「またわたしは、あなたが私にくださった栄光を、
彼らに与えました。それはわたしたちが1つであるように、
彼らも1つであるためです」
ヨハネ福音書17章22節
この節の2回目の解説は、
②「与える」についてです。
本17章には数多くのこの言葉が現れます。
父なる神が御子イエスに与えられたもの、
父なる神や御子イエスが信者に与えたもの。
この語は、実はヨハネの福音書全体にもわたって頻出するキーワードの1つであり、
実に76回も出てくるのです。
22節をもう一度注目してみましょう。
「わたしはあなたがわたしに下さった(have given)栄光を彼らに与え(gave)ました。」
「栄光」とは、十字架を極致とする奉仕と謙遜であり、同時に統治と栄誉のことでした。
御子イエスが父なる神から賜った栄光が、信者にも同様に与えられたと言うのです。
ここで「与える」の時制が、原語では完了形となっていることに注目します。
信仰ゆえに私たちは謙遜であることを学び、やがて与えられる栄誉の約束に生きているものですが、その約束はイエスが保証してくださってている故に確かであります。
よって未来に関する事であるにもかかわらず、すでに与えられているものとして完了形が使われているのです。
「もし私たちが彼(イエス)とともに死んだのなら、彼と共に生きるようになる。
もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる」
第二テモテ2章11〜12節
「またわたしは、あなたが私にくださった栄光を、
彼らに与えました。それはわたしたちが1つであるように、
彼らも1つであるためです」
ヨハネ福音書17章22節
聖書は驚くべき本です。
私たち人間がどういう存在であるかを初めて明らかとする言葉です。
この17章は、弟子らのために祈り、またその弟子たちの語る使信を聞いて信者になる後の世の人々のために祈った言葉が記録されています。
いつものように短いポイントだけを簡潔に上げてみます。
①栄光について
不思議なことにイエスの受ける「栄光」とは、人間の知れる限りの最も低い屈辱と悲惨さを伴う十字架を意味していることが17章1節からわかります。
さらに謙遜を基調とする人としての働きを全うされた地上での奉仕のことをも意味します(4節)。
さらに不思議なことに人知の及ばない神々しい栄誉を意味していることも確かです。
「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。
全地が存在する前にご一緒に持っていましたあの栄光で輝かせてください。」(5節)
主イエスのおいて、奉仕と謙遜さは統治と栄誉であり、両者が同類項であり、ともに栄光であると言うのです。
主イエスのメッセージが伝えられる国では、人民を統治する王は引き下げられてきました。
大名行列を組んでは民・百姓を跪かせる大名は今日存在し得ないのです。
ミニスター(MINISTER)とは、大臣とも訳せるし、奉仕者とも訳せる言葉です。
Portlandに来て最もお気に入りの場所。
ダウンタウンを南北に縦断する川が流れていますが、
その川の上を高速5号線が通っています。
南からその高架線に上りきったあたりで、ダウンタウンの全景を真下に眺めることができます。
写真ではその1部しかとらえることができなくてなんとも貧弱ですが、肉眼での眺めはなかなかのものです。
バビロンにあったとされるネブカドネザルの建てた空中庭園も、
これには到底及ばないでしょう。
シアトル地元のフリーペーパーにあったダイジェストニュースです。
この10年間でシアトルでは60%ほど生活費が高騰しているとの事。
人口が流入し不動産価格を押し上げていることからしてもうすうすと感じていることではありました。
この高騰ぶりに追随しているところとしていないところと別れるでしょうか、賃金もおしなべて上昇傾向にある事は確かです。
つまり経済の成長が続き、人々の消費意欲も堅調と言う事ですね。
翻って我が祖国、日本。
デフレが20年間続いていると言われていますが、統計を見ると確かに賃金は上昇しているところか、じわりじわりと減少傾向にあり、それがOECD先進国で日本だけの現象です。
悲しいかな。
国内にいると感じないかもしれませんが、外国にいるものが時に帰国した時に肌で感じてしまうことがあります。
スーパーの日用品、散髪などのサービス費用、コンビニの商品やレストランでの食費、、
「いくらなんでもこんなに安くていいの」と心配するレベルなのです。
ここ最近、仏教とキリスト教の関連についての講義をYouTubeから受けています。
