《襍・/・画 “今年初見の樹花” ❖’23-15》

泉の森・民家園の素芯蝋梅。 泉の森・民家園の素芯蝋梅。
ふれあいの森の素芯蝋梅。 ふれあいの森の素芯蝋梅。
《身近な里地、泉の森・ふれあいの森2/6》
ソシンロウバイ(素心蝋梅) ロウバイ科(Calycanthaceae)
学名:Chimonanthus praecox (L.) Link form. luteus (Makino) Okuyama
蝋梅名は、半透明で蝋細工の様な花弁で、茎にスポンジ状の白い芯。
これが素心蝋梅と名付いた由来とされている。
ロウバイの園芸品種。内側の花被片が赤色を帯びない。
花もやや大きく、ロウバイより多く栽培されている。
ロウバイは、花がやや小さく内側の花被片が赤色を帯びる。

「令和伍年(皇紀2683年)2月9日、記」

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《襍・/・画 “CP+2023” ❖’23-14》

完成された名機、❛LeicaM... 完成された名機、❛LeicaM3❜
M3より古いライカ III f... M3より古いライカ III fの天井部、美しい。
ライカ III f+ライカエル... ライカ III f+ライカエルマー50mmF3.5機能的で使い勝手がよかった。
《襍・/・画 “CP+2023...
上二枚の画像は、LeicaM3... 上二枚の画像は、LeicaM3をパクった小型カメラ。
ミノックス製、遊び心ろ満載。ちゃんと写る。手中に隠れる大きさ。
最も気に入っていた、NIKON... 最も気に入っていた、NIKON SP 楽しいカメラだった。

編集

《二月の楽しみ・・❝CAMERA&PHOTO IMAGING SHOW❞》
’豆まき’が終わり春分の日も過ぎると私的楽しみが脳裏にせまってくる。
カメラ好きにとっては、年に一度のカメラ大展示会は貴重な催しだ。
今では、ネットを通せばあらゆることを容易に検索できる。
だが、カメラ関係機材を実際に触れて見れる機会は、CP+くらいだ。
会場で配布される出展機材写真一覧パンフレットは重宝でもある。
古くは、東京日本橋高島屋で開催されていて、見学後カメラ屋巡りもした。
今や日本のお家芸的に世界を席巻してるデジカメ産業、恐れ入る!!
そんな中でも全世界の写真家に愛用されてるドイツ製カメラ❛Leica❜。
高性能・・・高価格、とても、とても・・・高嶺の花、それ以上のカメラだ。
フィルム(銀塩)カメラ時代、❛LeicaM3❜を使っているご婦人が身近にみえた。
写真仲間、兄上がプロ写真家でおさがりだといっていたが・・どうしてどうして!!
撮影センスは、すごいものを持っておられた。今はどうしておれるか??
へそ曲がりの僕は、あえて一眼ではないレンジファインダーの国産中古カメラを探した。
それがNIKON SP。これとて分不相応なカメラだったが安く入手できた。
40年も昔のこと。ドイツと往復してた事もあって日本製カメラを誇りに思ってた。
性能的にライカに遜色なかった。ある時、友達とカメラ交換をしたことがあった。
欲しかった中判カメラとNIKON SPと交換、それほど評価されたカメラとおもっている。
今は、使わなくなったがフォルムが好きだ(一眼ではない。レンジファインダーだ)。
中身は、デジタルでいい、外観だけでも往年の形状でかつ日本製カメラの登場を待たい。
ある機種のデジカメを卒業したく思っている今、花撮影に特化したシステムもさがしたい。
知人のを借用して目星はついているが、高価。目の保養にでかけてみるか!?!

「令和伍年(皇紀2683年)2月6日、記」

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《襍・/・画 “豆まき!!” ❖’23-13》

《襍・/・画 “豆まき!!” ...
子供のころ、豆を買いに行くとこ... 子供のころ、豆を買いに行くとこんなお面がついていた。
お面をつけて豆をまいた記憶がある??
太巻きのお寿司は、子供時分、食... 太巻きのお寿司は、子供時分、食べた記憶がない。
恵方巻は、関西の食仕方と思ってきたが!?!
《遊び感覚だった”節分・・❝豆まきは、今!!❞》

節分祭という行事を見に行ったことがない。
各地でいろいろな催しがあるようだが出かけたことなかった。
若い・・青春時代頃は、期末テストでそれどころではなかった。
今でも覚えているのは、小学生時代に自宅でやった’豆まき’。
鬼は、そとぉ~! 福はうちぃ~! なんて言っていた気がする。
歳の数だけ豆を食べたのは覚えているが、夕食は何を頂いたか??
印象にない。ただ、母が小豆を煮込み羊羹を作り食べさせてくれた。
粒あんの羊羹は、我が家では定番お菓子でよく頂いたものだ。
 節分とは、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日を意味する。
生まれ育った神奈川県の郷土的催しがあるや否や知り得ていない。
2月頃は、父や自分も多忙で節分を意識したことがなかった様なきがしている。
孫たちには、日本の伝統文化を知ってほしい。意識して教え示していきたいものだ。


