最近、担当している生徒2人から相次いで同じような相談を受けました。それは、こんなことです。
Aさん「先生、偏差値をどうしても10上げたいんだけど、私にできるかなあ。」
私「できるよ、簡単に。」
Aさん「え〜本当。だってお母さんが他の所で相談したら、すごく難しいことだって言われたみたいだよ。」
私「それはそうだよ。どこでもお母さんにはそう答えるよ。」
Aさん「それじゃあ、どうすればいいの。」
私「勉強に取り組む姿勢を変えれば、必ず上げられるよ。」
Aさん「どう変えればいいの。」
私「幸運かどうかわからないけど、Aさんの勉強に取り組む姿勢はまだ悪い所だらけだから、それを変えればいいんだよ。」
Aさん「え〜ひどい。」
私「だって、まだ大事なことを真剣に理解しようとしていないんだもの。」
Aさん「そうかあ。」
私「たとえばね、基本問題・練習問題・応用問題と分かれていたら、練習問題までは確実に理解しようという姿勢で取り組めば今の偏差値よりも10上がって、偏差値60はいつでも取れるようになるんだ。ただし、どの単元もモレがあってはだめだから、今までの分を取り戻すのに少し時間がかかるけれどね。」
Aさん「練習問題までできればいいのね。だったらできるかも知れない。」
私「取り合えず、少しがんばってみたら。」
Aさん「うん、やってみる。」
偏差値を10上げるなどと書くと夢のような話だと言われてしまうことが多いのですが、わずか2〜3ヶ月でこれを実現している生徒がたくさんいることは事実です。そして、その子達に共通しているのは勉強に取り組む姿勢が変わったことだと思います。今まで基本問題までが理解できればいいやと考え、少し複雑な練習問題ではわからないことが多く出てくるのですぐに無理と決め付けてしまうことがほとんどなのです。ところが、練習問題までは理解しなくちゃだめなんだと本人が意識して本気で考えるようになると、誰でもちゃんと練習問題まではこなせるようになるものなのです。
高校野球で、いつも地区予選の1回戦で敗退していたチームが、指導者が変わったことで準決勝あたりまで駒を進められるようになったという話を良く耳にします。やはり練習の質が大きく変わったからだと思います。勉強のレベルアップは運動ほどやればすぐに上達するというわけにはいきません。運動以上に本人の取り組む姿勢が大きく影響するからです。でも逆に、本人がその気になれば大きく変わるのです。
親から「自分の子供の偏差値を10上げたい。」と相談されても「子供の勉強に対する姿勢を変えればできますよ。」とは答えられません。実はこれが一番難しいことで、これを強いると大切な親子関係がとても悪くなってしまうからです。ですから大抵は「難しいですね。」となってしまいます。ところが子供本人から相談されると「簡単にできるよ。」と答えることができるのです。本人にその気があるのなら、取り組む姿勢はすぐにでも変えられることが多いからです。
子供達が本気で勉強に取り組むようになると、勉強しているときの体の姿勢も自然と変わってきます。背筋はぴんと伸び、使っていない左手もしっかりとテキストを押さえたり、ノートを支えたりしています。勉強も真剣にするときには頭だけじゃなくて体全体を使わなくてはならないからです。
今年の中学受験も一段落ついて、やっと一息といった気分でしたが、知らないうちにもう次の学年の受験学年がスタートしていました。子供達の意識も例年に比べて高いようです。塾でできること、家庭でできることをうまく分担して、良い二人三脚が組めればと思います。
カーネル笠井
先日の算数の授業風景です。
(先生)「鳥の足は何本?」→(Wさん)「4本!」・・・?
(先生)「じゃあYさん!鳥の足は何本?」→(Yさん)「4本!」・・・?
足の本数と聞かれると足の指の本数を思い出すのか、またはこれまでまじまじと見たり、考えたりすることがなかったのでしょうか。
さらに、国語の授業風景です。
(先生)「小春日和とはいつですか?」→(複数の生徒)「春です!」・・・?
今度は社会です。
(先生)「衆議院と参議院ではどちらの任期が長いですか?」→
(複数の生徒)「衆議院の方が人気があります!」・・・?
