《”色づき始めた公園の樹々"麻溝公園❖’22/11/06》 神奈川県相模原市南区にある相模原麻溝公園は、時折散歩する場所。 当日の目的は、隣接の相模原公園に咲く花が目的だった。 が、駐車場の問題で麻溝公園に駐車。麻溝公園を通って相模原公園に行く。 麻溝公園には、グリーンタワー(展望台・38mの展望室)があり眺めがいい。 そしてこの公園に足が向くのは、関心ある植物が幾種類あることによる。 展望台から見ゆる景色。当日は、少し早かった。 「令和肆年(皇紀2682年)11月20日、記」
《”初めて気づいた小さな蝶”泉の森❖’22/11/05》 ムラサキシジミ(紫小灰蝶); 翅(はね)を広げても3-40mm。翅の表が青紫色で周囲を黒褐色で縁取る。 ムラサキシジミは、薄暗い照葉樹林の中の低い所の葉等に止まっている由。 その姿は、日光浴している風に見える。又、チラチラと飛ぶ姿も可愛い。 アラカシ、森のなかで極普通に見られる樹だが、その葉を好んで食するらしい。 アラカシは、高樹。それ故、見なかったか??偶然、低い位置の葉に見つけた。 蝶の名前が分からず調べてみたが、ムラサキツバメかムラサキシジミだろう? 泉の森・シラカシの家職員(学芸員)に尋ねたらムラサキシジミ、と教えて頂いた。 「令和肆年(皇紀2682年)11月18日、記」
《”露天風呂"”富士嶽"~”昼食"点描❖’22/11/01》 精進湖周辺は、保養地といった感じの場所。ペット連れの散歩者も多くみえた。 宿泊した宿の露天風呂からの富士嶽は、なんとも言えない美景だった。 末広がりが見える単独峰・富士山の姿だが、僕は相模湾から見る富士山姿が好きだ。 しかしながら、間近に見ゆる富士嶽は別、微妙な山肌がみてとれ美しい。 紅葉・黄葉自体は深まって居なかったが、富士嶽の迫力・優美さに魅了された旅。 3日目は、天候も良くない事もあって観光スポットをスルーして帰宅の途に。 帰り道、天気も曇り程度だったので時折おじゃまする山北カフェにて昼食をとった。 素朴なCafeだが、好きな場所。今回の三日間で唯一、まともな昼食がとれた。 このカフェの昼食、初めて頂けた。ここのカフェのソフトクリームは美味である。 自転車ツーリング仲間には有名(私見)な人気あるカフェ。ランチも美味しかった。 「令和肆年(皇紀2682年)11月17日、記」
《のんびりと”富士嶽"を拜いせる場所❖’22/10/31》 富士五湖に時折寄るが、西湖・精進湖・本栖湖周辺は若い頃歩いたのみ。 紅葉・紅葉は、少し早かったが湖・富士山拝観だけで良い、に変更。 同じように見える富士山の姿だが、僕は相模湾から見る富士山姿が最も好きだ。 しかしながら、間近に見ゆる富士嶽は、美しい・・・微妙な山肌がみてとれた。 「令和肆年(皇紀2682年)11月15日、記」
《紅葉・黄葉行脚”信玄餅~富士嶽"❖’22/10/31》 昇仙峡から甲府盆地の石和温泉まで走り(車)温泉で癒やされた。 笛吹川フルーツ公園も良かったが、この地に来たら”信玄餅”である。 昨今は、どこでも手に入るが・・最近、限定新製品が発売された。 販売場所も数カ所のみ、極端に入手困難。地元に来ても入手出来なかった。 諦め通常の信玄餅を購入して、紅葉・黄葉探しに出掛けたが・・・!?! 車からの眺めで、黄葉・紅葉は諦めた。せっかくなので富士山眺望に切り替え。 探すと笛吹市芦川町上芦川・新道峠にあるFUJIYAMAツインテラスが良さそうだ。 ツインテラス直下迄、町営バスが運行している(バス終点から徒歩5分)。 林道が狭く一般車の走行不可、駐車場所が無いことで町営バスが登ってくれてる。 テラスからの眺望は、”言葉を持てない”程の圧巻景観だった(天候も良かったので)。 河口湖を眼下に、富士山のすそ野・麓が一望出来た(初めての場所)。 感動景観でお腹いっぱい。峠から下り、河口湖の”コキア”を見に寄った。 軽い昼食を、と思うも混雜。パンでも買ってと思ったが売り切れ!!観光地は凄い。 「令和肆年(皇紀2682年)11月13日、記」