「令和伍年(皇紀2683年)2月3日、記」

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《襍・/・画 “テレヴィジョン!!” ❖’23-12》

古き和室の佇まい。... 古き和室の佇まい。

モダ~ンな、ちょっとおしゃれな... モダ~ンな、ちょっとおしゃれな感じ、現代和室。

《televisionと共にある我が人生”懐古”》

今年は、寒気が強いと言われているが、それは今的感覚。

家中の暖房が、囲炉裏・炬燵・火鉢が主流だった我が子供時代。

風呂用の薪は、買っていた。石油ストーブ、電気炬燵に驚いた幼少期。

寝床に”湯たんぽ”今や知る人も少ないか(団塊世代なら???)。

暖房用には、豆炭が中心で炭も多用していた。居間の暖炉は暖かい。

今では諸問題があって使うのをひかえている。

そんな幼少期にNHK等のテレビ放送がはじまった。

今日は、テレビ放送記念日。1953(昭和28)年、NHK東京放送局がTV本放送を開始した。

受信料は月200円。53年8月に日本テレビ、翌54(昭和29)年3月にNHK大阪と名古屋。

55(昭和30)年4月にラジオ東京《現在の東京放送(TBS)》もテレビ放送が開始している。

我が家には、米国GE製の14吋のテレビがあった(いただきものだった由)。

白黒で、、、懐かしく思い出す。カラーテレビが普及したのは前東京オリンピック頃。

1959年の皇太子殿下(現上皇)のご成婚パレードがきっかけでカラーテレビ化が進んだ。

更には、この年にロケ取材番組が始まっていた。驚きの紀行取材だった。

兼高かおる世界飛び歩き』(『兼高かおる 世界の旅』の前身番組。)

世界の旅は1990年までつづいた長寿番組。刺激を受けた旅番組だった。

そしていまひとつ今でも見れてる旅・紀行番組『遠くへ行きたい』も、感慨深い。

兼高さんの世界紹介に感化され異国を旅してみると、国内を知らない自分が???

古都保存・町並み保存により感心がふかまった。成果は見たが、更なる課題もある。

TV放送も転換期だろう。今を生きる、未来を模索すべく、テレビ放送記念日におもう。

「令和伍年(皇紀2683年)2月1日、記」

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《襍・/・画 “忘れられていた植物” ❖’23-11》

《襍・/・画 “忘れられていた...
《花壇の片隅で立派に生きてる”万年青”》

今年は、寒気が強いと言われているが、、、?
僕の幼少期の感覚を思い起こすとそんなに寒いか!?!
身体が、寒さに慣れていたのかもしれない。単に鈍いのかも。

庭手入れの道具箱の裏側で、一鉢の植物が健気な姿をみせていた。
手入れもせずいつの間にかこんなところに追いやられていた。
万年青(オモト)、いつも青々と葉の姿も張りがあって美しい。
長寿と健康を司る縁起の良い植物とされ親しまれている古典園芸植物。

寒椿が蕾を持ち始めた。そんな木々の下で活きている。
ある瞬間、陽の明かりに照らされて華麗な姿をみせてくれた。

「令和伍年(皇紀2683年)1月25日、記」

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《襍・/・画 “あづさい'23(1)” ❖’23-10》

まだ、額輪、花が残っている。下... まだ、額輪、花が残っている。下部には新芽が元気に顔を見せた。
可愛い新芽。 可愛い新芽。
如何になるか楽しみだ!! 如何になるか楽しみだ!!
《自庭の紫陽花観察(1)》


一月も二〇日を過ぎた。小さな庭の一角に数株の紫陽花を地植えしている。
年頭より新芽が見え出して結構成長してきた。楽しみに観察して行こう。
我が家の紫陽花植栽場所は、比較的日当たりがよく落葉が遅かった。
いくつかの枝には、まだ花が残っている。このまま自然体で放置してみる。

マニュアル・手持ち、ワイドで撮っている。
切り出し画像だが、ピントがいまいち??老眼ゆえか??

「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」



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《襍・/・画 “匠・・道具” ❖’23-09》

鉋・・・日常の生活の中ではあま... 鉋・・・日常の生活の中ではあまり出番がなくなったが、
子供と一緒に遊べる道具だ。
何ともかわいい鉋。用途は特殊か... 何ともかわいい鉋。用途は特殊かもしれないが、見ているだけでもいい。
書斎に置いておくだけでもたのしめる。
鉋・大工の力量か、均一に如何に... 鉋・大工の力量か、均一に如何に薄く長く削れるか!!


