“チョコレートケーキ!?!”《襍感 ・/・古往今来318》

“チョコレートケーキ!?!”《...

別れ~旅立ちの季節。
前途に向かって意気揚々としている若者達。
帰路・広島から道同した若者たち、それに合流した仲間、
揃って東京見聞をするとか、年寄りは失礼した。
自宅に戻ってみると、懐かしいケーキが置いてあった。
「TOP'S」のチョコレートケーキ。
学生時代、赤坂TBS本館地下に「TOP'S」は、あった。
隣にあった「SAXON」のカレーを食べて「TOP'S」のケーキ。
学生にしては贅沢な中食だった。
そんな懐かしいケーキ、仲間が持ってきてくれた由。
留守していて会えなかったが、4月に再訪してくれるとか。
今頃、西欧アルプスで山岳スキーツアーしてるらしい!!
一回りも歳下のご夫妻、最後のスキーツアーだろうか?

即刻、食べ始めた。緑茶と一緒に。
「TOP'S」のチョコレートケーキは、独特の味わい。
チョコレート生クリームで全体が被われスポンジも柔らか。
流行のビター味等とは大違い、昔ながらのミルクチョコ味クリーム。
胡桃も入っている。何より被っているチョコクリーム、厚さが凄い。
三時のおやつにしては、食べ過ぎた。

2月14日誌「自宅」
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“チョコレート!”《襍観 ・/・古往今来317》

尾道で食したチョコレート(画像... 尾道で食したチョコレート(画像は借り物)。

久し振りに広島に参った。若者に同道して。
その前日に・・・連れて行かれたのが、尾道市。
若者たちが、思い思いの町づくりに挑んでいる。
仕事の拠点として地域の活性化にも貢献してる姿。
感動・感嘆の連続であった。国内の情報に全く疎い。
異国より来訪した若者に日本を教えてもらってる^^)。
可笑しな旅だ!!尾道での目的は・・・?
手作りチョコレート、出来たてを頂く、、、!
ホットチョコまでも頂き至福な時を持った。
西欧で暮らしていた道同の女の娘が是非に・・!と
云われるが儘についてきて良かった!!
滞在先の仲間に聞いたとか。。。!
即刻、母、兄弟に送る依頼をしていた。
ほんとうに「おいしい」。

翌日、広島での会合後に「広島平和記念資料館」を訪ねる。
道同の女の娘、9・11事件を体験してる。で”青ざめていた”。

肉体的暴力もだが、精神的な暴力をも許せない。
最近気になる事だ。


2月13日誌「広島県・尾道市」

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“黒い物体!?!”《襍観 ・/・古往今来316》

“黒い物体!?!”《襍観 ・/...

一般的には、余り見かけない艦艇だろう(画像)。
横須賀線・横須賀駅脇の公園でしょっちゅう見れる光景。
この辺りもずいぶんと様変わりしたが、
対岸に係留されてる潜水艦は、昔と変わらず定位置に見えた。
日本の潜水艦技術は、高く評価されてるとか!!
向かいの岸壁にみえる潜水艦・・・日米どちらのか??
それ程に日米の関係は蜜なのだろう!!

横須賀線は、軍港のために敷かれた。
それ故か??横須賀駅はゆったりとした広さを持っている。
その昔は、1等・2等・3等車とランクがあった。
それほどVIPな人が使っていたのだろう。


2月12日誌「横須賀線横須賀駅前」

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“段葛”《襍観 ・/・古往今来315》

“段葛”《襍観 ・/・古往今来...


久し振りに来客を案内して鎌倉の中心部を歩いた。
段葛(だんかずら)が全面改修の為、2016年3月まで通行できない。
画像に見える八幡宮の裏山の緑濃い事。。。!
半世紀前にあそこは、開発されそうになった。が阻止出来た。
感慨深い。新たな段葛になった姿、1年後に報告しましょう。

2月11日誌「鎌倉市・若宮大路」


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“夕陽”《襍観 ・/・古往今来314》

“夕陽”《襍観 ・/・古往今来...


のんびりと散歩をしてると西田幾多郎師の石碑の前に。。。
見上げればやわらかな夕陽が・・・!
PC画面とニラメッコをしてた後だ。ほっとした一瞬であった。

2月10日誌「鎌倉市・稲村ヶ崎」

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“慰霊碑”《襍観 ・/・古往今来313》

“慰霊碑”《襍観 ・/・古往今...


