「またわたしは、あなたが私にくださった栄光を、
彼らに与えました。それはわたしたちが1つであるように、
彼らも1つであるためです」
ヨハネ福音書17章22節
この節の2回目の解説は、
②「一致」についてです。
私たちキリスト信者は1つであること、一致し統合されているのが本来の姿です。
主が与えてくださっている栄光を知り、そのかけ離れた受け継ぐべき資産の大きさに驚き圧倒される時、小さな相違で争うことの何と虚しいことか!
私たちの一致モデルは、主イエスが父なる神との一致している様、三位一体の統合性にあると教えられています。
現実のキリスト教界は、残念ながらこの基準に届いていないと言わねばならないでしょう。
ローマカトリック教会と東方正教会とが分裂したのが、シスマ(教会大分裂)と呼ばれているもので1054年のことでした。
そこにはローマとコンスタンチノープルと言う地政学的な相違、文化的背景が異なるなど多面的な理由があります。
聖書理解に関する相違としては、三位一体についてのものがありました。
私たちの人間の理解には限りがあり、その認識方法についてはそれぞれが生まれ育った文化圏に負うところが大きいのであって、世界中の人々が1つの見解を持つと言うのは困難だし、ある意味やむを得ない面があります。
そんな中で長く対立していた聖公会(元はカトリック教会でした)と東方正教会との一致した見解が発表されました。
ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381)に加筆された「フィリオクェ(Filioque)」という文言についての論争に決着がつけられたのことです。
ラテン語で「と御子」を意味するこの文言の解釈は、教会史の中で長く続けられてきました。
そして1054年、それまで1つであった教会が東西の2つに大分裂したのです。
フィリオクェを挿入した西方教会は、聖霊は父なる神「と御子(イエス・キリスト)」から発出するとし、東方教会はこれに反対して聖霊は父なる神からのみ発出するとして来ました。
16世紀にカトリック教会から分かれた聖公会は、西方教会従来の解釈を受け継いできたのでしたが、今回東方教会の理解に賛同したのです。
私の理解に関して言えば、どちらとも正しいと言えるし、少なくともその相違が分裂するほどのことではないと考えます。
本来1つであるべきはずのキリスト教会が、本来の姿に近づいた喜ばしきことと言えましょう。
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