「新聞の父」と呼ばれる<ジョセフ・ヒコ>(1837年9月20日~1997年12月12日)をあしらったマンホールの蓋が21日、出身地・兵庫県播磨町のJR土山駅前に設置されています。 13歳で船で行った江戸からの帰途で漂流。米国商船オークランド号に助けられ同国で民主主義を学び、通訳として帰国。1864年、横浜で日本初の民間新聞を発行しました。 日本名は<浜田彦蔵>。この柄のマンホールカードも作る予定の播磨町は生活に欠かせない下水道の役割とともに、<ヒコ>の業績にも関心をとしています。