「ペテロとヘロデ」
〜使徒の働き12章〜
⑴ペテロ
①その窮状ー厳重に監視された牢獄に幽閉され翌日には処刑される絶体絶命
②その救援ー「教会は彼のために神に熱心に祈り続けていた」(5)
③その結果ーみ使いが光とともに現われ、腕にかけられた鎖がひとりでに解かれ町へと通じる鉄門もひとりでに開いた。
*人の目にはどうにもならない困難な中で教会の祈りは神の奇跡を引き寄せることがある。
⑵ヘロデ
①その権勢ーペテロを取り逃がしたとして番兵たちを処刑し自らはエルサレムを去りカイザリヤへと移動する行動の自由がある。
②その従者たちーツロとシドンの人々が彼をほめたたえ、そのスピーチに「神の声だ、人間の声では無い」と称えたがそれはおべっかであり心からのものでは無い。ここにペテロために心からの祈りをした教会との対象がある。
③その結果ー虫に噛まれ死んだとあるがそれは主の使いによる裁きであった。
*国主として最も力あるものであったが、虫に噛まれいとも簡単に死んでいる。
⑶両者の違いをもたらしたもの
ペテロは神を認め神の家族である教会との交わりの中にいて神の御言葉を広めるためには死をも恐れない覚悟の中にあった。
ヘロデは神を認めず教会を迫害し、人々に取り入って人々からの称賛と人気を自らに集めることに腐心していた。
「主の使いがヘロデを打った。彼が神に栄光を帰さなかったからである(23)。
(結論)
究極のところで私たちは自らに栄光を帰す者なのか、
神に栄光を帰すことを志しているのか問われているのである。
ドラえもんて結構いいこと言うんですね。
肝に関わるような名言です。
ポケットからおもちゃを引き出してのび太を助けるだけでなかったんだ〜
★感動するドラえもん名言10選★
1.今の時代が気にいらないと
こぼしてるだけじゃ
なんにもならない。
僕らの住んでいるこの時代を
少しでもよくするため
がんばらなくちゃ。
2.君はこの先 何度も転ぶ
でもその度に立ち上がる強さも
君は持っているんだよ。
3.どんなに勉強ができなくても
どんなに喧嘩が弱くても
どこかに君の宝石が
あるはずだよ。
その宝石を磨いて
魂をピカピカに
磨いて魅せてよ。
4.いちばんいけないのは
じぶんなんかだめだと
思いこむことだよ。
5.何かしようと思ったら
その事だけに夢中に
ならなくちゃだめだ。
6.人にできて、きみに
できないことなんて
ことあるもんか。
7.過ぎたことを悔やんでも
しょうがないじゃないか。
目にはどうして前に
ついていると思う?
前向きにすすんでいくためだよ。
8.いっしょうけんめい
のんびりしよう。
9.障害があったら
のりこえればいい!
かならずしも歩きやすい
安全な道をえらぶって
ことじゃないんだぞ。
10.いいじゃないか。
遅れても
最後まで
がんばれば
さてプロジェクトに関わっていたときにはSNSでの発信はできないでいましたが、もう一つできないことがTV鑑賞でした。
といっても私の見る番組は大河ドラマの西郷どんや笑点くらいのものなのですが、それさえ見るゆとりがなかったのです。
西郷どんの第3話をインターネットで探してみると何とか見つけ出すことができました。すでに放映後1ヶ月以上経っていますが、こうしてインターネットを通じて視聴できるとは便利な時代になりました。
数ヶ月前TVジャパンと言う米国での日本の放送局を解約したのですが、こうして
インターネットで見たい番組をいつでも見られるなら、再契約の必要は無いようです。
西郷どんの第3話は彼の青年時代で、貧しい農民たちの暮らしぶりや藩政改革を断行しようと言う島津斉彬の活躍が英雄仕立てで描かれています。
史実とはだいぶ齟齬があるのは確かですが、徹底的に自らを卑しくして民の窮状を救済するために純粋な血潮と命を燃やすと言うフィクションに則った筋書きでなければ大衆のハートを掴むことができないのでしょう。
キャストの演技や幕末の時代設定の見事さにまんまとはまりながら、うかつにも涙を何回か流してしまいました。
さて今夜は連日とはなりますが、その第4話を視聴することにします。
気づいてみればこのブログを更新しないまま数週間を経てしまいました。
実はこのところのっぴきならない事情がありました。
皆様に心配かけることではございませんが、大きなプロジェクトに関わっておりすべての時間やエネルギーをそれに吸い取られていました。
そのプロジェクトも終了したのでこのブログにも向き合う余裕が出てきました。
今振り返ってみて痛切に感じる事は家族の協力です。
特に16歳になった長女の協力は大きく、彼女が1人で運転して買い物に行ったり良いアイディアを出してくれたり大きな助けとなってくれました。
彼女の助けがなければさらに数日間はそのプロジェクトに追い立てられていたことでしょう。
いつの間にかこんなにも大きな成長してくれて頼もしい限りです。
Portlandで新しい居酒屋を発見。
もうすでに開店してから3年が経つと言う。
居酒屋なのでお酒のつまみになるような小皿料理が多く、主食になるようなメニューとしてはラーメンぐらいしかない。
ロール寿司と小皿をいくつか注文。
味付けも悪くない。厨房を見ると日本人らしい人が働いている。
最近Portlandではこのような本格的な日本料理店が進出を始めている。
変にアメリカナイズしないで店内の装飾や小鉢に至るまで日本的なものを売りにした方が受ける土地柄らしい。
子供は、日々成長する。
自宅を離れているときには毎夜、FaceTimeを使って彼らとコミニケーションとっている。
高校生の長女は、私からの音信をうるさがってなかなか良い顔しない時もあった。
どうしたわけかこの頃はだいぶ違う。
友人たちも巻き込んで私と話すのを楽しんでくれているようだ。
少し前までは友人らと一緒にいるときは応答しなかったのに。
高校のバスケットボールの試合中でも3日連続で応答してくれた。
最後は投げキスまで。
しかも彼女の両隣にいる友人たちまで私に投げキスを!
子供の成長速度についていけない私。
今から4半世紀ほど前、三重県のある地方教会の教会堂献堂式で聖歌隊コーラスとして捧げた曲です。
もちろん日本語歌詞でしたが。
ここ数日間脳内に響いています。
歌詞の内容は聖書メッセージに合致してるし、何よりもインスピレーションを感じる曲です。
この日の息子のサッカー対戦相手は、ポートランドからの選抜チーム。
朝10時試合開始のために彼らは6時には現地を出発し、3時間のドライブを経てベルビューにやってきた。
そんな長距離移動の疲れの片鱗も見せずにキレキレの動き。
ボール支配率から言ったら6対4で息子のチームの方が勝ってるように見えたが最後の決定力が違う。
僅かなチャンスを活かした相手が後半に決勝点となるゴールを決め、1対0で勝利をもぎ取ってていった。
実力差はそんなに間違わないはず。
違いがあったとすればゴールに対しての執念だ。
ホームでの気安さと安逸さのあった我がチーム。
対して、厳しい長距離移動乗り越えてのハングリーさが違いが生んだように思えてならない。
シアトルは昨晩から雪が降りはじめすっかり雪景色に。
暖かなメッセージを送りします。
メリークリスマス
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