長寿大国の日本。その中で男性の長寿日本一の都道府県は長野県なのです。そこで生まれ育った私なので、その理由を自分なりに考えてみました。
少し前に話題になった、中国産の偽ハチミツ問題。白砂糖を煮詰めてカラメル状にしたものに、クエン酸と少量の本物のハチミツを加えて作っているそうです。中国でのハチミツの生産量は年間20〜30万トンですが、流通量は年間50〜60万トンもあるそうです。この数字を見ただけでも偽物がいかに多いかがわかります。そして、日本で流通しているハチミツは国産が約5%足らずで、中国産が約90%にも上るのです。ということは、ほとんどが偽物ということになってしまいます。
わが家では必ず“純粋ハチミツ”という表示のものを買ってきて使用していますが、考えてみれば昔食べていたものに比べてやはり値段はかなり安いのです。それに以前食べていたものは、たいていもっと広口のビンに入っており、何回か使うとフタの周りにクリーム色の固形物ができていましたが、どうやらこれが本物の証拠だったのかも知れません。つまりここ10年近くはきっと偽物のハチミツを中心に食べていたようです。しかし個人的にはハチミツにもローヤルゼリーにもそれほどの価値を感じていなかった私は、妻やその他周りの人達ほどこのニュースを聞いてのショックはありませんでした。どちらかというとむしろ白砂糖派の私は、興奮している妻の横で「それでも本物のハチミツが少しは入っていたから良かったじゃない。」等と言って余計妻を怒らせてしまいました。
私がハチミツに価値を感じなかったのは、ハチミツだけをエサとしているミツバチの成虫の寿命が1〜2週間程度しかないからです。ハチミツの主成分は糖質で、この他に90種以上の微量成分が含まれているといわれていますが、これを主食としているミツバチでもこの程度しか生きられないのです。それに比べてその40倍以上も長く生きる女王蜂はローヤルゼリーをエサとしています。ローヤルゼリーは働きバチが花の花粉を体内に取り入れ、これを分解・合成してだ液腺から分泌するもので、女王蜂になるよう虫のエサとなります。これにはハチミツの糖質の他にたんぱく質や脂質も含まれていて、これをエサにすると体も大きく成長し、長生きもできるのです。でも人間はこれにあたる成分を肉や納豆やその他の食品で充分に摂っているはずです。ですから、ローヤルゼリーが優秀というよりもハチミツにはそんなに栄養がないと考えているからです。
ハチミツのもととなる花の蜜は植物が花粉を運んでくれるミツバチ等を引き付けるために作られたもので、花粉は自分の子孫を残す為に作られたものです。ですから、他の動物達のエサとなるものを完全なものとして作ってくれるはずがないのです。それでもミツバチは花粉を利用する知恵と機能を身につけて生きてきたのです。
こう考えると、植物は一番大切な養分をどこに貯えるのだろうかということが問題になります。まず種子が考えられますが、もう少し視点を変えて考えると地上部よりも地下部の方がより重要な気がするのです。つまり人の食物で考えると根菜が最も栄養が詰まった食物なのではないでしょうか。
長野ではニンジン、ゴボウ、ダイコンの他、長イモ、里芋、ジャガイモ、コンニャクなどの根菜が常に食卓に上がります。この辺に長寿の秘密があるような気がします。
カーネル笠井
今日は桃の節句です。
これからは、花が咲くのが待ち遠しい季節です。
沈丁花はほのかに香りはじめ、
散歩道の木蓮や辛夷のつぼみもぷっくりと膨らんでいます。
そして我家のベランダでは、三年越しのシクラメンが花を数輪咲かせています。これから5月頃まで次々と花をつけてくれます。
12月店頭で売られるシクラメンはクリスマスにあわせていますが、
家で夏越ししたものは今頃から花を咲かせます。
花の終わったシクラメンがおありでしたら、
夏は水を切る位にほっておいて大丈夫。
そのまま冬までとっておいてください。
そう、チューリップの開花も待たれます。
のぞくとピンク色の花びらが顔をみせはじめています。
福井
先日、テレビの番組でエコクッキングということで、カレーを作ったらその残りを使ってカレーコロッケを作り、さらになべの壁にこびりついたカレーを使ってカレー風味のポタージュを作るというものを放送していました。実は、わが家ではずい分と前からカレーの次の日は前日のカレーの残りを使ってカレースープを作るというのが定番になっています。残ったカレーに水とだしを加えて温めます。暖まったところで玉ねぎのみじん切りを加えて出来上がりという簡単なものです。生に近い玉ねぎの食感がとても良く、カレーとは異なる料理として飽きずに食べ続けています。
