《襍・/・囈 “用と美”❖’22-109》

0 tweet
お酉さんでの露天商の売り子さん... お酉さんでの露天商の売り子さん。袢纏の下にはぱっちを着けていた。
粋ないでたちだった。
各地の箒。作り方もいろいろだが... 各地の箒。作り方もいろいろだが、それぞれ美しい。
見た目でも瀟洒だが、実用的にい... 見た目でも瀟洒だが、実用的にいろいろ工夫されている。
試行錯誤で使い勝手良く作られているが、実に美しい!!
「護美」とはよく言ったものだ、と感心する。
《”生活の中に見る;彩り=瀟洒(2)"❖’22/12/03》

2022年もあとわずかになってしまった。コロナ・・コロナで終わってしまうのか??
マスク着用について厚労省は、マスコミ等を活用し国民にもっとはっきりと広報すべきだ。
屋外のマスク着用は、不要!?!と発表しているのに、、、町中ではマスク着用者ばかりだ。
ゼロコロナからウイズコロナに移行しているのではないか、なのに???
医療現場の従事者は、実に苦労されておられる。対して管理示唆する側の体たらく??
政治・行政・経済・医療等のトップは、事を有耶無耶にしているとしか見えない。
現実を真摯に診て処方を表明し、我々庶民・国民を安心させて欲しい。
八百万の神にお助け願いたい程に。而して政界のリーダーに不満一杯だ。

ブツブツ戯言を思っていたら、同好の士・・師が、“きんつば”を届けてくださった。
僕にとってのキンツバは、“お酉(とり)さま”そのものだった。
僕の育った横須賀(諏訪神社)・鎌倉(藤沢・白幡神社)では“酉の市”が盛んだ。
とりわけ横須賀の諏訪神社の「酉の市」は凄い。境内に鎮座する大鷲神社の祭礼。

酉の市では、商売繁盛を願い招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。
又、市を開催する社から小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与されもする。
この小さなくまでは、神棚、荒神様に飾る(我が家では台所に飾っている)。
福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」とも呼ばれている。
元々は、農民の為に縁日の境内で熊手や鍬などの農具を販売したのが始まりらしい。
子供の頃、親に連れられ“くまでとだるま”を親子で一緒に買いに行くのが楽しみだった。
熊手は熊手商と買った(勝った)、まけた(負けた)と?やり取りを楽しんで買うもの。
商談が成立すると威勢よく手締めを打つ(商品額をまけさせる、やり取り・勝ち負けで)。
我が親のやり取りを思い出すと、値引き交渉は当たり前。交渉成立すると手締め、火打ち。
そして支払う時、親は「ご祝儀」とか言ってぽち袋を一緒に熊手商に渡していた。
僕の楽しみは、神社からの帰り和菓子屋さんでキンツバを買ってもらうことだった。
横須賀諏訪神社周辺の和菓子屋さんは、お酉さんの日は店頭に鉄板を置き目の前で焼いていた。
古くは、粟等でつくった「黄金餅」だったらしい(黄金餅は金持ちになれる)。
だが何時頃か、「切り山椒」が黄金餅に取って変わり市の縁起物として売られるようになった由。
キンツバや切り山椒は、今日でも売られているが、キンツバの店頭焼きは無くなったみたいだ。
切り山椒は、寒さを迎える時期、これを食べれば風邪を引かないともいわれる。
キンツバ、僕の中では“お酉さん”の日だけ売られるものだと思っていた(大学生になるまで)。

お酉さんが終わり、師走に突入!! 今年も終わるぅ。片付け、整理、掃除をしないと・・・。
最近、余り使っていないが伝統的な “箒”という掃除道具。住い居る神奈川県には、、、!!
丹沢山地に箒杉沢という場所もある。この箒杉沢の上部は笹の草原に覆われている。
この丹沢山地の麓に伝統ある中津の箒(ほうき)文化を、現代に伝える 箒博物館がある。
東丹沢の麓では、明治初期から昭和20年代にかけて箒造りが盛んであった。
旧中津村(現:愛川町中津)での箒作りは、神奈川県下での産業の1つで有名であった。
中津一帯に座敷箒作り職人が大勢おり、畑には箒の原材料のホウキモロコシが栽培されていた。
だが昭和30年代になると掃除機の普及等で生活様式も変わり、箒産業は衰退してしまった。
10数年前、元職人が高齢化する中、伝統的箒の文化を残し、暮らしにあった箒を模索し始めた。
「中津箒」を再興、継承のため開設されたのが「箒博物館 市民蔵常右衛門(しみんぐらつねえもん)」だ。
中津の箒は、「東京箒」とか「関東箒」などと呼ばれていたそうだ。

「令和肆年(皇紀2682年)12月5日、記」





ワオ!と言っているユーザー

×
  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