ニューヨークのマンハッタンではユダヤ人を多く目にします。
外見でユダヤ人と直ぐに分かるのは、正統派と呼ばれる人たちです。
彼らはキッパーと呼ばれる丸い帽子をかぶり、もみあげを長くしています。
上下の黒い服に身を包み、上着の裾からは房のようなものをつけています。
もちろんそのような正統派ばかりがユダヤ人なのでありません。
Tシャツとジーンズを着た通常の米国人と変わらないユダヤ人もいらっしゃるので。彼らは世俗派と呼ばれています。
電車の中で大学生位と思える正統派ユダヤ人を目にしました。
そのうちの1人は熱心に本を読んでいたので近づいて観察しました。
それはタルムードと呼ばれているユダヤ教の教典でした。
ページ中央の枠内に書かれている言葉は旧約聖書本文です。
その枠を取り囲むようにして書かれている言葉がその旧約聖書を解説したものでミシュナーと呼ばれているものです。
ラビになる人は、旧約聖書本文を全て暗唱するのだそうです。
その様子を見ていて、受験勉強にいそしんでいる日本の受験生を思い浮かべました。
マンハッタンにある日本レストラン。
やはり夕食はお勧めのコンビネーションメニューをオーダー。
前菜に味噌汁、メインにはロール寿司ととてりやきビーフ。
デザートは何かなぁ、アイスクリームかゼリーが定番なんだけど、と思っていると、、、
あれれ、
とっても以外なものが出てきました。
ドラえもんの大好物。
(^。^)
これからニューヨークに出かけます。
シアトルの空港の出発ロビーはデルタではSゲート。
デルタで日本行きの場合と同じターミナルです。
かつて日本行きの時に利用していた日本食ショップが復活していて、ロール寿司やうどんなど出してくれるらしい。
でもその調理している現場を見ると、なんだかなぁ、、と意気消沈してしまいましたぁ〜。
そこでシアトル名物のクラムチャウダーをいただくことに。
これにはハズレがありません( ◠‿◠ )
先ほどBellevue Collageで開催された太鼓フェスティバルに行ってきました。
いやーよかったですよー。すごい音量とその迫力。
5-700名ほど収容のシアター席なのですが、太鼓の音量で空気全体が震え、両足に振動が伝わってきます。
ドラマーは日本人ばかりでなく地元の米国人でほとんどが占めています。
8年前、立石ご夫妻が始められたこの太鼓の学校は今や300名の生徒を要するほどになり地元の人に愛されています。
日本の伝統文化がこのように地域に溶け込み米国人にシェアをされてるのを見て、日本人としての誇りを感じざるを得ませんでした。
そればかりでなく人種・民族を超えて私たちには共有出来る感性や連帯性があることを確認できる時となりました。
立石さんご夫妻はじめ出演者の皆様、ご苦労様でした。
今後もご活躍をお祈りします。
大陸から日本に渡った渡来人の中で日本の政治文化に決定的な影響与えた一族に秦氏がいる。
なんでも機織りを伝えたのも秦氏だったそうで、その「機織り」の当て字は本来「秦」から来ているのだと言う。
秦氏は景教と言う東回りのキリスト教を信じていた一派で、中央アジアに住んでいた民族。
彼らがシルクロードを通り中国朝鮮を伝わって日本に来たとされています。
その途上、文字のない民族には独自の文字を開発し与えてきたともされているらしい。
イロハの文字やそのアルファベットの歌を作ったのも彼らであるとされ、そこにキリスト教の影響が残っていると学びました。
イロハの最後尾の文字を繋ぐと「とかなくてしす」=「咎無くて死す」となり、それは神の子イエスを意味していることになる。
また「イエス」の文字がイロハのアルファベット一覧に隠されているともされる。
この写真の黒板に記された右上角、左上角、左下角にある3つの文字を繋ぐと「イエス」となります。
本棚を整理していたら思わぬものを発掘しました。
子供たちの753の写真です。
長女が7歳、長男が5歳の時のもの。
私の横浜にいる両親のたっての願いと言うことで、一時帰国していたその日、写真館に駆けつけることに。
