2年前に起こった「文政の大火」(1829年)で、主人公<おれん>の養父<利右衛門>の銭湯が焼失、彼も亡くなりましたが、<おれん>は大店から金を借り再建、妙齢なびじんの23歳ということで「天女湯」と称されています。
再建に際し<おれん>は、湯船の裏側に隠し部屋を設け、金に困ったり性生活の不満を持て余した女たちを、その部屋で大店の金持ちに引き合わせて身体を売らせるという裏稼業を営んでいます。
従業員たちも元役者で三助の<弥助>や、牢番頭の<与平>と女房の<おくめ>は、裏稼業のこともあり、叩けば埃の出る人たちです。
そんな「天女湯」を舞台に、辻斬り事件や脱衣所で起こる盗難事件、競争相手の「大黒湯」との揉め事などが起こる中、恋心を寄せるお家騒動で名乗らぬ武士との淡い恋物語を絡ませながら、江戸の風俗を面白くまとめ上げている一冊でした。
本書は<ススキノ探偵>シリーズとして、第四作目に当たりますが、文庫本としては前作の 『バーにかかってきた電話』 に次ぐ第3巻目になり、初の短篇集として5話が納められています。
表題作であり第一話の『向う端にすわった男』は、いつも通り馴染のバー「ケラー」で呑んでいる<俺>ですが、見知らぬ客が訪れ、すっかり男の作り話に付き合わされる奇妙な顛末が描かれています。
第二話の『調子のいい奴』は、大学時代のゼミの恩師の娘<美佐子>がクラブホステスになり、結婚詐欺師に騙されているのではないかと心配した男からの依頼で、<伊野田>を調べ始める<俺>ですが、夢を追い続けることに酔いしれた哀れな結末が妙に悲しさを誘います。
客引き(ポーター)の<ノブ>は家庭も子供もありながら、中学校の同級生<チズル>の行状が気になる『秋の終わり』、離婚して分かれた息子が、有名大学の法学部に入学、男から別れた妻を探すことを依頼される『自慢の息子』、昔<俺>が企画したイベントのお金を持ち逃げした<池田>の悪だくみを、取引先に教えたことにより、仕事が回ってきた企画会社「ヘペイトス」にまつわる『消えた男』等、どれも「ススキノ」を舞台として、<俺>の哀愁が漂う作品が楽しめました。
ススキノの便利屋で、30歳の<俺>を主人公とした 『探偵はバーにいる』 に次ぐ2作目が本書です。
馴染のバー<ケラー>で呑んでいた<俺>に、<コンドウキョウコ>と名乗る女から電話があり、「サッポロ音興」の<南>に電話して「8月21日、カリタはどこにいる?」という伝言の依頼が舞い込みます。相手の反応を観察してほしいということで、任務を果たした帰り道、<俺>は地下鉄の線路に落とされ、危うく殺されそうなってしまいます。
<俺>は俄然興味を持ち、<コンドウキョウコ>という依頼人と同姓同名のスナックのママが、地上げにまつわると思われる放火事件に絡み殺されていることを知ります。
亡くなった<近藤京子>の母親を訪ねると、美人の妹<小百合>に心惹かれ、電話の依頼人かなと推測しながら、地上げ事件い絡み、<京子>の実の父親である<霧島敏夫>も、計画的に殺された事件が浮上、<コンドウキョウコ>の依頼とは別に、<俺>はススキノを走り回る羽目に陥ります。
依頼人の素性が判明した時には、すべての事件が終ってしまう意外な結末を迎え、思わぬ展開に驚愕してしまいました。
主人公は札幌市のススキノで便利屋を営んでいる<俺>で、夜の世界ではサスペンダーを利用しているので、<サスちゃん>と呼ばれています。
飲み屋の付けの取立てなど雑な仕事と、トランプ賭博で日銭を稼ぎ、夜な夜なホームグランドである<バー「ケラー・オオハタ>で酒男飲んでいますが、そこへ大学の後輩だと名乗る大学生の<原田>に声を掛けられます。
<原田>の同棲相手の彼女<諏訪麗子>が4日間ほど戻ってこないというので、人探しの仕事を気軽に引き受けてしまいましたが、どうやら彼女の失踪はラブホテルでの殺人事件と絡み、<俺>はススキノの人脈的情報網を駆使して、真相を突き詰めていきます。
洒脱な心地の良い会話と、登場人物たちの個性あふれる性格描写が秀逸で、巧妙に張り巡らされた布石が最後に生きてくる、ハードボイルドが楽しめる一冊です。
日本文学的に見て私小説の走りと言われている<田山花袋>の『蒲団』をベースに置き、「小説内小説」ともいえる手法で二つの話で構成された長篇で、男と女の三角関係が面白く描かれていました。
西海岸にある大学で日本文学を教える<デイブ>は46歳、妻と離婚して息子<ティモシー>を二人で交互に面倒をみていますが、<デイブ>は日系人の21歳の<エミ>を恋人として付き合ったいます。また<エミ>は、日本人留学生であり「カンバセーション・パートナー」の<コンドウ・ユウキ>とも関係を持っており、夏休みを利用して彼に付いて日本へ渡ってしまいます。
運よく<デイブ>に日本での学会の講師の話が舞い込み、<エミ>が立ち寄りそうな祖父のサンドイッチ店に毎日顔を出しますが、<エミ>は現れず、画家の<イズミ>と知り合います。
