ご冥福を祈ります<小松政夫>さん
12月
11日
<小松政夫>さんは昨年11月の定期健診で肝細胞が見つかり、入退院を繰り返していたそうです。抗がん剤治療を受けながら仕事も続行。俳優としてドラマなどに出演する一方、ラジオ番組などで軽妙なトークを披露していました。
1942年(昭和17年)生まれ。福岡の県立高校卒業後、1961年に俳優を目指して上京。さまざまなアルバイトを経験した後、自動車のセールスマンに。敏腕セールスマンとして高収入を得ていましたが、雑誌の片隅に出ていた<植木等>さんの「付き人募集」を見て応募し、1964年から付き人兼運転手となりました。<植木等>さんとの師弟関係を描いた自伝的長編小説『のぼせもんやけん』は、2017年(平成29年)に原案としてNHKで『植木等とのぼせもん』としてドラマ化されています。
俳優志望だったことを知った<植木等>さんらの尽力もあり、徐々にテレビへ出演。昭和30年代から40年代にかけ人気番組だった日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でセールスマン時代のエピソードをもとにした「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、知らない、知らない、知らなぁ~い、も~!」がうけて人気に。その後も映画評論家の<淀川長治>氏のものまねや<伊東四朗>との名コンビで人気となり、テレビ朝日「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」(1976年10月~1978年3月)からは『しらけ鳥音頭』がヒット、TBS「笑って!笑って!!60分」(1975年4月~1981年3月)では「小松の親分さん」などのギャグが子どもを中心に話題となりました。
2011年6月からは社団法人日本喜劇人協会の第10代目会長を務めています。