既に与えられている
11月
11日
「またわたしは、あなたが私にくださった栄光を、
彼らに与えました。それはわたしたちが1つであるように、
彼らも1つであるためです」
ヨハネ福音書17章22節
この節の2回目の解説は、
②「与える」についてです。
本17章には数多くのこの言葉が現れます。
父なる神が御子イエスに与えられたもの、
父なる神や御子イエスが信者に与えたもの。
この語は、実はヨハネの福音書全体にもわたって頻出するキーワードの1つであり、
実に76回も出てくるのです。
22節をもう一度注目してみましょう。
「わたしはあなたがわたしに下さった(have given)栄光を彼らに与え(gave)ました。」
「栄光」とは、十字架を極致とする奉仕と謙遜であり、同時に統治と栄誉のことでした。
御子イエスが父なる神から賜った栄光が、信者にも同様に与えられたと言うのです。
ここで「与える」の時制が、原語では完了形となっていることに注目します。
信仰ゆえに私たちは謙遜であることを学び、やがて与えられる栄誉の約束に生きているものですが、その約束はイエスが保証してくださってている故に確かであります。
よって未来に関する事であるにもかかわらず、すでに与えられているものとして完了形が使われているのです。
「もし私たちが彼(イエス)とともに死んだのなら、彼と共に生きるようになる。
もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる」
第二テモテ2章11〜12節