<イズミ>は、<タツゾウ>の父である95歳の<ウメキチ>の人生に対して心動かされ、絵のモデルとして接していましたが、<ウメキチ>は<エミ>に戦争中に知り合った<ツタ子>の話を語り続けますが、本当かどうかの真意は分かりません。
冒頭に述べましたように、文中には「小説内小説」として<デイブ>が書いた『蒲団』を本歌取りした『蒲団の内ち直し』が随時挿入され、時代が変わっても、男と女の基本的な関係は変わらないのを感じつつ、本書を読み終えました。
本書は怪奇小説のスタンダードともいえる「ゴースト・ストーリィー」物で、<ジョー・ヒル>のデビュー作ですが、「プラム・ストーカー賞」・「ローカス賞」を受賞したアメリカン・モダンホラーの神髄が楽しめました。
主人公は54歳の元ロック歌手<ジュード・コイン>ですが、スナッフフィルムなど異様な物を収集する趣味があり、ある日ネット・オークションで「幽霊の取り付いたスーツ」を落札、自宅に『ハート形の箱に入ったスーツ』が届いた瞬間から、怪奇な出来事が起こり始めます。
現れた老人の幽霊の正体は、かって付き合っていた<アンナ>の義父の<クラッド>で、<アンナ>は手首を切り自殺していますが、<ジュード>の責任だと復讐心に燃えて責め立てます。
<ジュード>は、現在の恋人<ジョージア(メアリベス)>と愛車マスタングに乗り、スーツを売りつけた<アンナ>の姉<ジェシカ>の家に対策を講じに出向いていきます。
自らの過去と対峙するとともに、<アンナ>の事件の真相が突き止められ、一気に結末へと読者を引きずり込ませる手法は見事で、600ページを超える大作が楽しめました。
来るべき裁判員制度に向けて、神戸地方裁判所の敷地内にて、増築棟の工事が行われています。
裁判所に出向くたびに、工事中の現場を横目に見ていましたが、本日足場が解体され、新しい増築棟の姿を眼にすることが出来ました。
「ふむ」
本館も、昭和50年代後半より、解体新築か現地保存とかで、随分物議をかもし出しました。最終的には、ルネッサンス様式の煉瓦の外壁を残し、内部は全面改修、近代的な材料・工法であるハーフミラーのカーテンウォールを用いた折衷案に落ち着いた経緯があります。
たとえて言うならば、袴をはき、蝶ネクタイをしているような違和感のデザインで、そのときにも「ふむ」と感じました。
その時代の社会状況として「よし」としなければいけないようです。年月を積み重ねれば、これはこれなりにまたランドマークとしての価値もでてくることだとおもいます。
同系列の家庭裁判所は、すべて新築工事ですので、近代的な材料・工法を用いてのデザイン手法で、まだまとまりがあるようです。
今回の増築棟は、ハーフミラーのカーテンウォールをデザインの要として用いられています。が、外壁が銀色のリブパネルですので、これまた違和感を感じてしまいます。
やはり、同一敷地内であれば、本館との統一感を持つべきだと思います。
本館に準じて、外壁は煉瓦を主体にまとめれば、少しは落ち着いた空間になったと思います。
著者には『映画は恋愛の教科書(テキスト)』という著書がありますが、第2弾的な恋の映画を絡ませながら、古今東西の俳優24名が登場しています。
73本の映画ウィ紹介しながら、73通りの男女の機微を著者独自の恋愛観でまとめており、大人のための恋愛映画の手引書としても楽しめる内容構成です。
『ベティ・ブルー』の<ベアトリス・ダル>、『ソフィーの選択』の<メルリ・ストリープ>、『女殺油地獄』の<樋口可南子>、『東京夜曲』の<桃井かおり>など、個性派俳優の演技力に改めて関心を持ちました。
< 後藤書店の「栞」 >
本日(12月16日)讀賣新聞の神戸版を見て驚いてしまいました。三宮センター街にあります、古書籍の「後藤書店」が来月14日で、創業98年の歴史に幕をとじると出ています。
神戸で一番大きな古書店で、学術書の探索にはこの店しかないという店ですので残念でなりません。
またひとつ神戸の文化が消え、古書店巡りが楽しみである私にとっては寂しい限りです。
ひと昔前までは、元町商店街にもたくさんの古書店(古本屋)が軒を連ねていましたし、JR高架下もそうでした。今は閉店してありませんが、元町商店街の「黒木書店」の親父さんは見識も高く博学で、とっつきにくいご仁でしたが、足蹴よく通っておりました。
若者の活字離れ、インターネットの普及と、原因はいろいろとあげられますが、新刊本の定価も高くなり、高いから読みたくても買えないという、鶏が先か卵が先かの議論になりそうで、書籍離れの解決策としての対策は難しそうです。
岩波文庫の星ひとつが50円の時代は、小遣いで文庫本が何冊か買えました。現在、文庫本でさえ一冊1000円を超す時代では、そうそう手にすることも難しく、若者に対して同情的にならざるをえません。
たしか、『国家の品格』(藤原正彦著)の中で、著者は「国語力が大事」だと述べられていました。ふとその言葉が頭をよぎった、今朝の朝刊記事でした。
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