シアトル商工会(春秋会)の経済セミナー「トランプ政権を踏まえた米国経済の見通し」が地元ベルビューのヒルトンホテルを会場に開かれていると聞いて行ってきました。
講師はニューヨークを拠点に活躍されている銀行マンの方です。
30ページほどの資料に50以上に及ぶ経済指標のグラフが用意されていてとても内容のある1時間でした。
経済にはど素人の私にも、お金の回り具合をわかりやすく説明いただきました。
最も私が注目したのは、好景気の米国でありながら財政拡大をしようとしている異例の措置を示したグラフ。
景気の浮き沈みが失業率に現れていると考えると、その失業率に合わせた財政支出をこれまでしてきたのです。
仕事がないのだから公共事業を増やして雇用口を作ってあげましょう、と言う政府の政策はどの国も採用していることでしょう。
現在の米国が史上最低レベルの低失業率を達成しながらなおも財政を拡大し続けていくのだそうです。
これは過去50年間になかったことです。
いったいこれが何を意味し、何をもたらすのか?
トランプ政権のこのような法外な政策が米国経済をいよいよ成長へと牽引して行くのかと期待するところはあります。
会場の質問時でも紹介したことですが、家の近くのタコベルと洗車場が時給15ドルで求人広告を出しているのです。
最低賃金が10ドルほどのこの時勢にかなり強気の賃金ではないですか。
アベノミクスでは大企業が潤ったとしても内部保留に走り、賃金上昇にまでなかなか結びつかないでいるのが実情。
米国では景気の過熱に伴い底辺が底上げされているなら、誰もが納得しやすいでしょう
"ヤコブよ、なぜ言うのか。イスラエルよ、なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」と。
あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。
若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。"
イザヤ書 40章27~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「飛翔の時」
⑴ヤコブのつぶやき
①人間一般の落胆と嘆き(27)
人は不条理や理不尽な仕打ちを受ける時に
誰も自分のことを理解してくれるものはいないと投げやりになる時がある。
②そんなあなたへの問い(28)
この問いを聞いたことがあるか無いかで人生は二分されてしまう。
人がどれほど栄華と富を蓄えたとしてもつかの間のことであり(7-8)、
変わらない永遠の存在者がいることを知っているか。
「なぜ」(27節に2回)
「知らないのか」「聞いていないのか」(28)、(21)
⑵永遠者のつぶやき
①測り知れない英知
天地の万象や微小な日被造物に至るまで全てを統制し生かしておられる方がおられる。
「一つ一つ、その名をもって、呼ばれる」(26)
「名前」はヘブル的に実態を表し統御・支配していることになる。
地球球体説が確証されるマゼラン以前に既にそれは啓示されている。
"主は、地をおおう天蓋の上に住む方。地の住民はバッタのようだ。主は、天を薄絹のように延べ広げ、これを天幕のように張って住まわれる。"
イザヤ書 40章22節
「天蓋」とは原語で「地の円」であり、地上が球体であることを教えている。
②疲れることも、たゆむことのない方
疲れを知らないとされるエネルギッシュな若者と対比(28-29)。
そんな若者でも疲れて倒れることがある。
⑶飛翔の時
①「新しい力を得る」(30)
つぶやきしか出てこなかった者に
永遠者なる方の無限エネルギーが注入される。
よって、人は、
飛翔し(永遠の世界への眺望)
疾走し(危機からの脱出と克服)
徒歩する(日常生活での同行)
②「主を待ち望む者に」
天地の創造者なる方の働きかけを認めるもの
その方の犠牲と語りかけを信じるものに
今、私の人生でのチャレンジに応答する者に。
この5月14日、米国はそれまでテルアビブにあった大使館をエルサレムに移転しました。
米国のこの決断は中東紛争に新たな火種を起こすものとして警戒されていました。
ガザの国境付近で民衆デモが起こり、
それが発砲事件へとつながった事は痛ましい限りです。
その一方で多くのアラブ諸国は冷静を保ったまま、
特に対抗措置を講じようとしていないようです。
エルサレムの政治や司法、また学術の中枢機関はエルサレムに集中しています。
各国の大使館員たちはエルサレムに来て外交交渉をしており
すでに実質的な首都機能をエルサレムが持っています。
ただオイルパワーを持つ中東諸国を恐れてエルサレムを首都と認定していなかったのが各国のこれまでの実情です。
つまりトランプ大統領は
「王様は裸だ」と事実を言ったに過ぎません。
ダビデが都をエルサレムに定めた紀元前1千年から
エルサレムは変わらずにイスラエルの首都です。
ただこの現世的な世界情勢の延長線上に「ダビデの子」であるメシアがエルサレムで新たな王国を統治するのではありません。
国際紛争が頂点に達し世界連合諸国がイスラエルを抹殺するために侵入した時、
メシアが再臨し王国を完成すると言うのが聖書予言のシナリオです。
この日、エルサレムの平和を祈りながら
エルサレムカフェで1人食事をしました。
29 yet I tell you, even Solomon in all his glory was not arrayed like one of these.
