昨日、憲法問題を思い、聖徳太子のことに少し触れてみた。
聖徳太子・十七条憲法が、現代の今においても大いに参考になる。
日本国憲法法理の原点とも思えるものと思って止まない。
今日の産経新聞(Web版)に興味深い記事を見つけた。
奈良成福寺蔵の聖徳太子像内に菩薩半跏像が納められている!!と。
若いころ寫眞の恩師のお供で拝したことがある像のことであった。
趣味の寫眞、勉強している法理、僕の過去現在がつながっているようで!!
仏像寫眞を撮る、否、拜む「無の境地」。最近少し理解できてきたか??
下に記事を転載させて頂きます。
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聖徳太子立像内に菩薩半跏像 奈良博の調査で判明 特別展で公開
聖徳太子が過ごした葦垣宮(あしがきのみや)があったと伝わる成福寺(じょうふくじ)
(奈良県斑鳩町)の聖徳太子立像(重要文化財、鎌倉時代)をX線CTスキャンで調査した結果、
像内に菩薩半跏(ぼさつはんか)像が納められていることが分かり、
奈良国立博物館(奈良市)が発表した。
太子立像は聖徳太子の没後1400年の御遠忌(おんき)を記念し同館で開かれる特別展
「聖徳太子と法隆寺」(4月27日~6月20日)で展示される。
聖徳太子立像は高さ約84センチの木造で、
16歳の太子が父、用明天皇の病気平癒(へいゆ)を願い、
仏具の柄香炉(えこうろ)を手に祈る姿とされる。
像内胸部に確認された菩薩半跏像は高さ約6・5センチ。右手を頬に近づけ、
左足を垂らすなどして岩座に座っているとみられ、
同館の担当者は「太子を観音の化身(けしん)とみる信仰がうかがえる」と話す。
特別展では、太子が建立した法隆寺(奈良県斑鳩町)の秘仏で
国宝の「聖徳太子および侍者像」(平安時代)など、寺宝を中心に約170件を展示。
もとは法隆寺にあり、現在は東京国立博物館が所蔵する国宝の「聖徳太子絵伝」
(平安時代)は太子の生涯が描かれた多くの絵伝の中でも現存最古とされ、
5月23日まで全10面が一挙に公開される。