夕暮れ迫る稲村ヶ崎に建つ慰霊碑。
1世紀も昔の逗子開成中学校のボート遭難事故の碑である。
1910年1月23日、休日に無断で学校所有のボートを海に出した生徒ら12人。
七里ヶ浜沖で遭難し、全員死亡するという悲惨な事故であった。
追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌」が歌われたとある。
この歌は、後に「真白き富士の根」として今なお歌われているので御存知かもしれない。
この石碑は、1964(昭和39)年、東京オリンピックの年に建立された。
記念像の台座に以下の文言が記されている。

≪みぞれまじりの氷雨が降りしきるこの七里ヶ浜の沖合いでボート箱根号に乗った逗子開成中学校の生徒ら十二名が遭難転覆したのは一九一〇年(明治四十三年)一月二十三日のひるさがりのことでした。
前途有望な少年達のこの悲劇的な最期は当時世間をさわがせましたがその遺体が発見されるにおよんでさらに世の人々を感動させたのは彼らの死にのぞんだ時の人間愛でした。
友は友をかばい合い、兄は弟をその小脇にしっかりと抱きかかえたままの姿で収容されたからなのです。
死にのぞんでもなお友を愛しはらからをいつくしむその友愛と犠牲の精神は生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか。
この像は「真白き富士の嶺」の歌詞とともに永久にその美しく尊い人間愛の精神を賞美するために建立したものです≫


実を言うと、この碑が建立された時より、美談であってはいけないって思ってきました。
「英霊」「悲劇」「美談」。。。一寸疑問に感じます。
先般の異国で起きた事件にしても事の本質を踏まえての論評が少なかった。
同時に、隣国都の諸問題にして然りです。
こんなことを記してる爺!! 偏見・偏屈でありましょうか??
碑の向こうに映る夕焼け、余りにも綺麗。 それだけに何かわびしく感じます「碑」が。


2/09日誌「鎌倉市・稲村ヶ崎」

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“海岸の主!?!”《襍観 ・/・古往今来312》

“海岸の主!?!”《襍観 ・/...

昔も今も変わらない(ぼくにとっての)海岸の主(鳥)。
精悍な面構えである。
トビ(トンビ)(鳶)(学名:Milvus migrans  英名:Black Kite)
「ピーヒョロロロロ…」という鳴き声。最も身近な猛禽類。
関東でトビ. 関西ではトンビと呼ばれるとか!?!

古い話だが、長男を散歩させるため浜辺の砂浜をよく歩いた。
その頃、海岸で脂身(肉の切り落とし)を撒いていた老女が居られた。
野生の生き物に餌を与えるのはやめましょう、そのうち襲ってきますよ!!
って話をすると、大声で、この人「親切に餌を上げてるのに、ケチをつける」??
周りの人に自分の行為を正当化して居られた。
その後3~4年は、その行為を続けておられたらしい(不在で見ていない)。
その方が餌撒きをやめた(逝去されたらしい)2年後位から、
浜辺付近で観光客の弁当等を急襲する鳶が出てきて、
今や警告文掲示板まである。
動物界での「掟」があることの証だろう。弱肉強食の。。。!
「掟」を破っているのは人間たちである。我々は、真摯に反省すべきだ。

2月8日誌「稲村ヶ崎」

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“広告!!”《襍観 ・/・古往今来311》

“広告!!”《襍観 ・/・古往...

最近は、余り人混みの中にいかなくなった。
現役引退すると、こうも自由な気分で歩き回れるものか??
都会に出ても周りを見る余裕がある。
偶然見かけた2階建てバス、車体にある広告!!
2階建てバスも珍しくなくなり、ましてやこんな広告も珍しくない。
半世紀ほど前に西欧の町に初めて降り立った時、
町中を走る路面電車、その側面車体に大きな広告が見えた。
異国、未知なる・・知らない環境にいる実感、
驚きと楽しみが脳裏を交差したのを今でも覚えている。
とおい昔の思い出、感慨ある。


2月7日誌「東京・新宿」

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“春近し!!”《襍観 ・/・古往今来310》

“春近し!!”《襍観 ・/・古...

どことなく春をかんじるようになってきた海岸近く。
散歩をしてる人、自転車に乗っている人も軽やかだ。

2月6日誌「片瀬海岸」

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“霊峰!!”《襍観 ・/・古往今来309》

“霊峰!!”《襍観 ・/・古往...
Vincent Willem ... Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29、ポスト印象派(後期印象派)の画家。
タンギー爺さん( Le Pere Tanguy)1887年。

一昨年世界遺産に登録された「富士山」登録に値することは明白だが、
昨今の觀察・検証資料では、「大噴火」が懸念されてる。
自然のちからの凄さを思い知らされている事象、一寸心配だ。
遺産登録に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」とある。
相模湾中心だが、富士山が見せてくれる表情は、癒やしそのもの。
芸術の源泉か??オランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホの油彩の絵画。
「タンギー爺さん」の画の背景は、日本が占めてるではないか!!
パリのロダン美術館で観た時、我が子が富士山!!ってさけんだ思いでがある。
背景に描かれている浮世絵は東京文京区千駄木の「いせ辰」の版画が基だとか!
背景の浮世絵、、、「ジャポニスム」が当時の欧州の芸術に影響を与えていた。
そんな画人に感化され更なる芸術を生み出した「板画」。
巨匠棟方志功師は、富士山が好きで鎌倉山のアトリエ先から遠望され??
「つよいですねぇ、かてない」って語って居られた。
師は、晩年視力が極度に落ちていて心の中で見て居られたか。



2月5日誌「富士山」

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