれるのです。明治神宮外苑のイチョウ並木の黄葉じゅうたんや立川の昭和記念公園のイチョウが、周りの風景にもあいまって素晴らしいと思います。
わが家の近くにも『大イチョウ』と呼ばれるイチョウの老木があります。老木の証とも言える乳根が枝のいたる所から垂れ下がっています。鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウにも引けは取らないものと思います。銀杏の落ちる頃になると、何人もの人がそれを拾いに来るためほとんど拾えません。でも風の強い日に行くと、拾われてしまった後でも平気なのです。1〜2分おきにボトッ、ボトッという音を立てて落ちてくるからです。ひまなときに20〜30分待てば充分に収穫できるのです。
銀杏拾いは毎年私の恒例行事として1〜2回行っています。拾うのはこの大イチョウではなく、多摩センター通りにあるイチョウです。多摩センター通りには車道の中心に広い中央分離帯があります。どこも幅が10m前後もある広いもので、ここにイチョウの木が植えられておて、秋になると見事な黄葉を見せてくれます。私のテリトリーとしているのは500mくらいの区間にあるもので、そのうち大きな実をつける5〜6本の木を目当てにしています。早朝に行き、まだ他の人に拾われていないと1本の木で20〜30個は拾えます。もし先に拾われてしまっていてもあきらめません。悪いことなのですが、少し助走をつけてその木に体当たりするのです。するとボト、ボト、ボト、と4〜5個落ちてくるのです。何回か繰り返して他の木に移動するのです。
銀杏はビニール手袋をして、くさい果実の中から種子だけを取り出して持ち帰ります。これを丸ごと持ち帰り、家の庭の土の中に埋めて周りの果実をくさらせて種子を取り出している人もいます。子供の頃、川に流れてくるクルミの果実を集めて、土に埋めて2〜3日後に取り出すと周りの果実が炭のようにカサカサに腐っていて、簡単に取り出せたのと同じ方法のようです。土の持っている不思議な力ですね。種子にはまだくさい果実がこびりついているので、これを牛乳パックに水と共に入れて振るのです。すると種子同士がぶつかり合ってこれがほとんど取れてしまいます。これを天日で2日ほど干して出来上がりです。
これを焼くのも私の仕事で、フライパンで焼くと一番おいしく仕上がります。でもこれは中々面倒です。ですから大抵はオーブンで5分間焼いてから殻を割って実を取り出して食べています。もっと手を抜くときには茶封筒に入れてレンジに1分かけてできあがりです。茶封筒に入れるのは、ポップコーンのようにはじけるものもあるからです。銀杏は風の予防に効果があるようなので、毎日5粒くらいはこうして食べています。ですからあまり味にはこだわらないことにしています。
(カーネル笠井)
今朝、家の前の通りからリコーダーの「ふるさと」が聞こえてきました。きっと音楽の授業でテストがあるのでしょうか、小学生のようです。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」は室生犀星のもの悲しい詩です。なぜだか田舎の川や田んぼ、夕焼けに赤く映える山々にトンボが飛ぶ映像が脳裏によみがえります。
18日 関東地方に「木枯らし 1号」が吹いたと気象庁が発表しました。そもそも「木枯らし1号」という呼び名は正式ではなく、10月から11月にかけて西高東低の冬型の気圧配置になり、北よりの風が風力8mを越えた時に発表されるようです。しかも、これは関東地方と関西地方にのみ発令されるそうです。
いよいよこれからが冬の本番を迎えます。空気も乾燥してきました。心なしか都会の雑踏を歩く人の足も早足のように感じます。寒さに負けないよう、志望校合格という熱い思いをしっかりと北風にぶつけましょう。
(ラッコ横山)
本日より、hotline(ホットライン)のスタッフブログはこちらに移転させていただきましたので、これからもどうぞよろしくお願いします。
hotline スタッフ一同
今年の流行語大賞の候補もでたようです。
書店に行くと「〜品格」「〜コミュニケーション」と
書名がついた本が売れています。
そんな中、手にした本
「世界一やさしい問題解決の授業」
(ダイヤモンド社 渡辺健介著)はおすすめです。
中高生向けに書かれたようですが
小学高学年なら充分理解出来ますし、
アイディア満載で大人も楽しめます。
中にはマッキンゼー社で働いて身につけた
問題解決の考えをやさしく説明してあります。
問題を「分解の木」を書くことで整理し、解決策を見つけていく。
私自身も授業にうまく取り入れて
子ども達自ら答に辿りつけるようにいかしていこうかと思っています。
書店で手にとってみて下さい。
福井
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