真夜中に一度目ざめ再就寝、5時過ぎに起床。5時39分昭和大橋。外気温度は14℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、5時54分。帰宅は6時23分でした。天気は薄曇りから青空が広がってきました。ダンベル前後屈体操は続けています。
ジャストシステムズと云う徳島の会社は多くの人々に認識されています。そう、「一太郎」「花子」の日本語入力のソフトで成功した会社です。数年前に「一太郎」を購入、現在も使用しています。この会社にIDを登録、販売の配信を受けています。結構、中古のPCをリメークして高スペックのマシンを販売。魅力を感じました。
先日の配信でポケットラジオの出品。早朝ウオーキングに手頃でオーダーを。謳い文句は「アイワ」の日本商品と。手元に着荷して見るとMade in China。早速開梱してトリセツ(マニュアル)に従って操作。残念乍ら液晶画面が全く不可能。連休中でジャストシステムズには連絡が取れません。連休明け後に0120の連絡先に電話をすると、自動音声での対応。若い女性音声が早口で、操作や電話番号が聞き取れません。これらの対応が全くお粗末。どうにか繫がり話を聞くと、販売商品はキャンセルや返品は一切受けないと明記してある、メーカーとの対応との返答。
これらを聞くと、『中古のPCをリメークして高スペックのマシンを販売』も返品は受けないと明記。マシン類は決して100%完璧ではありません。届いたラジオは使えてこそ価値があります。使えないラジオはゴミ。万が一の場合は徳島の(株)ジャストシステムズ・社長宛に「ゴミ・ラジオ」をプレゼントします。
もう二度とこの会社の通販は利用しません。クレームへの対応はAmazonやDellConに一日の長があると感じました。
朝から愚痴と皆さんへの参考に。
知らない世界をしっかりと認識し、明るく元気にスタートしましょう。
今朝は4時過ぎに目覚め、5時前に起床。5時26分昭和大橋。外気温度は11℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、5時43分。帰宅は6時13分。ダンベル体操は続けています。
相変わらず毎日、「武漢コロナウイルス」蔓延のニュース。報道が世界を駆け巡り、針小棒大の報道に一喜一憂。
それにしても、発生源の「シナ中国」の国内移動は「密」状態で平気の平左。臭隠蔽氏は我が国は征圧した。他国を侵略して、覇権にこの「武漢コロナウイルス」はしてやったりとほくそ笑んでいるようです。
この騒動で生活感覚が不自由になり、「当たり前」が当たり前では無くなる。若干の不自由さを楽しむゆとりが欲しいものです。
多少の不便を眺めて愉しむ生活。元気に明るくスタートしましょう。
昨日、投稿を忘れていたので一日遅れでアップしました。
真夜中に一度目ざめ再就寝、5時丁度に起床。5時33分昭和大橋。外気温度は13℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、5時48分。帰宅は6時17分でした。ダンベル前後屈体操は続けています。
一昨日の配信で、こんな天才的な人物が存在すると驚嘆を感じました。
廣津留すみれ(ひろつる・すみれ)
バイオリニスト。Smilee Entertainment社 CEO。1993年大分市生まれ。小中高まで地元の公立校に通い、2012年米ハーバード大学に現役合格、16年に首席で卒業。ジュリアード音楽院の修士課程に進学。18年に首席で卒業後、ニューヨークで起業。バイオリニストとしてヨーヨー・マとの共演や、ゲーム『ファイナル・ファンタジー』シリーズのサウンドトラック録音など、ジャンルを超えて幅広く活躍。13年、大分で開催するハーバード大学生による英語プログラム「Summer in JAPAN」を共同設立。著書に『私がハーバードで学んだ世界最高の「考える力」』(ダイヤモンド社)、『ハーバード・ジュリアードを 首席卒業した私の「超・独学術」』(KADOKAWA)ほか。
詳しくは「東洋経済」に掲載
今朝は3時過ぎに目覚め、『森銑三著作集』第三巻、「金谷上人一代記」に目を通しました。以前『東洋文庫』に翻刻があり読了。「森銑三」氏が自傅として絶賛をしています。面白くて1時間以上経過、再就寝。起床は5時半過ぎ。5時50分昭和大橋。外気温度は16℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、6時7分。帰宅は6時35分。ダンベル体操は続けています。
最近、Facebookがパスワード変更を求めて煩わしい。しかも「随想」や「料理」の投稿をロックする。問い合わせしても返答が無い。何か恣意的な行動が気になります。近隣国の大きな「力」が働いているのでしょうか。日本独自のSNSや偏向無し、表現自由の場が欲しいものです。
『森銑三著作集』第三巻、「金谷上人一代記」に天明二年(1782)正月28日に京都大火に遭遇。丹波・城之崎温泉へ避難。そこで「柴野栗山」と居合わせた記述。以前、翻刻でこの箇所をマーク。片山北海の「混沌詩社」に参加。その後、寛政の三博士と言われた人物。地方の画人「五十嵐浚明」の墓碑銘に「柴野栗山」が撰文を認めていました。他の雑書にもこの儒者の名前を多く散見します。
朝から歴史の講釈を。知らない事を知り楽しく、明るくスタートしましょう。
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