《寺社建築の表情・・・!!》

日本の木造建築は、すばらしい。単なる素材ではなく木々の命を見せている。
とりわけ寺社建造物を手掛ける”宮大工”の職人技は、冠たるものがあり誇らしい。
技を活かす原動力源が、道具群。鑿・鉋・鋸等々、みな日本独自の鍛冶職人の技。
それら道具を駆使する大工さんは、魔術師のようにみえる。棟梁は、神だ。
道具、取分け刃物の切れ味は怖しい程に鋭い。地元鎌倉にも伝統ある刀工房がある。
生活具も作っておられ、包丁や鋏は、百年近く使っていても益々元気!!
現代の使い捨ての真逆をいっている。我が孫にも是非に使い続けてほしい。

この小正月に長男が、裁ちばさみと包丁を使うと言って引き取りにきた。
長男の仲間に砥ぎ師がいるから、と。ついでに鰹節削り器の刃も依頼!!
全部、子供に使ってほしく思って出しておいた(孫まで繋げるか)。
鰹節削り器の箱本体、鉋の鉋台部分共にかなり痛んでおり今は使っていない。
母は、鰹節削りを愛用していた。父が新潟で鉋職人から入手した物に由。
取に来た長男が、鉋の刃を見て驚いていた。刃を作った職人を知っていると!!
新潟県長岡市の与板打刃物・伝統工芸士、名工と謳われた碓氷健吾作だとか。
故人で面識はないというが、お弟子さんの船津祐司氏(鉋鍛冶)から聞いていると。
また、国立民族学博物館(大阪)映像資料「鉋づくり」も見たといっていた。
そんな職人さんの刃がなして我が家に??不思議だがご縁があったとしよう。
 新潟県三条市には、鰹節削り器の心臓部を作っている所もある由。
鉋(かんな)の木部「鉋台(かんなだい)」だけを作り続けているとは驚きだ。
刃を作る鍛冶屋、鉋台を作るのは台屋と呼ばれている由。知らなかった!!

鉋で思い出すのは、槍鉋。往古の木造建築物表面加工!!に使われていた由。
法隆寺宮大工、故西岡常一棟梁によって蘇った槍鉋と技巧。まさに温故知新。

日本の木造建築技巧をもっと取り入れるべきではないか。世界に誇り得るものだ。

昔、歴史的風土を考える市民団体が鎌倉にあった(全国歴史的風土保存連盟)。
今の時代に今一度、和の風土感を考えてみるのも一考か、と思ってやまない。

「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」



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《襍・/・画“冬・森々(深々)” ❖’23-08》

冬・・雪中の室生寺・金堂。静か... 冬・・雪中の室生寺・金堂。静かなたたずまい。
室生寺・五重塔、瀟洒この上ない... 室生寺・五重塔、瀟洒この上ない。
一日で風情が!!幽玄な世界に。... 一日で風情が!!幽玄な世界に。
昨今は、ライトアップの照明器具が??
きらびやかにして頂きたくない。
かつ、機材は目障りで。。。!
石塔群、どことなく人体をおもわ... 石塔群、どことなく人体をおもわせる。
この五輪塔、鎌倉時代を思わせる... この五輪塔、鎌倉時代を思わせる。素朴な火輪がいい!!



《山懐に佇む古刹「宀一」山(べんいちさん)!!》

昔、社寺建築撮影の荷物持ちの手伝いをしたことがあった。
「宀一」山(べんいちさん)と言う変わった山号の古刹。
奈良県宇陀市にある室生寺。全山白皚々と言った趣ある寺院。
 土門拳の「室生寺ひとむかし」に、当時の荒木良仙老師の言葉が載っている。
室生寺が一番美しいのは、全山白皚々たる雪の室生寺が第一等である、と。
土門師は、青葉の室生寺域を好み、山気がジーンと肌に迫るところを気に入っていた。
老師に感化され、『女人高野室生寺』を編む中に雪の室生寺を入れるべく苦闘している。
1978(昭和53)年2月中旬の撮影模様は、壮絶な戦い、と言った感をもった。
病をおしての撮影待機、定宿・橋本屋の人々の温情、今の時代では味わえない風情がみえる。
土門師の感慨、「ぼくの待っていた雪はさーっと一掃け、掃いたような春の雪であった」。
かような風情は、残っているだろう。が、参拝者が多く静かではない。
参拝の楽しみ、自分流の静かな場所探しである。室生寺、再訪したい。
昨今の寺院、夜間のライトアップが盛んなようだが、、、好まない!?!
あのキラキラ感、好きでない。室生寺でもやっているようだ!?!