次のに日にカレースープが出ることがわかっていると、もう少し食べたくてもおかわりをすることを控えられます。おかげでつい食べ過ぎてしまうことがなくなりました。これが一番の効用だったのかも知れません。
わが家のカレーの定番は、SBゴールデンカレーの辛口にハウスバーモンドカレーの甘口を半々に混ぜて使っています。なぜか市販のカレールーは複数のメーカーのものを混ぜるとよりおいしくなると思います。以前は子供も食べられるようにと甘口のカレーを作り、私だけが赤トウガラシのスパイスを振りかけて辛くして食べていたのですが、このカレーなら子供も食べられるのです。
カレーがたくさん残った翌日には、よくカレーうどんを作ります。うどんはかけうどんと同じように作り、スープだけは3分の1程度にします。そこにカレーをたっぷりとかけるのです。食べているとカレーとうどんの和風だしとが少しずつ混じってきて“おそば屋さんのカレー”といった風合いが楽しめるのです。是非、お試し下さい。
カーネル笠井
小田急線の各駅には待合室が設けられました。何か昔を思い出す懐かしさがあります。近代的な冷暖房完備のちょっとした場所です。
東急田園都市線の各駅には複数のベンチが設置されました。同時にエレベータやエスカレータも取り付けられました。電車もさまざまな配慮がなされています。感心なのはつり革です。これまでは全て同じ高さで一律に取り付けられていたものが、背の低い人向けに下に下げて取り付けられているものがあります。人に優しい工夫はあちこちで目に触れるようになっています。
ラッコ横山
デジタル化がどんどん進んでいます。そしてこのことが子どもを取り巻く環境にまでいろいろな影響を及ぼします。もちろん、プラスに作用することがたくさんで、普段の生活全般だけでなく、勉強や連絡、遊びにいたるまで、とても便利になったと思います。いつも電車に乗ると、乗客の過半数が携帯電話でメールかゲームをしている昨今、老人から小学生までも浸透しつつあるようです。
しかし、その反面、失われつつあるもの、弊害になってきていることも現実にはあるようです。最も大きな影響は人と人とのコミュニケーションではないでしょうか。「KY」に形容されるように相手の気持ちが理解できない、自己中心的な個人の集まりがそれぞれ集団を形成しているようです。それは子ども達だけにとどまらず、大人の中にも増えているようです。学校や会社さらには日々広がる身近なコミュニティも限りがありません。
子どもの勉強で言うと、「国語」を中心とした文章の読み取りに影響が出ています。作者の考えが理解できない、登場人物の心情把握ができないなど。論説文・説明文を嫌う子も増えています。中でも間接的な表現に弱くなっています。
今や大学にも「コミュニケーション学科」なるものが存在するほどです。人間社会における基本原則でありながら、その術を知らない人々の割合が急増しているようです。きっと自分自身もそうなのかも知れませんが、その尺度を測ることも難しいのではないでしょうか。だからこそ、何かで評価あるいは数値化することも今の時代を反映しています。見えないものをどんどん見えるようにしているのが近年の傾向のようです。しかし、このコミュニケーションはマニュアル通り、あるいは事例に従ってと言ってもそれが全てに当てはまるとは限りません。
そうならないためにも、できるだけ小さなうちから子どもと同士の関わりを多く持ち、さらに多くの大人との接点を持たせながら、家あるいは家族間では限界がある体験を積ませてほしいと思います。子ども達にこのような場数をどれだけ踏ませられるかが現代の課題のように思います。限られた空間や人間関係に押し込めず、どんどん可能性を広げていきましょう。
ラッコ横山
若い頃、ぜん息の発作で5〜6回ほど苦しんだことがあります。そのきっかけは、私の場合夜遅い夕食を目一杯食べた後にその発作が起こることがほとんどでした。のどがヒューヒューと音をたて、呼吸が困難になりました。苦しくて横にもなれず、四つんばいになり妻に背中をさすってもらってやっと呼吸ができるという状態でした。「病院に行ったら。」という妻の言葉に、病院ぎらいの私は、「これくらい大丈夫、すぐに治るから。」と言って、何とか発作がおさまるのを待ちました。しばらくすると私の背中をさすってくれていた妻はそのままの格好で寝てしまい、水におぼれているといった状態が3〜4時間も続きました。いつ死んでも不思議じゃないなとさえ思いました。四つんばいのまま苦しみ続け、何とか明け方になって発作がおさまりやっと眠りにつけました。
