ワシントン州とオレゴン州の州境にはコロンビア川が流れています。
その川のほとりにデルタパークと言う広い敷地が広がっていてサッカー場として利用されてます。
5つほどのサッカー場が集まっているのですがその半分ほどのピッチは人工芝でできています。
宿舎がその隣に面しているので仕事を終えた夕刻に繰り出してはジョギングをしています。
凸凹していないので足首をひねる心配は必要なく安心して走り込めるんです。
調子こいて何度かダッシュをしてみました。
程良いクッションもあって膝の痛みも感じません。
そこでさらに全力疾走。
かつてのような空にまで舞い上がっていく感覚は持てませんが
風を切って進む音は爽快です。
すると、夜中に足の裏の筋肉が攣り出してどうにもにもならなくなりました。
ここで目が覚めてしまうし、激痛のため唸りながら1人耐えていましたよ。
これもニンニンの修行?
来週月曜日朝にやってくる皆既日食までの秒読みが始まっています。
既にTVニュースはその話題でもちきり。
セントラルオレゴンに向かう車が多く既に渋滞が始まっているとか。
観察用のプラスチック製サングラスは既に売り切れているとか。
ここ数日間、地元ポートランドの人々に関心のほど聞いたのですが
皆さんわざわざ皆既日食地点まではいかないようです。
「渋滞に巻き込まれるが怖くてねー」
「その日だって仕事があるんだよ」
「ここにいたって三日月ほどのかけらくらいなら見れるんだ」
地元の人は地元での世紀の天体ショーに心揺さぶられる事は無いようです。
ざっと言って15人ほど聞きましたがすべて当日はポートランドに居座るとのこと。
そのポートランドから高速を50分ほど南下すればセーラムの街で
皆既日食の中心観測地点に至ります。
本日私は観測用の天体望遠鏡を購入しました。
その日の朝ポートランドの宿から移動せねばなりませんが
さて果たしてセーラムまで何時間かかるでしょう。
今から少々憂鬱です。
イマヌエル総合伝道団が運営しているEラーニングを今回も受講しました。
講師は私の神学校の恩師でもあられる藤本満先生。
ご自身がこの夏に上梓された「歴史」という本をテキストに学びが進められ、すでに第6週目となっています。
先ほど講義ビデオをインターネットで視聴しましたが、
その3番目はなんと講師自身の乗用車の中からの撮影となっていました。
キリスト教会では夏になると修養会やセミナー聖会が目白押しとなり、
講師の先生は北に南に東に西に奔走されていらっしゃいます。
確か税務署の駐車場の中から撮影したとの裏話をFacebookで情報入手しました。
そんなご多忙の中にもかかわらず講義は実に内容の濃いもので、
キリスト教の歴史の流れがよく掴めます。
またこの本の凄いところは単なるキリスト教の内部の出来事の記録ではなく、その時代の社会とどう関わって教会が変遷を遂げてきたのかという視座がふんだんに盛り込まれていることにあります。
すでにこの本を2回ほど熟読したのですが、
何度読んでも新しい発見の尽きない良書です。
Portland界隈にもアジア系のレストランはありますが都市中心部に限られてしまいます。
少し郊外に出るならばメキシカンかアメリカンしか期待できません。
アメリカンは何かといえばホットドックかサンドイッチぐらいなもの。
この日は高速5号線から15分ほど西にずれた田舎にやってきました。
ヘルシーなものを選ぼうとしてランチはサンドイッチに。
しかしこれだけの分厚いもの食べたらヘルシーになるんだろうか?