それはレイモンド学園と言うクリスチャンスクールに子供たちもお邪魔させてもらっていて、その帰りしなのことだったと記憶しています。
その日家内までも写真に収まるとはつゆ知らされず、突然にも化粧させられたり着物を着せられたりで本人としてはドギマギでした。
今から9年前のことになりますが、時を刻むって事は人が変わると言う事ですね。
私自身は何も成長せずどんくさい中にいますが、子供の成長はケタ外れで驚かされます。
写真館の帰りに東戸塚のショッピングモールで両親達とうどんやそばを会食。
さてさて今週末のランチには私も彼らにうどんを用意してあげるつもりです。
今年7月、105歳の天寿を全うされた日野原重明さん。
言わずと知れた日本を代表するクリスチャン・ドクターです。
その死の直前まで約1ヵ月間にわたり取材した様子をNHKで放映されていました。
千件以上の死を看取ってきたドクターであり熱い信仰持っておられる日野原さんが、死は怖いですか、と単刀直入に尋ねられたときのその返答に私は驚きました。
曰く、
「怖いね。聞くと嫌になるね」
「おろおろすること以外で何もできない自分を感じてね」
そんなおろおろする本当の自分との出会いを評価する点にも驚かされました。
「人間は病むことによって本当の人間が現れてくるんだなと」
「自分との出会いがあって初めて自分が分かる」
姿勢を保つことができずお顔を手で支えながら力を振り絞るようにして話される一言一言はまさに黄金の言葉のように聞こえます。
「苦しみがあって初めて私の苦労の多い旅が報われるのではないか」
そのように言われる究極の境地には悟り達した哲人のような響きがあります。
さらに、
「辛さ以上に喜びはその中にあることを私は考えるべきだと今更深く感じ取る」
最後は残される私どもにKeep on Going ー前進せよと励ましてくださいました。
いつか死ぬからこそ、今を精一杯生きることが必要なのです。
大切なのは、自暴自棄になったり、くよくよ思い悩んだりせずに、
与えられたその日、その場に精一杯取り組むこと。
過去を思い悩まず、
明日のことを思い煩わず、
今に全力投球するべきなのです。
生きるということは、
寿命という器の中に、
精一杯生きた一瞬一瞬の時間をを詰め込んでいくことです。
その時間の質を決めるのは、あなた自身です。
一瞬一瞬の時間を、もっと意識して、もっと大事にして、
精一杯生きていきましょう。
一生は、今この一瞬の積み重ねの時間です。
いのちも時間も目には見えないけれど、
時間を使うことでいのちが形になります。
自分のいのちである自分の時間を有意義に使う。
そして、是非、
いのちの時間を自分のためだけでなく、
人のためにも使ってください。
日野原 重明
自宅に戻ると、早速息子のサッカー観戦。
前半は1対0で折り返し、均衡のとれた良いゲーム。
所用で後半を見ることができなかったが、その後半に世紀の一瞬が訪れたらしい。
息子の放ったシュートがゴールネットを突き刺したのだった。
彼はセンターハーフというポジションで常にボールを味方にパスし、チャンスを作る役割だったから自らゴールを狙う事はほとんどない。
前半だけ観戦していて、もどかしい程にボールを味方に供給してしまう。
「少しは自分でもゴールを狙ってみろよ」
毎回そんなふうに思うけれど、もちろん口には出さない。
ガヤガヤと口に出して応援する年齢をとっくに超えてしまった。
誰もが静かに我が子のプレイを見守るだけ。
親の知らない所、手の届かないところで子供は成長してるらしい。
再開発の進むポートランドのノースウェスト地区。
ここはかつて倉庫であったり大きな空き地であったところ。
近年の人工流入による宅地化が住んでいて、おしゃれなコンドや公園が広がっています。
幼児用の遊具のある所とただ芝生が広がる所とが隣り合っているあたりがアメリカの公園らしいです。
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