「令和伍年(皇紀2683年)1月18日、記」

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《襍・/・画“今日は何の日(2)” ❖’23-07》

小豆粥、最近食べていない?? ... 小豆粥、最近食べていない?? 画像は借り物。



昭和の若者ファッション・・教祖... 昭和の若者ファッション・・教祖、石津 謙介さん。
大人の服飾に関しては、星野醍醐郎さん(画像が見つからない)。
《1月15日=小正月=わが年代の成人の日!!》

元旦から七日までの松の内を”大正月”と称し、十五日を”小正月”と呼んでいる。
松の内に多忙だった主婦を労う意味で”女正月”と言う地方もあるようだ。
更には、旧暦1月15日を上元・7月15日を中元・10月15日を下元と言った。
今でも新暦の1月15日に小正月行事として小豆粥を頂く慣習がのこっている。
この日に小豆粥を食べるとその一年中の疫病が避けられると言われてきた。
僕の親世代では普通に行われていたのでは??日本全国でこの風習があったか否か?
ちなみに”お中元”という表現、風習は残っている!!

僕ら老人世代1月15日は、成人の日としての方が印象深い。
成人の日を迎えた若者(男性)が、堂々とスーツ姿で成人式会場に集まった。
当時、VAN JACKET製衣服が若者に人気を博し始めたころだ。
段返り・センターフックベント・センターディント、アメリカントラディショナル。
東京銀座、TEIJIN Men’s Shop, Mens wearと言った洋服屋さん。憧れのお店だった。
東京銀座の”みゆき族”なんて呼ばれた若者たちの面白い現象もあった。
銀座と言えば、先日、ブログルの”神戸のおいさん”が紹介されていたコーヒー屋さん。
カフェ・ド・ランブル (CAFE DE L’AMBRE)!!
長いこと行っていないが、学生時代~時折お邪魔している。懐かしいお店のひとつ。
50年来、当時と変わらない風貌は和光位かもしれない。銀座の顔、和光だ。

「令和伍年(皇紀2683年)1月15日、記」

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《襍・/・画“今日は何の日(1)” ❖’23-06》

今年は、何もしなかった。画像は... 今年は、何もしなかった。画像は、昔のブログのを使った。
《1月11日=鏡開き!!》

松飾りが取れ、正月気分も薄らいで来た。が11日の今日は、正月の風習を感じる日。
お供えしていた鏡餅を下げ、お汁粉や雑煮にして食べる「鏡開き」の日。
伝統的な風習だが、昨今の鏡餅はプラスチック製の型にパックされてたりして!!
便利かも知れないが、ちょっといただけない。神様への捧げ物ではないか、って思うのです。
そして、神様に差し上げた後の餅を下げてありがたく頂く。それが「鏡開き」
古く武家の家では、男子は具足(鎧兜など武具一揃い)に供え「具足開き」と言った由。
また、女性は鏡台に供え鏡餅を下げるこの日に初めて鏡を見るといった慣習もあったと聞く。
これを「初顔祝い」とか「初鏡祝い」と言った由。こうした表現、風情があって良い。
男子は刀の柄から「刃柄(はつか)」、女性は「初顔(はつかお)」から20日に鏡開きが行われていた。
11日になったのは江戸時代、三代将軍徳川家光が4月20日に没し月命日の20日に鏡開きは???
武家の仕事始めにあたる11日に行うようになった。当時の商家や町家の「鏡開き」は色々あった由。
今でも行われてる鏡開きの作法。固くなった鏡餅を如何にするかが、面白い。
武家では「切る」を忌み嫌う。そこで槌で叩いて割るのだが、「割る」も嫌い「開く」とした由。
食べ方としてお汁粉や雑煮にした由来は知らないが、各地では色々な処し方があるらしい。
我が家の中には、神様を祀り仏様(仏壇)も鎮座している。神・仏が、融合・調和している。
鏡開きで思い出すのは、カビが生えた所を削ったり、金槌で砕いたり、子供心でも楽しかった。
鏡餅の丸い形は歴代の天皇が継承する「三種の神器」の一つである青銅の円形の鏡に由来する。
また、2段重ねるのは、福徳が重なり、円満に暮らせるを意味しているとか。。。!
鏡開きにおしるこを食するが小豆は、古くからその赤色が“魔除け”になると考えられてきた。
赤飯やぼたもち、おはぎ等に小豆が用いられるのは、邪気払いや無病息災の意味が込められてる。
正月飾の門松等は、1月7日に外す。お役御免の正月飾りを小正月の1月15日に燃やす火祭り。
「どんど焼き」と称し、お正月にお迎えした年神様をお送りする行事もある。
我が家では、正月用に“羊羹”を作っていた。北海道の叔父から沢山、小豆が送られてきていたから。
今の時代、手間をかけて羊羹等作らないだろうが、僕の子供時代は、贅沢なおやつであった。


「令和伍年(皇紀2683年)1月11日、記」



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