どうして女子マネージャーが甲子園のフィールドで働けないのか。
どうして高校野球だけが他のスポーツと異なるのか。
その世間の注目度や球児への潔癖性-純粋性を求める宗教的な感覚。
この見立てには唸ってしまいました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49435
人の世に
道は一つということはない
道は
百も
千も
万もある
**坂本龍馬**
毎年の我が家の恒例家族イベント、オリンピック半島へのキャンプです。
クレセントレイクの湖畔にオートキャンプ場がありそこにベースにして数泊するのが定番。
子供たちはこの湖に何度も飛び込んでますがその水の冷たさは冗談ではありません。
万年雪の雪解け水を湛えている湖ですので数分入っているだけで感覚が麻痺するほどです。
でもその水の透明度や純粋性と言ったら見事。
また新鮮な空気や原生林の常緑樹が産出する芳醇な酸素に心洗われる思いとなります。
成功の反対は「何もしないこと」
私は山登りを通して
苦しみには3つの特徴があることに気づきました
1つは
「苦しみと闘おうとすればするほど
その苦しみは大きくなっていく」
もう1つは
「苦しみから逃げても
どこまでも追ってくる」ということです
人間の身体器官の中で
酸素の使用量が一番多いのが脳だといわれています
そのため、苦しい時に焦ったり
熱(いき)り立ったりすると
脳がどんどん酸素を消費してしまいます
7500メートル以上の世界では
少ない酸素をいかに無駄なく取り入れるかが大切なので
体力的に、精神的に本当に苦しい時に
あえてそこで「ありがとう」と言いながら登るんです
そうやって苦しみを受け入れると
不思議と心が落ち着いてきて
無駄な酸素を使わずに山を登ることができるんです
そして特徴の3つ目は
「苦しみは必ず喜びに変わる」ということ
例えば
高尾山のような低い山は簡単に登れてしまうので
登頂してもあまり感動は沸いてきません
しかし
8000メートル峰を登頂した時は
それまでの苦しみが大きい分
得られる達成感も半端じゃない
苦しみの分だけ、喜びがある
だから
苦しみは決して悪いものじゃないと考えています
信条としてきたことはいろいろとありますが
まず「一歩を踏み出す」こと
そして「諦めない」ということが
私の生きる姿勢かもしれません
山登りでは1歩を踏み出さないと
頂上にはいけません
登山に限らず
地上のいろいろなチャレンジにおいても
「できる」「できない」と考える前に
まずはやってみることが大切だと思うんです
私がエベレストを登頂できずに
下山して帰ってくると
周りからは「失敗した」って言われるんです
でもそれはちょっと違います
成功の反対は失敗ではなく
本当の失敗とは「何もしないこと」です
私は山登りを通して
挑戦し続けていく先に
必ずや登頂や成功があるのだと確信しています
だからこそ
諦めないことの大切さを伝えていきたいと思っています
“終わりなき頂上への挑戦”より
原爆記念碑に刻まれている碑文の主語を曖昧(日本語原文)なままとか
「私たち」(英語翻訳)から
「米国」や「トルーマン大統領」と明確化する必要はないと思います。
被害者である広島市民はじめ私たち一般の日本人は加害者が誰であったとしても過去のことを掘り出して糾弾しようだなんて言う刺々しい感情はありません。
それは先日のオバマさんが広島原爆記念館で献花した際、
被爆者を始め日本の方々の対応に現れています。
ただ「地球市民」として私たち日本人が「過ちを繰り返さない」主体に組み入れられていることには納得できません。
それが先の戦争一般ではなく原爆投下を記念した碑文に書かれていることには矛盾を感じざるをえません。
それは石井さんが指摘しているようにGHQの洗脳教育を受けた結果であると認めざるを得ないのです。
米国議会と世論を納得させるためにあえて先制攻撃をさせ真珠湾攻撃へと導いたトルーマン大統領の陰謀。
また戦後の冷戦構造を見越して必要のない原爆投下に踏み切ったトルーマン大統領の悪魔的貪欲さ。
その歴史の事実の解明と理解なくして、どうして「過ちを繰り返さない」教訓とできるでしょうか!
米国と仲良くしたいから同盟国だからと言うことで歴史を歪めるわけにはいきません。
この歴史を歴史として、冷酷でズル賢い米国を正確に伝えているイスラエルの歴史教育(石井さんがご自分のブログで発表しています)に日本も学ばねばならないと考えます。
「過ちを繰り返しませんて、おかしいだろ」
石井希尚著
http://blog.livedoor.jp/marre/archives/157425.html/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AE%E6%97%A5
Smile それは、
自分と相手を幸せにする
最高の魔法です。
笑顔って、うつるんです。
嫌な事も忘れたりします。
人生で一番嬉しい瞬間の一つは、
自分が誰かの笑顔の理由であると
わかったとき。
笑顔って ほんとに魔法なんですね !
あなたがいつも笑って
周りに笑顔の輪が広がりますように。
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