<グーグルロゴ>(3)「塙 保己一」
6月
23日
江戸時代の国学者であり、幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。また、一時期、多聞房(たもんぼう)とも名乗る。雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名しています。
『群書類従』 ・ 『続群書類従』の編纂者として知られています。『群書類従』は「1273種」の作品がまとめられ、530巻666冊に及び、木版で製作されました。その際に<塙 保己一>は、なるべく「20字 × 20行」の「400字詰」に統一させました。これが、現在の原稿用紙の起源と言われています。