昨日四年生との授業がありました。
読解で扱ったシリーズの文章は、阪神大震災に被災した
小学六年生が主人公でした。
私の目には黒煙をあげて燃え上がる神戸の町や
傾いた高速道路の映像がくっきり焼きついています。
「小さくて覚えてないかしら。テレビで見た?」
私の問いかけに
「まだ生まれてませんでした」
mさんはにっこり答えてくれました。
そう、1995年はもう12年前のことです。
平成生まれの生徒を教えるようになったのは
つい最近のように思いますが、平成元年生まれは
もう二十歳近くになるのですね。
1995年は3月に地下鉄サリン事件もおきました。
今なお苦しんでいらっしゃる方も多いとききます。
少しでも明るい兆しが訪れる事を
願わずにはいられません。
福井
【偽】
2007年を表す漢字に決まったそうです。確かにいろいろな事件や事故が起きました。その背景には人をだます行為が強く感じられて選定されたのでしょう。
しかし、この字が今年の漢字かと思うと、考えさせられるものがあります。反省の1年として来年は夢のある漢字が選ばれればと期待しましょう。
(ラッコ横山)
ある夜遅く、帰宅するとなにやらテーブルの上に一つの山ができていました。明かりをつけるとそれはたくさんの単語帳の山でした。娘が暗記のために購入してきたようです。相変わらず要領が悪いからか性格なのか、未だに書いて覚える習慣が抜けないようです。思い返せば、小学校の低学年のころから書いて覚える日々を過ごきていたようです。
昨今はゲーム機で勉強ができたり、コンパクトなデジタル式の辞書や学習ツールもたくさん市場に出回っています。しかし、自分の手で手間隙をかけて作った単語帳のようなものも愛着があるのか、それともパーソナルで自分にとって使いやすいのか、それぞれのようです。
ラッコ横山
最近、子供達と話していておどろいたことがあります。それは、私のこだわりから考えると、とても有り得ないことでした。
私「プリンのカラメルソースって美味しいよね。」
生徒A「私はあんまり食べないで残しちゃうよ。」
私「え〜、どうやって残すの。」
生徒A「かき出すの大変だもの。」
私「プリンをお皿にのせて食べていないの。」
生徒A「カップに入れたままスプーンで食べているよ。出すの面倒くさいもの。」
私「プッチンプリンってあるよね。そのプッチンというのはお皿に出すときにプッチンと折るからなんだよ。」
生徒B「へ〜知らなかった。僕もカップのまま食べていた。」
私の大好きなカラメルソースを残すのに驚いただけでなく、ほとんどの子供達は市販のカップに入ったプリンを容器に入れたまま食べていたのです。
子供の頃、初めてプリンを食べたとき、上にのっているカラメルソースのおいしさにびっくりしました。そのときからカラメルソースのとりこになってしまい、おこずかいをもらうとプリンの素を買ってきて自分で作って何個も食べていました。粉末のカラメルソースを水で念入りに溶いて作っていました。ひっくり返して上にのったカラメルソースが周りにこぼれないようにいろいろと食べ方も工夫したものです。
カラメルソースは砂糖水を煮詰めて作ります。砂糖に少量の水を加え加熱していきます。途中茶色になったときに火を止めて、重そうを加えてかき混ぜるとふくらんでカルメ焼きになります。昔はお祭りで売られていた定番のお菓子です。重そうを加えずに更に煮詰めてこげ茶色になるとカラメルのでき上がりです。これは、かちんかちんに固まってしまうので、細かく砕き粉のようにしたものを少量の水で溶くとカラメルソースになるわけです。ただの砂糖があんなにこうばしくて美味しくなるのが不思議です。
つい先日、カラメルソースの味のとりこになっているのは私だけでないことを知りました。それはグルメ(?)なフランス人でした。フランス料理では多くの料理の下ごしらえとして、玉ねぎを長い時間をかけていためてきつね色にし、これにワインだのスープだのを加えて使っています。この作業をすると、玉ねぎに含まれている糖分がカラメルに変化するのだそうです。ですから多くのフランス料理の下味にはカラメルソースが使われていることになるからです。
日本でもシチュウーやカレーやスパゲティーのソースを作るときに玉ねぎのカラメルソース作りをすることが多くなってきました。でも、日本人はオニオンスライスなどでそのままの玉ねぎを食べることも多くあります。きっと、日本の玉ねぎはそのままでも美味しいのかも知れませんね。