- Matthew 6:29
"しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。"
マタイの福音書 6章29節
この聖書の真理をどうやって娘に伝えたら良いだろうか。
出かける直前、彼女はメイクに数十分を費やす。
学校に遅刻することなんて屁とも思っておらずに鏡に向かう。
「もう充分綺麗だよ」
「あなたほど綺麗な人はいないんだから」
その父親の声も耳に入っていない。
かつて彼女を学校まで送り届ける際、
揺れ動く助手席に座りながらもパタパタと顔に塗り付けるその鮮やかな業には舌を巻いた。
Bumpを乗り越える時に口紅をしてたが、口裂けお姉さんにはならないように絶妙のタイミングをわきまえている。
黄金と真珠に輝くソロモンの玉座と宮殿。
その時代の栄華を極めたそのソロモン宮殿と比べて野に咲く1輪の百合の花。
自生した百合は芸術の結晶と言える。
そのバランスある花びらの重なり具合と屈折。
その色合いや芳香。
その美しさは確かにソロモン宮殿よりも優れものだ。
私たちは百合よりも精緻に造られ、
神の愛の対象であると教えられたイエス。
こんな単純だけど大切な真理を日常的に気付いていないのは、
娘だけではない。
今年の夏も子供らと日本に一時帰国する時、
奥山に分け入る滝巡りのキャニオニングを計画している。
そこで百合の花を見つけたら、うんと説教してあげよう。
子供らを学校に送り出す早朝、こいのぼりを設置。
天気予報によれば昨日は雨が降らないはず。
シアトル市内はまさに五月晴れで快適だった。
夕方になりワシントン湖を渡りベルビューに入ると空が黒い雲に覆われていて高速道路は雨上がりの後らしく濡れている。
「どーするのよ〜 雨でこいのぼりがビッショリよ〜」
家人からそうテキストメッセージが入る。
駆けつけてみると確かに水に濡れてゲンナリしている鯉さん達。
「およげたいやきくん」のメロディーが脳内で聞こえてきたのはどうしてだろう?
私が小学生の時に日本で大ヒットした歌。
たい焼きが店のおじさんのところから抜け出して海の中を自由に泳ぐと言うもの。
最後は釣り人に釣られて食べられちゃうんだけどね(^.^)
五月晴れとなった今日、こいのぼりを設置。
風の無い時は空を自由に泳ぐとはいかないまでも、
青空に色とりどりの魚がたなびくのは楽しい。
どうして日本ではこどもの日になるとこいのぼりをあげるのか息子に聞いてみた。
「知らなーい」
かつて説明したはずなのに。。
やはりそう来たか。
そこで中国故事にあることを簡単に説明した。
鯉が急流をさかのぼりながら泳ぎ続け、最後の最難関の滝を登り終えるとそこから竜となって空へ駆け上がって行く。
聖書的には「竜」とは悪魔の象徴であり決して積極的に引用できないハズですが、
ここでは目をつぶりましょう。
いつか竜となり駆け上がれよ。
「シオンに生きる者」
2018-05-06
詩篇87篇
1,主の礎は聖なる山にある。
2,主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。
3,神の都よあなたについて誉れあることが語られている。セラ
4,「わたしはラハブとバビロンをわたしを知る者として記憶しよう。見よペリシテとツロクシュもともに。『この者はこの都で生まれた』と。」
5,しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。
6,主が「この者はこの都で生まれた」と記して国々の民を登録される。セラ
7,歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります」と言う。
「シオンに生きる者」
⑴シオンにある礎
①聖なる山とされたシオン
直訳は「山々」、尊厳複数形という文学形態である。
そこは神の都であり、王の住まい、統治の中心地、また歴史的に神と人との契約が更新されて来た地である。
②選ばれたシオン
全イスラエルの地域からエルサレムが選ばれ神の都とされた。
それが「愛される」の意味。
⑵シオンにある登録
①神の登録文書がある(詩篇9:5、69:28)
それは神の国を受け継ぐ人名リストであり人物判別帳である。
②登録される人々
異邦人諸国〜「ラハブとバビロン」「ペリシテとツロ、クシュ」
彼らがネイティブとして登録されると言う事はなんだ分け隔てない霊的祝福を享受することの約束である。
「この者はこの都で生まれた」
イスラエル人〜世界中に離散していてもその残りの者はすべて相続者となる。
「この者もあの者もこの都で生まれた」
⑶ シオンにある泉
①住民たちの歓喜と踊り
シオンとは神の都であり、そこに君臨される王なるイエスである。
生命に欠かせない水の湧き出る源がイエスにあるとは、
新約的には信者の内から流れ出る水である聖霊を意味している。
「わたしが与える水を飲むの誰でも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」
(ヨハネ4:14)
②命の源泉はシオンにある
イエス以外の源泉から原動力を引き出しているとしたら、それは真摯な信仰生活ではない。
自分が無力で乏しいことの現実に目が覚める時にキリストにある富に目が開かれていく。
【結局、友達こそ本当の財産だなあ。本田宗一郎の言葉】
(1)
苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。
(2)
人生でも、企業でも、一度貧乏とか不況とかを立派にくぐり抜いてきたものなら、そいつはどこまでも信用できる。
(3)
人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。
いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。
(4)
社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。
長というのは組織上の役割を示すためのものであって、決してその人物の偉さを表すものではない。
(5)
人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。
その代わり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。
自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。
(6)
私の現在が成功というなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。
(7)
実を言うと、社長をやっていた時は金儲けが財産だと思っていたけど、結局、友達こそ本当の財産だなあ。
(8)
大いなる若気の至りが個性の芽を育てる。
(9)
新しいことをやれば、必ず、しくじる。腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。
(10)
私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。
▼▼▼つづきはコチラ▼▼▼
http://kokoro-movie.com/2018/05/04/post-18564/
横浜の家にある兜
我が家にあるカブト。
風薫る5月。
「五月晴れ」と言う日本語は、
このシアトルにもそのまま持って来れそう。
これまで雨や曇りの多かった日々でしたが、
5月になって急に空高く青空が光るようになりました。
早朝の小鳥たちのさえずりも賑やかとなり、
家の近所の新緑が目に眩しくなりました。
両親のいる横浜の家からカブトの写真が送られて来たのを刺激にして
我が家でもカブトを飾ってみました。
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