《紅葉・黄葉行脚”フルーツ公園"❖’22/10/30》 昼飯を取らずの渓谷浴は、すこぶる気分良いものだった!! 宿に行く道すがら甲府盆地を見渡せる丘陵(笛吹川フルーツ公園)に寄った。 途中のフルーツラインと称される道路は、まさに果樹農園の中を走っているよう。 目的の笛吹川フルーツ公園は、想いの外立派な公園で驚いた。駐車場も無料!! 観光地と言うより近在生活者の憩いの場の様に映る(ごく一部分しか見ていないが)。 資料には、公園内に近代的な老舗富士屋ホテルがある由(泊まりたかった)。 世界ブランドになったワイン産地、海のない山梨県でのホテル料理は如何に、と思う!! 甲州は、素朴な温泉郷、懐深い山々に囲まれ盆地と云ったイメージだった我が青年期頃。 親になった頃には、白州町のサントリーワイナリーが人気を博していた。 その白州町の山間に、BMXレースの立派なコースがあった。35年以上前の事。 夕暮れ近くで、浮かび上がるように富士山が顔を見せてくれた。 やはり富士山は、優美だ。 「令和肆年(皇紀2682年)11月12日、記」
《紅葉・黄葉行脚”昇仙峡"❖’22/10/30》 甲府市内観光の後、昇仙峡を目指した。40年近く訪れていない。 甲府盆地自体が、小綺麗になって都市化していると、爺には感じた。 市街地から山間に入ると、昔の自然景観が甦る。道路は、見違える程に綺麗!! ロープウエーは、初めて乗った。年寄りには、やさしい。感謝だった。> 紅葉・黄葉は一寸早かったが、羅漢寺山(弥三郎岳)からの展望は良い。 日本最高峰の富士山、2位 北岳、3位 間ノ岳の山々が一望できる,好天気なら。 あいにく富士嶽・南アルプスはお隠れ、茅ヶ岳は辛うじて拝め、感慨・思い出に浸れた。 ロープウエーで下って、そこから昇仙峡渓谷(荒川)の遊歩道を歩き下った。 整備された遊歩道から見る柱状節理の花崗岩や輝石安山岩の奇岩群、やはり圧巻。 久し振りの散策、ハイカー・家族連れ・老若男女、たくさんの人と行き会った。 気分よく、渓谷入り口迄下ってしまい、バスでロープウエーの駐車場に戻る事にした。 昼飯を取らずに歩いたのは、我ながら驚き。トップリと森林浴、それで良し!! 渓谷入口から更に下流方向、川に添って遊歩道が続いている。> 長潭橋(ながとろばし)の間に色々な奇岩があり紅葉・黄葉もが良いが今回はパス。 「令和肆年(皇紀2682年)11月11日、記」
《紅葉・黄葉行脚の前に観光"❖’22/10/30》 先月末、所要で甲州へ。久し振りに甲府周辺を散歩した。 今年初の紅葉散策に秩父~笛吹川西沢渓谷を考えたが?? 災害があって散策路が不通だったり、時間の問題もあって断念。 楽したい事もあって甲府盆地北側、荒川上流の昇仙峡を目指すことに。 正しくは、特別名勝・御嶽昇仙峡(みたけしょうせんきょう)と言う。 秩父多摩甲斐国立公園に属し、渓谷は遊歩道が整備されている。 柱状節理の花崗岩や輝石安山岩の奇岩群は、圧巻である。 甲府は、学生時代から幾度となく訪れた所。登山の途中での事だったが。 今は、甲斐市に属するが、茅ヶ岳という素晴らしい山も隣接している。 茅ヶ岳は、山の大先輩で尊敬する偉人、深田久弥さん・・・思い出の山。 そんな茅ヶ岳を遠望できる!!と、昇仙峡に行くことにした。 所要を済ませ、山に行く前に久し振りの甲府市内も観たかった。 甲府と云えば”印伝”目的のお店を探すも中々見つからず、更にはお休みだった。 今一箇所、訪ねたい場所もあったが時間の都合で又の機会に譲った場所、清運寺。 この寺には、”千葉さな子”のお墓がある。幕末の志士・坂本龍馬の許婚者?? 