Hydrangea Otaksa Sieb. et Zucc. Hydrangea macrophylla (Thunb. ex Murray) Ser. f. macrophylla
今年も自生アジサイ巡りが出来た。その前にチョット想う事を。。。!
「アジサイ」の日本固有種・園芸種が西欧に渡り、
そこから色々な品種が生まれ、総体的に「西洋アジサイ」と総称している。
里帰りしたアジサイの数々だが、その親種は・・・今は?ッて思うのだ。
すでに日本では絶滅・消滅・・・存在しない種類もあるようだ。
学名を思うとシーボルトの「おたくさ」は幻状態だ(上画像)、、、!
「おたくさ」がどんなDNAを持ち、今に受け継がれているだろうか??
植物に関するロマン的部分、日本人として見ると感慨深いものがある。
園芸種アジサイが各所で彩り、園芸大国・にっぽんを誇示、
競いあうように各所で品種発表会の如くに植栽されている。
それはそれで良いが、野生・自生アジサイが減少してる?
首都圏の場合、宅地開発・公園整備等が禍してるのでは?
そして、園芸種が多過ぎると感じて止まない。
又、自生種か、園芸種かわからないほど似通ったものもある。
シーボルトが紹介した手毬アジサイ(園芸種!?!)が、
記録画(上画像)で残っている。
以前、ブログルに記したアジサイ(2012/6/17)。このアジサイ(otaksa)、
現在ではどの品種か判らないのではないか??
品種名はさて置き、浪漫溢れるアジサイである。
学名って面白い、が園芸種に学名をそのまま使う傾向はなぜだろう??
日本語のアクセント、古代ギリシャ語、ラテン語と似ているとしてもだ!
以前「ステレオポニー(女性バンド)」がシアトルの「Sakura-Con」に出演、
その折の曲の中に『ハイド.ランジアが咲いている・あじさい』”
この曲名を見てピッタリッて思った。アメリカ的って思ったものだ。
西欧の多くの言語が、日本のアジサイを“hortensia”と表記する。
英語(米語といったほうがよいか!?!)だけが学名表示。
hydrangea[ハイドランジア] 英語、辞書には、hortensia=アジサイともあるが。
英語として「あじさい」を指す“一般名”(common name)では、hydrangeaである。
だが、英語で“hortensja”と言うと「ハナガサギク」(花笠菊)指すことが多いか?
「ハナガサギク」キク科オオハンゴンソウ属 (ルドベキア属) の 「オオハンゴンソウ」
Rudbeckia laciniata(日本では、単にルドベキアと表記)。
学名、Rudbeckia laciniata var. hortensia;
故に英語・日本語では、「アジサイ」を指さないか!!
よって英語で「アジサイ」 と言えば、hydrangeaが出てくるようだ。
学名は、一般的にラテン語表記で示される。
ラテン語は、西欧学術の基本共通語でもある(現代でも)。
「アジサイ」の学名初例は、日本のアジサイに付けられたものではなく、
北米原産のアジサイについた名である。
“Hydrangea arborescens”「ヒュドランゲーア・アルボレスケンス」一般名 smooth hydrangea。
“Hydrangea ”「ヒュドラン ' ゲーア」とは、学名としてのアジサイ属の属名。
従って「アジサイ」を“Hydrangea ”と呼ぶ英語表現は正しいのだが!