いかに仏教がキリスト教の影響を受け入れ、それを日本に持ち込んで来たかと言うことに目が開かれて来ました。
ブッダと言うサンスクリット語は、「悟りを開いた者」と言う称号であり、
その悟りを大成したシャカは、いわば人とは何者であってどのように生きるべきかという哲学を説いた。
そこには永遠に存在する神仏を意識したり、拝んだりは皆無であった。
1世紀の半ば頃に十二使徒の1人であるThomasが南インドに渡ってキリスト教を宣教した頃に、仏教ではこれと対抗する意味で永遠者の存在を作り上げてきたとされます。
仏教で言う永遠者とは、3つの仏があると言う。
そんな講義を聞いた後のランチは中華のお店にて。
大きなブッダのお顔とともにランチを楽しみました。
この日のシアトル一帯は雪に見舞われました。
まだ11月初旬だというのに気温がみるみる下がり、
吹雪のような大荒れにびっくり。
それでもフェリーはスケジュール通りに出航してくれて、ヴァション島への航行は何も問題なしでした。
こんなしとしとと雪の降る日は室内でデスクワークするのが1番なのだけれど。。
それでも私を待っていてくれている方々にお会いできるとそんな縮こまった考えも吹き飛び、遠路来て良かったなぁ、とつくづく思います。
まだまだ猫のようにコタツの中で丸くなるよりも、犬のように雪の庭の中を駆けずり回る役割が私に与えられているようです。
今日の夕食は私の当番。
最近新しく買った炊飯器にクッキングブックが付いていて、それを見ながら初挑戦のメニュー。
ウーン、写真の通りにはどうもうまくいきません。
レシピに従いテーブルスプーンやカップで計量してはその手順通りに作ったはずなのに。。
料理も奥の深い世界ですね。
週末のこの日も息子のサッカー観戦に行って来た。
今回の試合は接戦で双方ともに実力が拮抗して
実に見ごたえのある内容だった。
選手一人一人が役割を理解し、チームに貢献する意欲が感じられ、自分の持つ最高のスキルを発揮しようとしている姿が頼もしい。
そんなチーム全体の空気の中で良子も得点に絡むチャンスを作り出すことができて満足している様子。
そんな試合の様子を興奮しながら運転中の私に話してくれた彼のリクエストに応えて、近所のバーガーショップで共にランチを取ることにした。
ニューポートヒルの中心街に位置しているこのショップは、息子が属しているニューポート・サッカーチームのスポンサーでもあると言う。
それで店内にはチームの写真が至る所に飾られているわけだ。
私は気がつかなかったけれど、息子曰くバーガーが選手対象の割引価格となったらしい。
スポンサーとしてはチームのユニフォームや用具等の購入維持に貢献してくれているとの事。
米国ではこのように地域に根ざしたスポーツチームが成立している。
そのコミュニティーにあるビジネスがスポンサーとして貢献して地域ぐるみで応援していこうと言う仕組みが至る所に見出されている。
その大型版が都市がスポンサーとなってプロサッカーチームを育てていこうと言う仕組みなのでしょう。
その仕組みを日本にも移植してプロリーグを構築しようとの最初の試みがJリーグでした。
一般企業がスポンサーとなる伝統は日本にあっても、地域コミュニティーがその役割を担うと言うことにだいぶ戸惑いがあったようです。
欧米では少年チームからしてその仕組みが既に確立されています。
サンフランシスコのダウンタウンからオークランド空港まではいつものようにベイブリッジを渡る。
この日もしっかと晴れ渡った青い空にブリッチの白い橋脚が映えている。
ダウンタウンの向こう側に見える入り江の海には、白い雲が海面数十メートル上空を覆っていてこれも見応えがある。
ついカメラを取り出してパチリとしてしまった。
良い子のみなさんは運転中にそのような真似はしないようにしよう!
写真からはその様子がよくわからないのが残念。
Barclayは大学の街であり、学生たちが多く街に繰り出している。
よってその界隈にある飲食店やバーバーなどのサーヴィスは学生価格となっており大変安い。
もう一つ有名なのは、かつてここがベトナム反戦運動のヒッピーたちが活躍した聖地である事。
その当時のようなコテコテのヒッピー群衆を目にすることはなくなったものの、
その当時を偲ばせるものが随所に見える。
来週やってくるハロウィンはそういった意味でこの街と親和性が強い。
メイン通りに見える並ぶショウ・ウインドウにもハロウィンを歓迎するアイテムが溢れている。
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