このようなことは氷山の一角かも知れません。常識が常識でなくなっている今日、当たり前だと思っても日々、子ども達に確認してみたいと思います。
おまけにもう一つ。今年のある私立中学校入試でのできごとです。試験中に受験生のお母さんから学校へ電話が入りました。「うちの子、今そちらで試験を受けているのですが、別の学校に合格したので、今すぐ帰らせてもらえますか?」
子どもの世界だけでなく、今や大人の世界でもこのようなことが起こっています。
ラッコ横山
<中央林間校の花壇は季節感たっぷり>
朝晩はまだまだ寒さも厳しいのですが、昼間は徐々に気温も上昇してきています。電車の中ではコートを片手に移動する人も見受けられます。
中央林間校と上野毛ブランチの花壇には小さな新芽を見ることができます。春の息吹です。季節の移り変わりには自然の偉大さを感じることができます。普段は止まらない場所で足を止める。日ごろは見えない目の高さであたりを見る。そんな変化だけでも今まで気がつかなかったことに触れることができるものです。
忙しい毎日ですが、子ども達と普段と違う目線で季節の移り変わりを共有してみてはいかがでしょうか。ちなみに今夜は満月です。
ラッコ横山
先日、春が待ち切れなくて、府中市にある「郷土の森」に梅の花を見に行ってきました。ここには60種、約1100本の梅が植えられていて、長い間いろいろな梅の花と香りを楽しむことができます。ところが、昨年と同じ時期に行ったのですが、その時と比べてみると今年の方が咲き始めが遅く、まだ2〜3分しか咲いていませんでした。そのため、一番の楽しみにしていた梅の花の香りもまだわずかしかかぐことができませんでした。
風はあまりなかったのですが気温は低く、園内の茶屋で焼きたての団子と甘酒を飲んでやっと一息つくといった状況でした。実はこれが二番目に楽しみにしていたもので、こちらの方は満足できました。昨年は2月14日には春一番が吹いていました。しかし2月20過ぎにその冬の最低気温を記録するなどと変則的な冬でしたが、今年は春の訪れはもっと遅いようです。
郷土の森にはプラネタリウムもあります。そこには星に関する数々のデモンストレーションも備え付けられていて、星に興味を持たせてくれるようになっています。メインのプラネタリウムでは、今日は「銀河鉄道」というタイトルのものが上映されていました。ここでは、今頃見えている星座を中心にいろいろな星の話を説明してくれた後、テーマ物の上映をするという形式を取っており、小さな子供でも充分に楽しめるはずです。
園内は広々としており、梅の木の他に福寿草や水仙といった植物も沢山植えられています。また、ここで取れた梅の製品も数多く販売されていたり、その他に水車や古民家といった展示物も盛り沢山で、一度は子供を連れて行ってみてもらいたいスポットの1つだと思います。
鉢植えの梅も負けじと七分咲き(昨年行った時に作りました)
カーネル笠井
土曜日から遠出をしていて先程戻って来ました。
夕方5時位に車中で富士山を左手に見たら、
夕陽どころか、陽ざしに守られ、雪の帽子を輝かせていました。
2月を半ばを過ぎて
春が一歩ずつ近づいてきます。
梅の開花、行きかうメジロたち。
自然は分け隔てなく、生き物に降り注いでくれます。
それを感じる心を育てていきましょう。
春のノックを聞き漏らさないように。
福井
ずい分と前のことですが、ある2月の日曜日の早朝、以前住んでいた吉祥寺から千歳烏山に向かうバスの中にいました。何の変哲もない晴れた日曜日でした。暖かいバスの中でついうとうとと眠りかけていたとき、そのバスが突然急ブレーキをかけて停車したのです。何か事故でも起きたのかと思いバスの前方を見たところ、前面のガラスは真っ白にくもっていて何も見えませんでした。そして横の窓ガラスも真っ白になっていて、手でふいてもそのくもりは取れませんでした。まるでバス全体が厚い雲の中にでも入ってしまったようでした。周りの乗客達もざわめき始めたとき、運転手がワイパーを動かしました。すると前面のガラスのくもりはきれいに取れ、そこから見える景色はさっきと同じ何の変哲もない晴れた景色でした。冬のこの時期、窓ガラスがくもるのは必ず暖かい内側の方です。ところがこのときはバスの外側が一瞬にしてくもってしまったのです。
少し考えてようやく謎が解けました。バスの内部よりも暖かくてしめった風の中にバスが入ったからなのです。そう、春一番の風だったのです。さっきまでは周りの空気よりも暖かいバスの窓ガラスでしたが、この春一番の風よりはずっと冷たかったため、暖かい風に含まれていた水蒸気がこの窓ガラスによって冷やされて水滴になって窓ガラスについたのです。生涯まだたった1回だけの経験ですが、不思議なことってあるものですね。
