《”朝さんぽで出会った草花・・泉の森"❖’22/12/09》 紅葉・黄葉、をまだ見れるか??と朝散歩にでてみた。寒さを余り感じない!?! 寒さには強いほうだが、若い頃を思い返すとやはり暖かくなっているようだ。 それでも里地(里山)の雑木林に入ると林床は、冷えてる姿を見せていた。 健康志向の人が多いのに驚く。平日の昼間は、中高年人が多いのだが・・・!! 朝の散策者は、比較的若い人が多い。これからは、朝散歩にしよう!?! 「令和肆年(皇紀2682年)12月9日、記」
《”生活の中に見る;彩り=瀟洒(2)"❖’22/12/03》 2022年もあとわずかになってしまった。コロナ・・コロナで終わってしまうのか?? マスク着用について厚労省は、マスコミ等を活用し国民にもっとはっきりと広報すべきだ。 屋外のマスク着用は、不要!?!と発表しているのに、、、町中ではマスク着用者ばかりだ。 ゼロコロナからウイズコロナに移行しているのではないか、なのに??? 医療現場の従事者は、実に苦労されておられる。対して管理示唆する側の体たらく?? 政治・行政・経済・医療等のトップは、事を有耶無耶にしているとしか見えない。 現実を真摯に診て処方を表明し、我々庶民・国民を安心させて欲しい。 八百万の神にお助け願いたい程に。而して政界のリーダーに不満一杯だ。 ブツブツ戯言を思っていたら、同好の士・・師が、“きんつば”を届けてくださった。 僕にとってのキンツバは、“お酉(とり)さま”そのものだった。 僕の育った横須賀(諏訪神社)・鎌倉(藤沢・白幡神社)では“酉の市”が盛んだ。 とりわけ横須賀の諏訪神社の「酉の市」は凄い。境内に鎮座する大鷲神社の祭礼。 酉の市では、商売繁盛を願い招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。 又、市を開催する社から小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与されもする。 この小さなくまでは、神棚、荒神様に飾る(我が家では台所に飾っている)。 福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」とも呼ばれている。 元々は、農民の為に縁日の境内で熊手や鍬などの農具を販売したのが始まりらしい。 子供の頃、親に連れられ“くまでとだるま”を親子で一緒に買いに行くのが楽しみだった。 熊手は熊手商と買った(勝った)、まけた(負けた)と?やり取りを楽しんで買うもの。 商談が成立すると威勢よく手締めを打つ(商品額をまけさせる、やり取り・勝ち負けで)。 我が親のやり取りを思い出すと、値引き交渉は当たり前。交渉成立すると手締め、火打ち。 そして支払う時、親は「ご祝儀」とか言ってぽち袋を一緒に熊手商に渡していた。 僕の楽しみは、神社からの帰り和菓子屋さんでキンツバを買ってもらうことだった。 横須賀諏訪神社周辺の和菓子屋さんは、お酉さんの日は店頭に鉄板を置き目の前で焼いていた。 古くは、粟等でつくった「黄金餅」だったらしい(黄金餅は金持ちになれる)。 だが何時頃か、「切り山椒」が黄金餅に取って変わり市の縁起物として売られるようになった由。 キンツバや切り山椒は、今日でも売られているが、キンツバの店頭焼きは無くなったみたいだ。 切り山椒は、寒さを迎える時期、これを食べれば風邪を引かないともいわれる。 キンツバ、僕の中では“お酉さん”の日だけ売られるものだと思っていた(大学生になるまで)。 お酉さんが終わり、師走に突入!! 今年も終わるぅ。片付け、整理、掃除をしないと・・・。 最近、余り使っていないが伝統的な “箒”という掃除道具。住い居る神奈川県には、、、!! 丹沢山地に箒杉沢という場所もある。この箒杉沢の上部は笹の草原に覆われている。 この丹沢山地の麓に伝統ある中津の箒(ほうき)文化を、現代に伝える 箒博物館がある。 東丹沢の麓では、明治初期から昭和20年代にかけて箒造りが盛んであった。 旧中津村(現:愛川町中津)での箒作りは、神奈川県下での産業の1つで有名であった。 中津一帯に座敷箒作り職人が大勢おり、畑には箒の原材料のホウキモロコシが栽培されていた。 だが昭和30年代になると掃除機の普及等で生活様式も変わり、箒産業は衰退してしまった。 10数年前、元職人が高齢化する中、伝統的箒の文化を残し、暮らしにあった箒を模索し始めた。 「中津箒」を再興、継承のため開設されたのが「箒博物館 市民蔵常右衛門(しみんぐらつねえもん)」だ。 中津の箒は、「東京箒」とか「関東箒」などと呼ばれていたそうだ。 「令和肆年(皇紀2682年)12月5日、記」
