これまで、「宗家 市島家」の状況をお知らせしてきましたが
今回、この屋敷を使って、「市島春城展」を開催していました
この「大絵馬」は
幅 約二尺(3240mm)
縦 約一尺(1540mm)
願主 市島次郎吉正光
額縁 宿、近江屋利右江衛門 加宿、室屋文右衛門
嘉永五年 壬 子(みずのえ ね) 六月 上浣
應需而寫 井上文昌
この願主 市島次郎吉が「市島春城」の祖父に当ります
水原 角市 市島家分家で廻船で財をなし、新潟の
白山神社に奉納したものです
「市島春城」については、大隈重信とともに早稲田大学の
創設に尽力をし、膨大な著作を残したことで知られています
昨日の収穫物は、二日に亘り夕食を賑わせてくれた
幸い、永年の教育の賜で、獲物の処理にはベテランの
相方が見事、短時間にこなしてくれる
新鮮な物は美味しく腹の中に納まった
土曜日「勝手に言いたい放題」
『蔕翁雑話』(TAIOH ZATUWA)
2010/08/07 第五十六回
連日の猛暑・酷暑でさすがに「暑い夏は暑くないと経済が良くならない」と言われるが、ここまで連続していると農作物や経済が心配になる。因みに子供さんをOutdoorに連れ出すにも健康を考えると躊躇してしまう。
円高による輸出産業の打撃が心配だが、輸入品の差益は話題にもならない。
ロシアの穀物輸出禁止が報じられているが、素人考えで「米粉」の利用が叫ばれているのでこの際、「米粉」の輸出を考えてはいかがなものであろうか?(但し、国際競争力のある米価を前提として。)
全国各地に「猛暑日」なる言葉を提供している今年の盛夏
子供や若い頃には、この暑さは楽しいのでしょうが
高齢者には、過酷な毎日です
こんな猛暑日に、またまた海の幸を求めて出かけました
熱中症の危険性を顧みずに(これは死ぬまで治らない病)
相方には呆れられ、文句を言われながら収穫物を料理
してくれます
感謝、感謝です
昨日の獲物は
「サザエ」
「牡蠣」(身が小さいので一つの殻に2個入れています)
これからはクーラーBOXに氷らせたペットボトルを
入れて置くと冷却と溶けた水を飲料に出来、一挙両得です
この「市島家」の分家からは奔放な毒舌家とならした
「会津八一」がいます
この「会津八一」を東京の落合にあった別荘を提供し
1945年前の東京大空襲まで住まわせていたのが
分家、角市、水原市島家の当主 市島春城(謙吉)です
当地では、良寛禅師、相馬御風、堀口大学、会津八一
吉田東伍、諸橋轍次などが輩出していますが
会津八一、吉田東伍の二人を
角市、水原市島家の当主 市島春城は庇護しています
この「市島春城」については改めてアップします
600坪の建て坪の屋敷に、立派な書斎が設えてあります
この本家では名を残した学者や書家は出ていませんが
恐らく、明治期には多くの文人墨客を庇護したのでは
ないでしょうか
黒塀に囲まれた、8000坪に及ぶ屋敷地には小さな流れがある
錦鯉が人の足音を聞きつけて集まってくる
猛暑が続くが、鯉は涼しそうだ
あっさりとしたいちごシロップのかき氷も美味しいのですが
サイの目のマンゴーとバニラアイスにマンゴーのシロップを
かけた氷水
最近はマンゴーが流行っています
梅雨明けと同時に、連日続く暑さ
時折、極地的に雷・風・豪雨をもたらします
熱中症の予告がTVの画面に流れる
これまでは、紫外線の強さや洗濯物の乾燥度は
流れていますが熱中症に関する情報は初めてのようです
氷水にいちごのシロップ
かき氷も硝子の器を使わずにプラスチックのコップ
暑い夏はこれに限ります
江戸末に活躍した全国区の書家「巻菱湖」
同じ郷土の出身者「館柳湾」とは親戚であった
ともに、江戸で活躍した文人である
この「市島家」とは深い交際があったのであろうか
堅木に刻字した扁額である
土曜日「勝手に言いたい放題」
『蔕翁雑話』(TAIOH ZATUWA)
2010/07/31 第五十五回
情報を得るのに、これまでは新聞や雑誌(季刊誌・月刊誌・週刊誌)などが主流をなしていた時代を振り返る。子供の頃の漫画雑誌を卒業し「文芸春秋」「中央公論」「月刊ポスト」経て最近は「日経PC21」を購読。以前は「プレジデント」を時折立ち読みするが定期購読までは至らない。趣味の世界で「季刊銀花」や「なごみ」などを読む。最近は「週刊ダイヤモンド」が面白い。特集記事が目を引くと時たま購入。歴史関係の本を読む時は、付箋が必携である。多くの情報を集めて分類し、保存をする。パソコンは必需品ではある。集めた情報は検索を上手くしないと瞬時に見つける事が難しい。
分類学と云う分野は日本は弱点と云われている。英国の大学にはこの分野は昔から専門家が育っている。その流れが、googleやyahoo,MSに継承されているのであろうか?
書斎脇の部屋の欄間にさりげなく掲げてある扁額
「澁澤榮一」 江戸末に生まれ、明治・大正・昭和初期にかけ
日本の黎明期に活躍した経済人
息子は粋人でならし、孫は経済人でありながら民俗学の
後ろ盾となった、「澁澤敬三」(アチックミューゼァム)
この屋敷の住人の付き合い範囲が窺える
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