西欧で 「アジサイ」を“Hydrangea ”と呼ぶのは、英語だけである。
そこには、西欧に「アジサイ」が紹介された経緯・背景がある。
西欧で人気のある“花の集まりが球状をなす”アジサイ、
いわゆる「セイヨウアジサイ」。
それは、主に日本原産の “手毬咲き (てまりざき)”
「ホンアジサイ」を西欧で改良したもの。
日本原産のアジサイは、本来「ガクアジサイ」、
『万葉集』で「あぢさゐ」と詠まれたのは「ガクアジサイ」のこと。
アジサイの異名として、平安時代から江戸時代に至るまでは、
「よひら」「 よひらの花」「四葩」 が見える。
「ガクアジサイ」 の周囲の装飾花、
4枚の花びら(花弁ではなくガク <萼>だが)を表現したもの。
江戸時代中葉には 「ホンアジサイ」が園芸種として一般的にも流通してた。
「ホンアジサイ」は、「ガクアジサイ」の中心に纏まった小さな “両生花” が、
“中性花” に変異したもの。
花が球状を成す品種で「手毬・手鞠 (テマリ) 咲き」 と称している。
また、「テマリ咲き」 のホンアジサイを「手毬花・手鞠花」 (てまりばな)
と呼ぶ方言も多く見られる。
しかし、一般的には、ヤブデマリの園芸品種「オオデマリ」(大手毬・大手鞠)
の異称を「テマリバナ」という。
「テマリ咲き、ホンアジサイ」は、テュンベリーやシーボルトが
日本で採取したアジサイの標本で見れる(上画像)。
長崎・出島に医師として赴任したスウェーデンの植物学者テュンベリーが、
アジサイの標本を持ち帰ったのが 1778年。
その後、出島に赴任したシーボルトが命名した
Hydrangea otaksa 「ヒュドランゲーア・オタクサ」、
ホンアジサイをオランダに持ち帰ったのが1830年であった。
がそれ以前にも「テマリ咲きアジサイ」は、渡欧していたらしい。
“ hydrangea”「ヒュドランゲーア」と言うラテン語名は、
オランダの植物学者“Jan Fredrik Gronovius”が命名。
これは、日本の「ホンアジサイ」ではなく
北米原産の“アメリカノリノキ(アメリカ糊木)に付いた学名(1739年)。
今言う“Hydrangea arborescens [ ヒュドラン’ゲーア アルボレス’ケーンス ]は、
グロノヴィウスが付けた学名ではなく、後年のリンネが命名したもの(なんとも複雑)。
古くは、1語命名(グロノヴィウスが“hydrangea”と命名したように)であった。
二名式の学名を普及させ確立させたのは、
カール・フォン・リンネ(Carl von Linné、1707年5月23日-1778年1月10日)。
《スウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者。「分類学の父」と称される。》
この“Hydrangea arborescens”「アメリカノリノキ」 は、
米国東部からカナダの岩壁河岸や渓谷に自生しており、
現在では、“Annabelle”「アナベル」という園芸種で知られている。
アジサイの仲間は、「朔果(さくか)」 と呼ぶ実をつけ、
熟し乾燥すると実の皮が裂けて中のタネが撒き散らされる。
裂けた実が、「小さな水壺」を連想させ、グロノヴィウスは、
hydrangea 「小さな水壺」 という名前をつけたようだ。
一般に見る「テマリ咲きアジサイ」は、総ての花が中性花
(ガクアジサイの装飾花と同じ)で枯れても実がならない。
古くのアジサイ名は、“Hortense”「オルタンス」 という貴婦人の名で呼ばれていた。
「ホンアジサイ」に西欧全般で使用されるようになる
「通名」(common name)がついたのは1771年から1773年頃。
フランスの博物学者“Philibert Commersonフィリベール・コメルソン”が
フランス語で“Hortense”とアジサイを呼んだ。
名前の由来等は、不明だが“Hortense” という女子名は、
古代ローマの氏族名 Hortensius「ホルテンシウス」に見える。
“Hortense”最初に「ホンアジサイ」に付けられた名前だが、学名ではなかった。
コメルソンが、「ホンアジサイ」を“Hortense”「オルタンス」と呼んだ10年後、
スウェーデンの植物学者テュンベリーが、日本産のアジサイの分類を行った。
テュンベリーは “オランダ東インド会社”の医師として
長崎の出島に 1775~1776年の1年間滞在している。
その間に多数の植物標本を収集して持ち帰っている。
テュンベリーの日本産「ホンアジサイ」、
学名、Viburnum macrophyllum Thunb. (1784)が学名の最初。
だがその学名には、“Hydrangea”“Hortensia”の表記が無い。
テュンベリーは、日本から持ち帰った
「ホンアジサイ」の 属名(分類名)を間違えたようである。
“Viburnum=ガマズミ属”としている(アジサイとガマズミは外見がよく似ているが)。
種小名“macrophyllum”「大きい葉の」で「大きな葉のガマズミ」 と名付けている。
未知の植物群、分類方法が判然としていない時代の学者の試行錯誤が見えて興味深い。
前置きは、此のくらいにしてシーボルトのことに戻って、「“otaksa” おたくさ考」。
学名には、先取権の原則があって、先に発表した学名が 「有効な学名」とされる。
知らずにあとから発表された学名は 「異名/シノニム」 synnonym という扱いに。
年代を追ってみると;
1739年 オランダのグロノヴィウスが北米原産のアメリカノリノキをラテン語で Hydrangeaと表記。
1753年 リンネがグロノヴィウスの Hydrangea を引用し、「アジサイ属」 の名前に当てる。