カーネル笠井
「時を紡ぐ」
大好きな言葉です。
「過ごす」というと
通り過ぎていく感じがしますが、
「紡ぐ」という言葉には
大きな人生という布を
時間をかけて織り込んでいく思いがあります。
その糸は時に哀しい色だったり、
優しい温かい色だったり
それぞれの時の色が模様を織りなしていきます。
たくさんの色使いは
その色を使う人の心に寄り添えることでもあります。
そんな風に日々を経て、歳を重ねていくことが
自分の糧となっていくとしたら
とても有り難く、嬉しい事です。
福井
此処の所電車が遅れることが多くないでしょうか。
今日も田園都市線が人身事故で遅れていますと案内が出ていました。
年の瀬は街全体が後ろから急き立てられるような気忙しさや、
不安を感じます。
やらなければいけないことが目白押しで時間に追われたり、
体調が悪くても片付けなければならないこともあります。
そんな時は行動の優先順位をつけることをお勧めします。
思い付く限りやらなければいけないこと、
やりたいことを書き出しリストアップします。
そして、期日のあるもの、
こだわるところなどを考えて番号をふっていきます。
許容量をオーバーしていることに気付く事もあるかも知れません。
うまく組み合わせてショートカット方法が見つかるかも知れません。
コーチングではまず、自分のいる位置を把握することから
一歩を歩み始めます。
福井
年の瀬を迎える首都圏は心なしか人々の歩くスピードも早くなっているように感じます。都心のクリスマスイルミネーションもにぎやかです。あちこちで道行く人々が足を止めその様子を写真にとどめていました。
クリスマスや正月の準備も何かせかされる感じがします。今では2ヶ月も前から商戦が始まります。せかされると微妙に心が乱れます。逸る気持ちが予想もしない事態を引き起こすこともあります。
巷は年の瀬で慌しくても、受験生を取り巻く環境は落ち着いて勉強に集中できる静けさを保ってあげたいものです。決してせかさない配慮も大切です。
ラッコ横山
長嶋ジャパン・王ジャパンと育んできた日の丸魂が、闘将・星野監督のもと召集された選手・コーチ・そして裏方の皆さんの力によって花開きました。
久しぶりに手に汗を握る場面を体感できました。普段は別々のユニフォームを着た選手が、日の丸を背負うことで国の威信をかけて戦う同志となりました。長嶋監督も王監督も試合後に体調を壊し入院あるいは手術を強いられるほどのプレッシャーが日の丸にはこめられているのでしょう。その過酷さは想像もできません。
たくさんの人が同じ目標に向かって力を合わせることはとても素晴らしいことです。ちょうど高度経済成長期の日本はこのような状態がずっと続いていたのでしょう。誰もが迷うことなく勉強に仕事に汗を流していたことでしょう。しかし、現代では豊かな生活背景がどんどん個人主義に流れています。自分さえよければよいという考え方が、いろいろなところで影響を及ぼしています。
先日、若い技術者の世界オリンピック「国際技能オリンピック」の特集を見ました。金型製造など製品化する前の最も大切な特殊技能を競うイベントです。20年前までは日本がダントツの強さを誇った大会も、今では韓国をはじめアジア各国が追いつき追い越す勢いを見せています。選ばれた世界の若者が4日間もの長丁場で技を競い合います。
日本はこの20年で多くの製造現場を海外へ移行しました。同時に技術も海外へ輸出しました。そのことが国内の技術力向上を抑制し、さらには有能な技術者が活躍する場を失ったのです。今では各企業の中に「ものづくり塾」なる匠の技を伝承する場を設けないと消え行く運命にあるそうです。
結局、最も重視される金型では10年ぶりに日本の若者が優勝しましたが、金メダルの数では圧倒的に韓国の勝利となりました。国家を挙げて取り組んだ結果です。国と企業そして工業高校の連携が多くの有能な技術者を育てる取り組みになったようです。
最近のOECD発表によると、日本の子ども達の理数系離れと読解力の低下が顕著でした。高い学力も高い技術力も、ともに国を支える大事な力です。国を挙げての取り組みが急務なようです。まずは家庭でできること、自ら学ぶための訓練や創造するゆとりを大切にしていきたいものです。
