見つけ出した喜び
2月
26日
この数週間探したけれども見つからなかったものが出てきました。
パソコンの電源ケーブルです。
これがないとパソコンが使えずにこれまではずっとスマホで済ませてきました。
ホサナ教会のウェブサイトを更新するためにどうしても必要で、
これ以上先延ばしすることもできず新規購入せねばならないと腹を括った矢先、
思いがけないところから見つかりました。
涙が出るほど嬉しかったです。
引っ越しのどさくさに紛れあちこちの段ボール箱を開けても見つからず、
管理のできない自分に腹が立ち、
新規購入する煩雑さに重い腰があがらなかったのですが、
一挙に解決してしまいました。
これは運とか、自分のひらめきとかではなく、
主が哀れんでくださったことに尽きます。
つい先ほども既に調べてはずの箱を開けて再度探してみたのです。
その姿勢からふと本棚にある整理トレイに目をやると黒っぽい物が目に映りました。
そのトレイの1番奥に鎮座しているではないですか!
大切なものだとして、頻繁に使う整理トレイに入れておいたのです。
ところで私たち人間は神から見て失われた存在です。
もしその失われたものが見つけ出され、神に立ち返ることができたならば、
み使いたちが天で大喜びすると聖書は教えています。
電源ケーブルはそれ自体では役に立ちません。
人間に見出されパソコンにつながることによって初めてその存在意義を明らかにします。
私たち人間もそれと同様で、私を作り生かしてくださっている真の創造者と出会わない限り人生の意義や目的を見つけることができないんです。
主よ、どうぞ私をあなたのしもべとして用いてください。
そして、失われたものを見つけ出す尊いお仕事に使って下さい。
ルカの福音書
15章1ー10節
1,さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。
2,すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。
3,そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
4,「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
5,見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、
6,家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。
7,あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
8,また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。
9,見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
10,あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。