1771 or 1773年 フランスのコメルソンが出自不明のアジサイをフランス語で Hortenseと表記。
1775~1776年 テュンベリーが出島で植物標本を収集
1784年 テュンベリーが日本のホンアジサイを Viburnum macrophyllum と分類する。
1788年 英国のジョゼフ・バンクス卿がキュー植物園に、
中国から持ち帰ったというテマリ咲きのアジサイをもたらす。
1789年 フランスのラマルクが、コメルソンが Hortense と呼んだアジサイを
Hortensia opuloides と分類する
1790年 英国のジェームズ・エドワード・スミスが、ジョゼフ・バンクス卿のアジサイを
Hydrangea hortensis と分類する。
1823~28年 シーボルトが出島で動植物の標本を収集
1829年 シーボルトがガクアジサイを Hydrangea azisai と分類する。
1830年 フランスのスランジュがHortensia, Hydrangeaという2つの属をHydrangeaに統一する。
1839年 シーボルトがホンアジサイを Hydrangea otaksa と分類する。
1830年、フランスの植物学者 ニコラ・シャルル・スランジュ(Nicolas Charles Seringe) が、
Hortensia属、Hydrangea属を、同一と判断して属の統合を行った。
同一種に対して、複数の学名が存在する場合、「先取権」 に基づいて決められる。
属名として、ラマルクのHortensiaは無効で、リンネのHydrangeaが残った。
「ホンアジサイ」 の分類はテュンベリーがいちばん早いので macrophylla という種小名が有効。
学名は、Viburnum macrophyllum Thunb. 「ウィーブルヌム・マクロピュッルム」
↓
Hydrangea macrophylla (Thunb.) Ser.「ヒュドランゲーア・マクロピュッラ」
( )の中は、属を移動する前の命名者の名前です。
つまり、( )の中の人物は「種小名の命名にしか関与していない」 ということ。
Thunb. は Thunberg “テュンベリー” の略。
そのあとの、( ) に入っていない命名者 Ser.(= Seringe スランジュ)は、
この種の帰属を他の属からこの属に変更した意。
この新しい学名表記からでは、もとの属がナンであったかはわからない。
シーボルトが分類した日本原産の「ガクアジサイ」Hydrangea azisai は、
この時点では“アジサイ属”Hydrangeaであった。
が、1世紀後の1923年、英国の植物収集家アーネスト・ヘンリー・ウィルソン
(Ernest Henry Wilson)により「ガクアジサイ」は「ホンアジサイ」の変種とされ、
シーボルトが名付けたazisaiという種小名は無効になってしまう。
「ホンアジサイ」と同じ“Hydrangea macrophylla”という学名のもと移つされた。
Hydrangea azisai Siebold et Zucc.
↓
Hydrangea macrophylla var. normalis E.H.Wilson
変種名のnormalis「ノルマーリス」 という形容詞は
norma「定規、規範、基本となるもの」 という名詞から派生した形容詞。
「ホンアジサイ」 の元は 「ガクアジサイ」 である、という意味合い。
これでシーボルトの学名は消えた。
1956年、日本の植物学者、原寛 (はら ひろし)が、
「ガクアジサイ」は“変種”ではなく、“品種”formaという見方を示した。
これは、必ずしも人工的に生み出された“品種”ではなく、
“変種”よりも下位の分類「個体に少々の変異があらわれるもの」を指す。
人工的につくられた品種は “園芸品種”と言い、
以前は、cultivar(略 cv.)で表記していた。
現在では、学名のあとに‘’(シングルクォーツ) で囲って示す。
この “変種” → “品種” の変更によって、
更に、「ガクアジサイ」 と 「ホンアジサイ」 の学名の表記が変わる。
「ガクアジサイ」
Hydrangea azisai
↓
Hydrangea macrophylla var. normalis E.H.Wilson
↓
Hydrangea macrophylla f. normalis (E.H.Wilson) H.Hara
「ホンアジサイ」
Hydrangea macrophylla
↓
Hydrangea macrophylla var. macrophylla
↓
Hydrangea macrophylla f. macrophylla
扨々、本題の「シーボルトは、なぜ、“お滝さん” を “オタクサ”と書いたのか?それも“otaksa”
シーボルトは、出島で楠本滝を妻としていた(経緯・仔細は略)。
シーボルトは、1823年11月15日付けで、故郷ドイツのヴュルツブルク Würzburg にいる母方の小父(おじ)、
フランツ・ヨーゼフ・ロッツ Franz Joseph Lotz に滝と暮らし始めたことを手紙で報告している。
"Auch habe ich mich der alten holländischen Sitte unterworfen
und mich pro tempore mit einer liebenswürdigen 16-jährigen Japanesin verbunden,
die ich nicht wohl mit einer Europäerin vertausche."