千葉さな子は、江戸の北辰一刀流、千葉定吉(千葉周作の実弟)の娘。 坂本龍馬は、定吉の桶町道場の塾頭、さな子も免許皆伝の腕前であった。 竜馬とさな子の関係は、いかなるものであったか仔細は分からず想像するしかない。 墓石にある”坂本龍馬室”、再度この目で拝したくも思っていたが・・・!! 明治・・文明開化時代の一端を思える場所が甲府でもある。 さな子の墓を建てたは、自由民権運動家として知られた小田切謙明である(仔細略)。 その明治期を懐古する所が甲府駅の北側に”甲州夢小路”として出来たと聞き訪ねてみた。 謳い文句に、甲州夢小路、甲府時の鐘が目印で甲府城下町を再現、情緒ある空間とされる。 楽しみに出掛けたが、少し物足りなく感じた。 「令和肆年(皇紀2682年)11月10日、記」
《身辺の小公園"草樹"❖’22/11/5》 シロバナスイセン(白花水仙); 一般的にスイセンと云えば、フサザキスイセンを指すのが一般的。 学名の中にあるtazetta は「小さいコーヒー茶碗」を意味する。 樹々が、紅葉・黄葉し始める今頃に咲き始める清楚な花。 西ヨーロッパ、地中海沿岸、北アフリカが原産。米国等に帰化している。 多くの初期の文献ではフサザキスイセンと同種とされてきた事で混同されてきた。 副花冠の黄色のフサザキスイセンと混同、房咲き水仙の亜種、変種とも云われて来た。 平安時代に渡来したといわれ、園芸品種のTazetta daffodils(タゼッタ系)に含める。 球根は卵形で、外皮は暗褐色。葉 は4個付き、扁平、骨があり、粉白を帯びる。 花序は散形花序、花を 5~15個つける。苞(spathe)は淡褐色で紙質。花は強い芳香がある。 花被は、基部で次第に細くなり白色。花被片の分かれた部分は、平開(反り返りもある)。 雄蕊6個、3個は短く花被筒部の中にあり、長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。 レンギョウ(連翹); 庭木としてよく植えられており畑の縁などでも見られる。 幹は茶褐色、縦に割れ目が入る。枝はよく伸び、長くなると下垂する。 葉は対生で卵形、葉先が鋭く尖り葉縁に粗い鋸歯がある。 若枝の葉は、3出複葉もある。雌雄別株。開花した後に葉が見えてくる。 花冠は鮮黄色で4深裂し裂片は倒卵状惰円形。雄蕊は2個。 「令和肆年(皇紀2682年)11月6日、記」
《日本の和装文化"結び"❖’22/11/3》 今日は、文化の日。第二次大戦以前は、明治天皇の誕生日を記念した明治節と呼ばれた。 戦後、1946年(昭和21年)11月3日、平和と文化を重視した日本国憲法が公布された。 そんな経緯の中で、今の文化の日の出来事は勲章の授与、文化庁主催の芸術祭が中心か? 秋は文化祭シーズン、学校や自治体が毎年文化の日前後に文化祭が開催されている。 * * * * * 観光地、とりわけ古都とか歴史的伝統のある街を歩くと和装姿の人々を良く見掛ける。 自前の着物かって思っていたら、貸し衣装屋が存在していた。それでもちょっとうれしい。 僕の若い頃は正月程度、和服を外で着るなんて。でも洋服でも自宅では下駄は履いている。 和装・着物は、日本独自に培われた伝統的衣服だ。織物文化・紐文化は日本独自の特徴だ。 最も身近に感じ取れるのが、和服の帯ではないか。色々な結び方があるが、其々が美しい。 着かたにしても色々だ。”粋”という表現も日本的だが、中々説明でいないでいる。 ゆったりと着物を着ている方が少なくなった。それは日常に着ていないからだろう。 東京浅草とか鎌倉で見る和服姿の人々の多くは、着ているというより着せられている?? 失礼だが、着こなしていない。日頃着ていないからで仕方ない。それでも和服姿、好きだ。 下駄・足袋・草履、そこにも結び文化が在る。鞐 「令和肆年(皇紀2682年)11月3日、記」