翌日、やはり病院に行きたくなかった私は早速薬局に行って、ぜん息に効く薬がないか尋ねました。するとそんな薬があったのです。市販の薬ですがかなり強い薬のようで、子供などが間違って飲んだりしないようにフタに工夫がされていました。ただ回しても開かないのです。フタをいったん下に押し付けて、そのままの状態で回さないと開閉できないといった仕組みでした。
薬に安心した私は、その後もこりずについ食べ過ぎて発作をおこすことが何度かありましたが、その薬を飲むと発作はおさまっていました。ある日、またその発作がおきてしまいました。早速その薬を飲んでおさめようと思い薬を用意しました。その薬は糖衣錠になっていて、口に入れたときには甘く、それを白湯で飲み込みます。この日は、こんなに良く効く薬はどんな味がするのだろうと思い、すぐには飲み込まずに口の中で糖衣がなくなるまでなめていました。すると間もなく、その薬本来の味がしてきました。その味はあまりにも苦く、すぐに口からはき出してしまいました。それでも口が曲がってしまうという表現がぴったりするような、口の中がしびれてしまったような状態でした。こんなものを体の中に入れて本当に大丈夫なのだろうかと真剣に思いました。しかしぜん息の発作も苦しく、新しい薬を出してすぐに飲み込みました。
それ以来その薬を飲むことに大きく抵抗を感じるようになり、自然と食べ過ぎも控えるようになりました。ぜん息の発作もきついのですが、その薬の苦さはもっと強烈に感じました。そのうち胃も弱くなり、もう以前のような食べ過ぎもできなくなり、ぜん息の発作もそれ以来おこしていません。
“良薬は口に苦し”と言い、この薬が良薬かどうかはわかりませんが、確かに良く効く薬でした。この味は、子供のころにお腹をこわすと『クマの胃』という名前の、クマのたんのうから作られた薬を飲まされましたが、この味に良く似ています。恐らく、強いアルカリ性のクマの胆液をかためたものなので、苦い味がするのだと思います。最近は胃酸過多になり胸焼けがするとアルカリ性の重そうを薬代わりに飲んでいますが、これもかなり苦い味がします。どうやら私にはアルカリ性の苦い薬との縁は切り離せないようです。
カーネル笠井
駅や工事現場の誘導の人が誰彼ともなく
「おはようございます」「お気をつけて」と声をかけてくれます。
けれども、行きかう人々にあいさつを返す人はみあたりません。
あいさつの一方通行はむなしいもの、
いつかきちんと言おうと思いつつ、
軽く会釈して通り過ぎるのがせいいっぱいの私。
赤い羽根募金活動をする小学生の中を
胸の羽を見せながら、申し訳なく通る気持ちです。
あいさつは、人とのコミュニケーションの第一歩です。
どんなに、親しくなっても省くことなく
やり続けたいたいと思います。
明日こそは勇気を奮って、小さな声であいさつしてみたいと思います。
福井
関東地方に春の訪れを告げる「春一番」が吹きました。午後からの風は人々の往来にも影響を与えるほどでした。
二子玉川駅は屋外の高台にあるため、夏は熱波や台風の豪雨、冬は吹雪をまともに受けます。その反面、夕焼けは富士山をバックに壮大な自然の美しさを堪能させてくれます。夏の花火大会も、多摩川を彩るたくさんの演出に見とれてしまいます。自然環境をまともに受ける駅ですが、でもだからこそ体感できることもたくさんあるお気に入りの駅の一つです。
昼過ぎの二子玉川駅ホーム周辺は全体が黄色く見えるほど砂埃が舞っていました。風の力強さを感じることができます。同時に春の到来を体感するひと時でもありました。
同時に花粉症の人にとっては辛い辛い時期の到来でもあります。マスクが飛ぶように売れています。教室でもマスクをかけた子どもが増えました。
春は卒業シーズンでもあり、入学の時期でもあります。恩師や友達との別れもありますが、これからの人生に大きな影響を与える出会いもたくさんあります。小学6年生はいよいよ中学生に、中学3年生は高校生に、そして高3生は大学生になます。それぞれの春を迎えようとしています。
成長の春、子どもらしくたくさんの可能性にチャレンジしていきましょう。
ラッコ横山
最近、担当している生徒2人から相次いで同じような相談を受けました。それは、こんなことです。
Aさん「先生、偏差値をどうしても10上げたいんだけど、私にできるかなあ。」
私「できるよ、簡単に。」
