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神戸:ファルコンの散歩メモ

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神戸ご当地(1293)「八時間労働発祥之地」の碑

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「八時間労働発祥之地」の碑(神... 「八時間労働発祥之地」の碑(神戸:ハーバーランド東川崎町1丁目)
本日は日本において 「メーデー」 が行われてから100周年の節目に当たります。

労働基準法には、「労働者に、休憩時間を除き一日について8時間を超えて労働させてはならない」とあります。
8時間労働制の本格的な実施を日本に最初にもたらした労働争議が、1919年(大正8年)秋に神戸の川崎造船所で起こりました。ハーバーランドの東川崎町1丁目に、「八時間労働発祥之地」という碑が建てられています。

1919年(大正8年)9月半ばに、川崎造船所の本社工場の労働者たちは、賃上げや賞与支給などの労働条件の改善を求めた要求を会社側に出しました。しかし、これに対して当時の同社の社長<松方幸次郎>が、職工の中心的な要求に確定的な回答を与えなかったため、これを不満とした職工たちが同月18日からサボタージュ闘争をおこないました。このサボタージュ(怠業)という手段は、新聞記者<村島帰之>が提唱したもので、彼はこの模様を手記に残しています。

争議はほぼ10日間続きましたが、<松方>が8時間労働制の採用と戦時の歩増分の本給繰り入れなどを提示したため9月27日に解決しました。10月より兵庫分工場、葺合分工場、ついで本社工場において8時間労働制が実施されています。

川崎争議は全国的に大きな反響を呼び、他の工場労働者が時間労働制を要求する動きが広がりました。この(1919年(大正8年)の争議で川崎造船所の労働者は成果を得て、その1年半後大正10年(1921)ノ月25日から三菱・川崎大争議へと突入しますが、8月9日に完敗に終わります。

同争議は、友愛会の主力「神戸連合会」が指導し、全国から多くの労働者が支援に駆けつけ、最終段階には友愛会が本部を神戸へ移すなど、個別企業の枠を超えた全労働者階級の闘いへと発展した。一方経営者側は、労働者の要求が労資関係の枠組みに関することであるために、大量の解雇とロックアウトをもって応じ、厳しい態度で臨んだ。また、7月に労働者が「工場管理」を宣言してからは、警察に加えて憲兵隊が出動し、弾圧を強めた。こうして争議は労働者の「惨敗宣言」をもって終息し、以後友愛会は大経営における影響力を失うことになります。
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