(わたしは、オランダ人の昔き習慣に従い、一時的に(pro tempore)、
愛らしい16歳の日本の娘と結婚し (verbinden) ました。
ヨーロッパの娘をこの娘の代わりにするなど考えられません。)
此の文面は、当時の出島での規律に照らすと思う所多々ありますが。。。
シーボルトが「テマリ咲きのアジサイ」に付けた学名、
Hydrangea otaksa [ ヒュドラン’ゲーア オ’タクサ ]
の種小名 otaksa は、永らく、何を意味するか謎でであった。
長崎あたりの方言名などと考えられてもいた。
otaksaの真意を推察したのは、植物学者の牧野富太郎博士であった。
otaksa が 「お滝さん」 の訛りであろうと。
しかし、アジサイに遊女の名前が付けられたことにひどく憤っていた由。
ここで浮かび上がるのは、 Otaki-san が otaksa???
日本人的に言えば、otakusaでしょう。
otak(u)saの“ u”は、西洋人がotaksaと書いた場合、
kとsのあいだで落ちている母音がuであるとはかぎらない。
uと断言してる思い込み、日本語的発想でしか無い。
日本語版Wikipediaでは、otakusa、otaksaが混在表記されてる。
シーボルトは、なぜ、otaksa「オタクサ」と書いたか?
いろいろな推論がなされているようだが、
“otaksa”をシーボルトが、
日本語から如何にラテン文字転換していたか、検討すべきでは!?!
2007年、「ちくま学芸文庫」刊『日本植物誌』に沢山の日本語植物名の転写がある。
また、シーボルトが帰国後に記した『日本』“NIPPON”には、
日本滞在中の出来事・日本の風俗・習慣・歴史・地理など、
広汎な事柄についてドイツ語で記した、
さまざまな分野の日本語日常語彙、固有名詞などがラテン文字表記されている。
こうした語彙をみるとシーボルトが、日本語のラテン文字表記をオランダ語方式で表したと考えたい。
当時、オランダはヨーロッパで唯一、日本と交流あった国、定着した表記法も存在していた。
ドイツ語文章中でもドイツ語式表記はせず、まれに、tsとすべきところをtzと独語表記している程度。
シーボルトの表記法の特徴は、オランダ語方式で表していることだ(分析詳細は略。)。
又、シーボルトの日本語のラテン文字綴りが「不安定」なこと。
シーボルトの表記にはユレがあり、しばしば規則を外している。
シーボルトは、日本語の音韻体系をよく理解していなかった、と想像する。
長崎方言で 「お滝さん」 と言った場合、その発音は、“キ” が無声化する。
日本人は、無声化した “キ” と “ク” を口蓋化の有無で聞き分ける。
「オタクサン」と 「オタキサン」の区別ができるのだが、
k 音について、西ヨーロッパ出身の西洋人には、この区別は不可能だったのではないか?
耳で聞こえないものを文字で書き分け用もないのは、至極当然だと思える。
つまり、“キ” ki の母音が落ちていることは聞いて、すぐにわかるが、
それが 「硬口蓋化している」 ということは認識できないし、ましてや、文字で表すなど???
シーボルトが 「オタキサン」 というコトバを、耳で聞いたままに書き記そうとすると、
どうしても、Otaksanになってしまうのは論理的に説明がつく。
シーボルトが“otaksan”ではなく、“ otaksa”としたのは、
ラテン語として語末が-aで終わらないと、女性の名前にならない。
ラテン語による記述で文法的に変化させられないから、ではなかったか、と推測する。
otaksaというのは、otaksaeという属格形ではなく、otaksusという形容詞の女性形でもない。
つまり、 Hydrangea「ヒュドランゲーア」“アジサイ属”という属名と
otaksa「オタクサ」という種小名は、「同格 (主格) の名詞の並記」とみなすべきと思う。
こうした、主格の並記というタイプの学名は決して少なくなく、特に、動物の学名に多い。
ニシローランドゴリラの学名 Gorilla gorilla gorilla などというタイプは、
亜種名まで種小名がくりかえされており、主格が3つ並んでいることになる。
検証は大変ですが、推論で浪漫はより高まる。あじさいへの思い入れであります。
ワオ!と言っているユーザー
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