Aさん「え〜本当。だってお母さんが他の所で相談したら、すごく難しいことだって言われたみたいだよ。」
私「それはそうだよ。どこでもお母さんにはそう答えるよ。」
Aさん「それじゃあ、どうすればいいの。」
私「勉強に取り組む姿勢を変えれば、必ず上げられるよ。」
Aさん「どう変えればいいの。」
私「幸運かどうかわからないけど、Aさんの勉強に取り組む姿勢はまだ悪い所だらけだから、それを変えればいいんだよ。」
Aさん「え〜ひどい。」
私「だって、まだ大事なことを真剣に理解しようとしていないんだもの。」
Aさん「そうかあ。」
私「たとえばね、基本問題・練習問題・応用問題と分かれていたら、練習問題までは確実に理解しようという姿勢で取り組めば今の偏差値よりも10上がって、偏差値60はいつでも取れるようになるんだ。ただし、どの単元もモレがあってはだめだから、今までの分を取り戻すのに少し時間がかかるけれどね。」
Aさん「練習問題までできればいいのね。だったらできるかも知れない。」
私「取り合えず、少しがんばってみたら。」
Aさん「うん、やってみる。」
偏差値を10上げるなどと書くと夢のような話だと言われてしまうことが多いのですが、わずか2〜3ヶ月でこれを実現している生徒がたくさんいることは事実です。そして、その子達に共通しているのは勉強に取り組む姿勢が変わったことだと思います。今まで基本問題までが理解できればいいやと考え、少し複雑な練習問題ではわからないことが多く出てくるのですぐに無理と決め付けてしまうことがほとんどなのです。ところが、練習問題までは理解しなくちゃだめなんだと本人が意識して本気で考えるようになると、誰でもちゃんと練習問題まではこなせるようになるものなのです。
高校野球で、いつも地区予選の1回戦で敗退していたチームが、指導者が変わったことで準決勝あたりまで駒を進められるようになったという話を良く耳にします。やはり練習の質が大きく変わったからだと思います。勉強のレベルアップは運動ほどやればすぐに上達するというわけにはいきません。運動以上に本人の取り組む姿勢が大きく影響するからです。でも逆に、本人がその気になれば大きく変わるのです。
親から「自分の子供の偏差値を10上げたい。」と相談されても「子供の勉強に対する姿勢を変えればできますよ。」とは答えられません。実はこれが一番難しいことで、これを強いると大切な親子関係がとても悪くなってしまうからです。ですから大抵は「難しいですね。」となってしまいます。ところが子供本人から相談されると「簡単にできるよ。」と答えることができるのです。本人にその気があるのなら、取り組む姿勢はすぐにでも変えられることが多いからです。
子供達が本気で勉強に取り組むようになると、勉強しているときの体の姿勢も自然と変わってきます。背筋はぴんと伸び、使っていない左手もしっかりとテキストを押さえたり、ノートを支えたりしています。勉強も真剣にするときには頭だけじゃなくて体全体を使わなくてはならないからです。
今年の中学受験も一段落ついて、やっと一息といった気分でしたが、知らないうちにもう次の学年の受験学年がスタートしていました。子供達の意識も例年に比べて高いようです。塾でできること、家庭でできることをうまく分担して、良い二人三脚が組めればと思います。
カーネル笠井
先日の算数の授業風景です。
(先生)「鳥の足は何本?」→(Wさん)「4本!」・・・?
(先生)「じゃあYさん!鳥の足は何本?」→(Yさん)「4本!」・・・?
足の本数と聞かれると足の指の本数を思い出すのか、またはこれまでまじまじと見たり、考えたりすることがなかったのでしょうか。
さらに、国語の授業風景です。
(先生)「小春日和とはいつですか?」→(複数の生徒)「春です!」・・・?
今度は社会です。
(先生)「衆議院と参議院ではどちらの任期が長いですか?」→
(複数の生徒)「衆議院の方が人気があります!」・・・?
このようなことは氷山の一角かも知れません。常識が常識でなくなっている今日、当たり前だと思っても日々、子ども達に確認してみたいと思います。
おまけにもう一つ。今年のある私立中学校入試でのできごとです。試験中に受験生のお母さんから学校へ電話が入りました。「うちの子、今そちらで試験を受けているのですが、別の学校に合格したので、今すぐ帰らせてもらえますか?」
子どもの世界だけでなく、今や大人の世界でもこのようなことが起こっています。
ラッコ横山
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