10年ぶりに金メダルをもたらした若者を育てたコーチのコメントです。「全ての技術を教えることはしません。結局は自分で悩み工夫して考え出せてこそ、有能な技術者なのです。」
ラッコ横山
制限コード、精密コードとは、知人がよく保護者会などで話していた、子供、特に幼児の知力を伸ばす上手な子育てに関することです。制限コードとは、「あれ」「それ」などの代名詞を多用する会話のことで、精密コードとは、代名詞をあまり使わずに、常に主語と述語をはっきりさせる会話のことです。たとえば、精密コードだと「昨日買って来たオレンジジュースはまだ残っている?」としっかり話します。制限コードだと「昨日のあれ、まだある?」になってしまいます。良く会話のできている間柄であればこれで通じてしまい、“あ・うんの呼吸”のようで良いことのように思われがちです。ところが、こういう会話をしていると幼い子供の知力を伸ばすのには大きな障害となるのだそうです。できるだけ代名詞は使わずに、常に主語と述語をはっきり使う会話に心掛ければ、子供の知力は自然と大きく伸びるのだそうです。
若い頃はほとんどそんなことは何も考えずに子育てをしていましたが、最近になりだいぶ状況が変わってきていることに気がつきました。
妻「おいしいケーキをいただいたの。今食べる?」
私「今食べると胃がもたれるから、夕食のときに出して欲しいんだけど。」
妻「じゃあ、そうするね。」
私「ところで、昨日たのんでおいたトレーナーの洗濯はできている?」
妻「もう朝から干してあるから、すぐに出すね。」
---数分後---
私「あれ、出してくれた。」
妻「あれは夕食のときって言っていたのに、もう食べるの?」
会話をしていても、考えていることは自分の興味があることが中心になってしまっているのです。お互いの“あれ”はちがっていて、お笑いコンビのアンジャッシュがよくする漫才のようになっていたのです。
孫と言われても不思議のない年令で子供ができたことを機に、私の提案で精密コードの会話をしようと妻と約束しました。ついでに、あんまり幼児語は使わずに育てることも同時に約束したのです。初めは、妻が私に注意されることがほとんどでした。
妻「あれ、してくれた?」
私「何のことか、さっぱりわからないよ。」
妻「夫婦なんだからそれくらいのこといちいち説明しなくたってわかるでしょう。そんなことまで説明しなくちゃいけないなんておかしいわよ。」
と逆切れしていました。それでも、子供のためだからと言うと何とかおさまっていました。しかし最近ではこの逆が多くなってしまったのです。
私「あれは何でいつまでもあんな所に放ってあるの?」
妻「主語を言ってくれないと何のことかわかりません。」
などと冷たく言われて、ついムカッときてしまうのですが、言い出しっぺは私です。じっとがまんして言い直すことが多くなってしまいました。この精密コードの会話に気を使うようにすると、もう一つの約束事であった幼児語の方は自然と使わなくなっていました。
さて子供の方はと言うと、はじめから大人の会話の中で育ったせいか、言葉に対する興味は上の兄弟達よりもかなり進んでいるようです。しょっちゅう「救急って何のこと?」などと説明を求められて答えるのがなかなかやっかいです。まだまだこの先のことはわかりませんが、この精密コードによる会話は多少なりとも子育てに効果があるようです。チャンスのある方はぜひ試してみてはいかがでしょうか。くれぐれも夫婦げんかにならないように注意をしながらですが。
カーネル笠井
東京の紅葉が見頃です。
土曜日、中央林間校から帰る電車の車窓も見事でしたが
昨日は家の近所を散歩しました。
銀杏や紅葉が陽ざしの中で誇らしげでした。
昨日はまた、家を離れ働いている娘が帰京していました。
体が弱かったので、まずは元気にと
アトピー体質が、少しでも良くなるようにと
成績が伸び悩んだ時には、何が彼女の持ち味かと
たくさん悩んだ子育てでした。
心配は尽きませんが、今は立派に自立しています。
彼女の周りを取り巻く優しい雰囲気に
家族全員が癒された一日でした。
福井
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