ここにきて、真冬に逆もどりしたような寒い日が続いています。春一番が本当に待ち遠しいですね。
カーネル笠井
今日は久しぶりに渋谷を通り、時々立ち寄るお蕎麦屋さんへ入りました。すると、私立小学校に通う男の子を連れたお母さんが店に入ってきました。しかし、男の子は何も食べず、テーブルに突っ伏し、いつの間にか眠ってしまったのです。その間、あなたが遅くまで起きているからとか、言ったのに聞かないからとか、何か友達同士のようなせりふを男の子に浴びせてながらも、もくもくと蕎麦をすするお母さん。周りのお客さんもちょっと不思議な様子で見ていました。
それから自由が丘を経由して上野毛に。今度は自由が丘駅の階段。お母さんがとても怖い表情で子どもの手を強引にひっぱり階段を上ってきます。手を引かれる子どもは下を向いてうつむいたまま。きっとお母さんに叱られたのでしょう。足取りも重く辛そうでした。周りの雰囲気もちょっと重くさせてしまいます。
疲れている子ども達が多いのでしょうか。しかも遊び疲れのようにすがすがしい疲れではなく、勉強や習い事、あるいは塾通いで肉体的・精神的に疲れているのかも知れません。
ラッコ横山
中学受験が終わったら、2週間は存分に遊ぶよう子ども達に言ってあります。・・・存分にです。
ところが、一週間もしないうちに教室へ顔を出すものです。結局、この受験を通して学習習慣がしっかりと身についたのです。だから、毎日計算や漢字、授業の予復習をしないと落ち着かなくなったのでしょう。
面白いものです。こうして子ども達は幼い小学生の遊びを卒業し、中学生に成長していくのです。
それまでは、存分に遊ばせてください。すぐに気がつくはずです。
ラッコ横山
中学入試もひと段落した昨日、今年も高尾山までスギ花粉を取りに行ってきました。何のためにかと言うと、スギ花粉茶を作って飲むためにです。3年前から始めて今年で4年目になるのですが、ここまでは思惑通りひどかった花粉症が和らいできた気がします。3年前は記録的に花粉の多くとんだ年で、スギの木にも雄花たくさんつき、枝が重みでたれ、先はオレンジ色に見えるほどでした。昨年、一昨年は元気のない雄花が多く、色もうす茶色で量も少なく、そのためか花粉症もやはりほとんど苦痛にはなりませんでした。今年の花粉はそれに比べるとはるかに多いのですが、3年前に比べれば約半分といった印象でした。3年前は雄花も大きくふくらんでいて、指でつつくと黄色い花粉がボトボトとこぼれ落ち、不気味ささえ感じたほどでした。取り合えず、一週間飲み続けてその様子を次回にお知らせします。
高尾山には妻と息子も車に同乗して行きました。妻の目的の第一は、途中にある有名なお豆腐屋さんでおからドーナツと豆腐を買い、無料でもらえるおからをたくさんもらって帰ることでした。しかし残念ながら午後だったため、おからドーナツは売り切れておりおからも午前中になくなってしまったそうです。あいにく今日は休日の為、多くの山登りの客が立ち寄って買っていってしまったようです。仕方なく豆腐と厚揚げを買って帰ったのですが、この厚揚げのおいしさは感動ものでした。そしてもう一つ、高尾山の名水をペットボトルにくんで帰ることです。車を降りた所から15分ほど上った所にあるわき水です。山道は先日降った雪が10cmほど残っていて歩くのが大変でした。道ばたにはいくつもの雪だるまが残されていました。こんな所まで来て雪だるまを作る人がいるんですね。でも雪の山歩きをする年配の人達は本当にたくさんいました。すべりながらも何とかペットボトル3杯分の水をくんで帰り、さっそく紅茶を入れて飲みました。おそらく豆腐がおいしいのもここの水がおいしいことが大きな要因の一つのようです。
今年はすでにスギ花粉が舞い始めているようです。くれぐれもご注意ください。
カーネル笠井
人の出会いもご縁が大きく影響するものですが、学校選びや進学もご縁が大事です。どうしても一番行きたかった学校には残念ながらご縁をいただけなかったとしても、他にご縁をいただいた学校とは、何か特別の意味があるものです。
中学受験は人生の上では通過点であって終着点ではありません。そしてその選択肢はざまざまです。もちろん第一志望の学校に進学する子もいれば第三志望、第四志望の学校に進学する子もいます。そしていずれの場合も志望校に変わりはありません。
中学受験に限ったことではありませんが、人生において何度かのクロスポイントがあります。この時、人は真剣に自分の人生を見つめます。実はこれが生きる肥やしになるものです。そう何度も通過するものでもありませんから、クロスポイントに差し掛かった時は、その機会を大切に見つめてほしいと思います。
人生の岐路、そしてご縁を大切にしたいものです。
ラッコ横山
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