「またわたしは、あなたが私にくださった栄光を、
彼らに与えました。それはわたしたちが1つであるように、
彼らも1つであるためです」
ヨハネ福音書17章22節
聖書は驚くべき本です。
私たち人間がどういう存在であるかを初めて明らかとする言葉です。
この17章は、弟子らのために祈り、またその弟子たちの語る使信を聞いて信者になる後の世の人々のために祈った言葉が記録されています。
いつものように短いポイントだけを簡潔に上げてみます。
①栄光について
不思議なことにイエスの受ける「栄光」とは、人間の知れる限りの最も低い屈辱と悲惨さを伴う十字架を意味していることが17章1節からわかります。
さらに謙遜を基調とする人としての働きを全うされた地上での奉仕のことをも意味します(4節)。
さらに不思議なことに人知の及ばない神々しい栄誉を意味していることも確かです。
「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。
全地が存在する前にご一緒に持っていましたあの栄光で輝かせてください。」(5節)
主イエスのおいて、奉仕と謙遜さは統治と栄誉であり、両者が同類項であり、ともに栄光であると言うのです。
主イエスのメッセージが伝えられる国では、人民を統治する王は引き下げられてきました。
大名行列を組んでは民・百姓を跪かせる大名は今日存在し得ないのです。
ミニスター(MINISTER)とは、大臣とも訳せるし、奉仕者とも訳せる言葉です。
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