ご冥福を祈ります<ジミー・コブ>さん
5月
27日
1929年にワシントンD.C.で生まれた<ジミー・コブ>さんは、1950年にサックス奏者の<アール・ボスティック>とツアー・キャリアをスタートさせ、その後ヴォーカリストの<ダイナ・ワシントン>や、ピアニストの<ウィントン・ケリー>、サックス奏者の<キャノンボール・アダレイ>らと共演し、<ビリー・ホリデイ>や<パール・ベイリー>、<ディジー・ガレスピー>らと公演も行ないました。
1957年に<キャノンボール・アダレイ>の紹介で<マイルス・デイヴィス>のバンドに加入し、<ジミー・コブ>は<マイルス>の1959年の代表的アルバム『Kind of Blue』に参加したことで有名になりました。同作は『ローリング・ストーン』誌の「史上最も偉大なアルバム500」で12位に選ばれています。録音にはサックス奏者<ジョン・コルトレーン>やピアニストの<ビル・エバンス>らジャズ界の巨人たちが参加していましたが、いずれも亡くなっており、存命していた最後のメンバーでした。
この他にも、マイルスのアルバム『Sketches of Spain』(1960年)、『Someday My Prince Will Come』(1961年)、『Miles Davis at Carnegie Hall』(1962年)や、<ジョン・コルトレーン>のアルバムでも演奏しています。
1963年にバンドを脱退した後、<マイルス>のリズム・セクションにいた<ウィントン・ケリー>と<ポール・チャンバース>とトリオを結成し、1960年代の終わりにブレイクしました。その後はグレイト・ジャズ・トリオに加入し、1970年代には<サラ・ヴォーン>とツアーを行ない、スタンフォード大学やバークリー音楽院で教鞭を執っていました。