金銅製の鈴「風鐸」@明日香村飛鳥・飛鳥寺旧境内
7月
1日
寺の中心伽藍からは北に離れた、県道(飛鳥坐神社西参道)の電線共同溝埋設工事に伴う立ち会い調査で、下半部は欠損していて、残存長8・4センチ。本来は推定約20センチとみられるものが、近世の整地土から出土しています
「風鐸」の形状や吊手の造り方などから、奈良時代以前のものとされ、「風鐸」としては小型の部類で、奈良時代の例をみると、大型が建物の軒先に付けられるのに対し、小型は塔の最上部の相輪に吊るされるといいます。
奈良時代に成立した日本の歴史書『日本書紀』によりますと、崇峻天皇元(588)年、飛鳥寺造営のために百済から技術者が派遣された。その中には、相輪など金属製部分の工人とみられる「鑢盤博士」の名があり、同寺の塔にも相輪があったと考えられています。ただ塔をはじめ三つの金堂、講堂などの建物の構造は明らかになっていません。塔との関連など今後の研究課題のようです。