《”彩り=瀟洒"❖’22/12/02》 紅葉・黄葉をゆっくりと見る時間がない。 晴天に恵まれなく、、、タイミングが悪いだけだが。。! そんな中でも一瞬、出会った好景。 早12月、今年もあと少し。でも里地を通ると気分が良い。 「令和肆年(皇紀2682年)12月2日、記」
《”婚姻生活より長く付き合っているもの"❖’22/11/30》 現像~焼き付け、こんな事書いても分る人は少なくなった。 子供の頃、初めて手にしたレンジファインダー35mmカメラNikonSP&S3。 今にして思えば、子供が使うものではなかった(父が仕事で使っていたカメラ)。 今では死語だろうが”写真機”と呼んでいたカメラ。一眼レフ機の前時代。 風呂場・脱衣場を改造??して暗室にして全紙大までは、自分でプリントしたものだ。 写真機などと言われていた頃、カラー写真の事を”天然色写真”とも呼んでいた。 青年時代、仏像写真・植物写真を好んで撮っていたが自由自在に今は撮影できない。 カメラ自体もフィルムカメラからデジカメに移行したと言って良いのだろう。 時代とともに進化しているカメラ機材だが、便利になりすぎた、と老人は思う。 贅沢なことだが、もっとシンプルなシステムで安価なものが出来ないだろうか。 今日は、カメラの日だそうだ!!! 1977年(昭和52年)に小西六写真工業が世界初の自動焦点カメラコニカC35AFを発売した。 自動焦点(オートフォーカス)カメラ「ジャスピンコニカ」なんて呼ばれていた。 高度な撮影技術を不要としカメラの普及に大きく貢献した。「カメラの日」の所以に由。 スマホの普及でカメラを別に持たなくてもすむ。でもこだわった機能を持つ、それがカメラ。 カメラはカメラであって、スマホのそれは、カメラ機能的装備だとおもう。 「令和肆年(皇紀2682年)11月30日、記」
《”泉の森・・散歩??"❖’22/11/26》 時間的に余裕がなく、紅葉・黄葉鑑賞に出掛けられないでいる。 タイミングが悪い。紅葉・黄葉は、晴天の方がよく似合うのだが。。! 出掛ける折には、電車の一駅間を遠回りだが森を通って行く。 今年の11月は、天気が余り良くなかった、と感じている。 それでも里地・里山散歩は、気持ちいい。 「令和肆年(皇紀2682年)11月29日、記」
《”夜景・・世の事象"❖’22/11/27》 異国の友だちが、観光と休養を兼ねて日本各地を探訪している。 新嘗祭の日に、新宮にいて神事を見て感動したと連絡をよこした。 日本の伝統文化を新たに・・再発見していると。更に旅先の情報をきいてきた。 仲間(異国人達⇔西欧人)の感覚がいい。日本人に先導・案内して欲しくない、と。 暫く前、横浜で30年ぶりに仲間・学友が一同に会して議論を戦わせた(同窓会??)。 夜、宿泊した場所から見下ろす景色が、今の日本そのものか??って思った。 光にごまかされて、影が余りにも深く沈みこんでしまっている。闇が大きい。 政治の世界で、統一教会関連の規制・法制が言われているが、骨抜き法案だ?? 創価学会等、宗教団体問題の本質が問われるのではなく、ザル法、、、相変わらずだ。 議会人の見識を疑う。”もりかけ”と言われた問題処理となんら変わらないッて思う。 今の日本社会は、マスコミ報道主導で右往左往してよいか???危惧するばかりだ。 異国人達が、一同に驚いていたのが日本国内でのマスク対応、コロナ対応。 この問題でも、利権がうごめいているように聞こえてくる。マスメディア不信だ。 「令和肆年(皇紀2682年)11月27日、記」
《”新嘗祭・勤労感謝の日??=新・旧"❖’22/11/23》 勤労感謝の日=新嘗祭;第二次世界大戦後に勤労感謝の日と変化した。 勤労感謝の日「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」とある。 1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日のひとつだが。。。! 戦前はこの日を新嘗祭と呼び、宮中では天皇が新しい米などを神殿に供えた。 新嘗祭と呼ばれていたのは、1873(明治6)年から1947(昭和22)年までの祭日。 天皇が新穀を天神地祇に勧め、親しくこれを食する祭儀と。 現憲法では、皇室典範から儀式は除外されたが各地の神社で新穀感謝の祭事は続いている。 新嘗祭は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的とする宮中祭祀の一つ。 新嘗祭は「しんじょうさい」とも言われ。「新」は新穀を「嘗」は奉ることの意。 収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄を祈る祭儀。 現在、このお祭りは毎年11月23日に、宮中を始め、日本全国の神社で行われている。 宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉り、その新穀をお召し上がりになる。 神嘗祭も新嘗祭も神事、宮中行事でもあることから一般人にはあまり馴染みのない行事。 天皇の即位後、初めて行う新嘗祭を大嘗祭と称する。 神宮では神嘗祭と称して新穀が奉られる。 古来より日本では稲作が生活の基本になってきた。”黄金の国ジパング”と言われた所以である。 日本各地で初穂の収穫を祝い感謝する「収穫祭」や神社では「秋季大祭」が行われている。 収穫を祝い感謝する気持ちは、日本人の心の中に根付いていると行っても過言ではない。 初穂(新米)をいただくときは、古来より続く伝統ある行事と重ねてもよいと思う。 日本人は2000年以上の歴史のなかで、天皇陛下から国民に至るまで神を祀って来た。 五穀の豊かな稔りを祈る。稲の育成周期が日本人の一年といえる。 農耕が生活の総てであった時代、豊作を祈る事は国家安泰、国民の繁栄を祈る事であった。 祈年祭は国家規模で執り行われていたようだ。 伝統的行事を未来につなげよう!!米がパンに取って代わられた様に感じる昨今ではあるが、 米は日本人に不可欠なものでは!?!稲田公園、棚田等々、日本の原風景でもある。 米文化は、もっともっと語られて良いと思うし、日本の伝統行事をもっと盛り上げたい。 11月23日(木・祝)は、勤労感謝の日だが、「新嘗祭」と併記してみては!!お祭りとして。 現在でも「新嘗祭」の為に、献上米(献穀米)を作っている(皇室に献上する)。 毎年11月23日に皇居で行われる重要儀式「新嘗祭」に献穀米として献上するお米。 新嘗祭での献穀は明治25年(1892年)からはじまり、宮中献穀事業とも呼ばれ、 全国各都道府県で献上米を作る農家が毎年選定され、献上米が造られている。 その献納される新穀(新収穫した粟やお米等の穀物)を天皇陛下御自らが神様にお供えし、 五穀豊穣に感謝祈願をする重要な宮中祭祀の一つ。 全国各都道府県で献上米を作る農家が毎年選定され、献上米が造られている。 その製法には細かい規定があり、厳格な管理のもとで栽培された最高級のお米。 仔細は別にして、このような伝統的な祭祀を広く知らせるべき、と思って止まない。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ お米に関しては、神奈川県平塚生まれのブランド米「はるみ」がある。 平成28年度の日本穀物検定協会(穀検)で最高評価となる「特A」の評価を受けた。 コシヒカリとキヌヒカリの交配種で平成27年2月、県水稲奨励品種に決定。 全農営農・技術センターは、品種改良に約10年を費やしてきた。 神奈川県では初めての特A米。甘み!!を持つ、とっても美味しいお米だ(私感)。 全国各地で栽培されてる地域米種、競争ではなく地元として誇りを持って食したい。 「令和肆年(皇紀2682年)11月24日、記」
《”紅葉・黄葉の下に色づく花々"相模原公園❖’22/11/06》 麻溝公園の隣に県立相模原公園があり、中にサカタのタネグリーンハウスがある。 このグリーンハウス(温室)の熱源は、隣接の相模原市南清掃工場のごみ焼却熱を利用している。 この循環システムは、見習うべきシステムといつも感心しながら散歩している。 この季節、相模原公園に咲く花が楽しみで出掛けている。 「令和肆年(皇紀2682年)11月22日、記」
《”色づき始めた公園の樹々"麻溝公園❖’22/11/06》 神奈川県相模原市南区にある相模原麻溝公園は、時折散歩する場所。 当日の目的は、隣接の相模原公園に咲く花が目的だった。 が、駐車場の問題で麻溝公園に駐車。麻溝公園を通って相模原公園に行く。 麻溝公園には、グリーンタワー(展望台・38mの展望室)があり眺めがいい。 そしてこの公園に足が向くのは、関心ある植物が幾種類あることによる。 展望台から見ゆる景色。当日は、少し早かった。 「令和肆年(皇紀2682年)11月20日、記」
《”初めて気づいた小さな蝶”泉の森❖’22/11/05》 ムラサキシジミ(紫小灰蝶); 翅(はね)を広げても3-40mm。翅の表が青紫色で周囲を黒褐色で縁取る。 ムラサキシジミは、薄暗い照葉樹林の中の低い所の葉等に止まっている由。 その姿は、日光浴している風に見える。又、チラチラと飛ぶ姿も可愛い。 アラカシ、森のなかで極普通に見られる樹だが、その葉を好んで食するらしい。 アラカシは、高樹。それ故、見なかったか??偶然、低い位置の葉に見つけた。 蝶の名前が分からず調べてみたが、ムラサキツバメかムラサキシジミだろう? 泉の森・シラカシの家職員(学芸員)に尋ねたらムラサキシジミ、と教えて頂いた。 「令和肆年(皇紀2682年)11月18日、記」