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受難週の金曜日

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受難週の金曜日 受難週の金曜日 受難週の金曜日 受難週の金曜日
受難週の金曜日を迎えました。
主イエスがこの日の朝9時に十字架にかけられたのです。

言うまでもなく約2000年前のエルサレムでの出来事。
さらに遡ること約2000年前、同じ場所で同様な出来事が行われようとしていました。

創世記22章に見る父アブラハムが、一子イサクを全焼のいけにえとして神に捧げた場面です。
ちょうど今朝の聖書箇所がこの創世記22章でした。


①「お父さん。火と薪はありますが、全燒のいけにえのための羊はどこにあるのですか」(7)

神の意思に従っているつもりでもわからないことがある。
不条理としか見ない場面に出くわすこともある。
そしてあまりの痛みにそれを回避したいと自然に願う。
完璧な人間性を具備されたイエスは、「この杯(十字架)を取り除いてください」と、その前夜に祈られた。


②「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えて下さるのだ」(8)

父のこの言葉を聞いてイサクの理性は納得できただろうか。
尚もわからないまま彼は山道を登り続ける。
現在のエルサレムの神殿の丘に至る道を。
やがて祭壇の上で縛られてナイフを喉に突き刺されるに至っても、イサクは質問、反論、抵抗をしない。
そこにあったのは信頼のみ。

イエスはかつて弟子たちに言われた。
「わたしがしていることは、今はあなた方にわからないが、後でわかるようになります」(ヨハネ13:7)


③「主の山の上には備えがある」(14)

神のひとり子主イエスの犠牲によって、私の救いと全世界の回復のための備えが完成した。
それはまだ目に見える形では完成していない。

「備えがある」と信じたアブラハムには目に見えなくても現実であったように、神の御言葉に日々教えられているものには現実のことでもある。

イサクは父に信頼し、その意思に従うことを通じて新しく神を経験するに至っている。
アブラハムにとっての最大の試練は、彼に神の性質が知らされた最大の出来事でもあった。



神とは、どういうお方なのか。
私たちの生涯は、神のご性質に触れるための学科であり、
わからないことをの中を、信頼を持って登っていく道筋である。

We have reached the Friday of Passion Week.
The Lord Jesus was crucified at nine o'clock in the morning of this day.

Needless to say, it happened about 2000 years ago in Jerusalem.
About 2,000 years earlier, a similar event was about to take place in the same place.

This is the scene in Genesis 22 where Abraham, the father, offered his only son Isaac to God as a burnt sacrifice.
Just this morning's Bible verse for me was this Genesis 22.


1) "Father. We have fire and wood, but where are the sheep for the all-burnt sacrifice?(7)

There are times when we think we are following God's will, but we don't understand.
Sometimes we encounter situations that we see as absurd, and the pain is so great that we naturally wish to avoid it.
Jesus, in His perfect humanity, prayed the night before, "Remove this cup( cross) from me.”


(2) "God Himself will provide the sacrificial lamb for the whole burnt offering.(8)

I wonder if Isaac's reasoning was convincing when he heard these words of his father.
Still unsure, he continues to climb the mountain path.
He continued up the mountain road, which now led to the hill of the temple in Jerusalem.

Even when he is tied up on the altar and a knife is plunged into his throat, Isaac does not question, argue, or resist.
There was only trust.
Jesus once said to His disciples, "What I am doing, you do not understand now, but you will understand later" (John 13:7).



3) "There is provision on the mountain of the Lord" (14).

Through the sacrifice of God's only Son, the Lord Jesus, the provision for my salvation and the restoration of the whole world has been completed.
It is not yet completed in a visible way.
It is real to those who are taught daily in the Word of God, just as it was real to Abraham who believed that "provision is made," even though he could not see it.

Issac comes to experience God anew through trusting in his father and submitting to his will.
Abraham's greatest trial was also the greatest event in which the nature of God was made known to him.



What kind of person is God?
Our life is a lesson to get in touch with the nature of God, and a path to climb up with trust in the midst of what we don't know.
#メッセージ

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「大祭司キリスト」

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「大祭司キリスト」 「大祭司キリスト」 「大祭司キリスト」



ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージ・アウトラインです。




「大祭司キリスト」


ヘブル人への手紙 5章1~10節


"大祭司はみな、人々の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように、すなわち、ささげ物といけにえを罪のために献げるように、任命されています。
大祭司は自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々に優しく接することができます。
また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のゆえにささげ物を献げなければなりません。
また、この栄誉は自分で得るのではなく、アロンがそうであったように、神に召されて受けるのです。
同様にキリストも、大祭司となる栄誉を自分で得たのではなく、「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ」と語りかけた方が、それをお与えになったのです。
別の箇所でも、「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である」と言っておられるとおりです。
キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。
キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、
完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、
メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。"


(1)召された大祭司


①Israelにあった祭司制度
全人類>イスラエル>レビ人>アロン家系>アロン個人
召されてなくては祭壇に近づくことは出来ない

② キリストの召し(5)
「生んだ」とは生存の始まりを意味する言葉ではなく、祭司としての職務を開始せられたこと。
死、復活、昇天、着座を完成させることによる。


(2)受肉された大祭司


①「人としてこの世におられた」= 100%の肉体をもたれた人間
叫び声と涙を持って祈らなくてはならない苦しみを通られた

②キリストが受けられたたった1つの学科=「従順」
7段階の謙卑の後(ピリピ3:6-8)、最後は十字架の死。


⑶完成された大祭司


①キリストにあるすべてのものを救う大祭司
イエスの名は、霊界人間界外界(ピリピ2:9-10)のあらゆる存在の上にある

②メルキぜデクの位に等しい=永久に祭司職を遂行できる方(ヘブル7:3)


(結論)


キリストが完全な救いを与える大祭司であると聞いて、私たちの耳にどのように響いているか。
もし試練や苦しみを通っているとしたならば、それは主からの訓練と従順を学ぶ機会であろう。
その先には、高揚と栄光とを備えて下さっておられる。

















#メッセージ

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「神がともに」

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「神がともに」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「神がともに」


ヨハネの福音書 3章1~8節


"さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」"


(1)ニコデモの関心(2)


イエスご自身に向けられた関心
その崇高な教えや奇跡の業に惹かれたものではない

人々の関心ー「イエスの行われたしるしを見て御名をを信じた」(2:23)
そのしるしや教え(ヨハネ7:46)に惹きつけられていた。

イエスの人々への扱い
「イエスはご自身を彼らにお任せ(信じ・原語)にならなかった」


(2) ニコデモの運命


①イエスの弟子へと道を深めていく
サンへドリン議会でイエス擁護の正論(7:50)
イエスの遺体を埋葬(19:39)

②人々は反比例してイエスから離れていった
その原因はどこにあるのか〜ヨハネ5:43-44
人々からの栄誉を求める vs. 唯一の神からの栄誉を求める


⑶神がともにいる人生


①その始まり〜御霊により新しく生まれることによる(3:5)
それは主の贖いの事実を受け止めることから始まる(3:14)

②その進展〜神との交わりの深まり(1:51)=自覚に至るまで
聖書の言葉を通じて、信仰の友との交わりを通じて、祈りを通じて

③日常の課題への適応〜「神がともにおられるのでなければ」(2)と
自他共に納得できるまでの日常生活への信仰の顕現


(結論)


私たちの信仰生活の核はどこにあるだろうか。
一体何を求めて信仰生活を続けているのか。
人々からの栄誉か、神からの栄誉か。
御霊によって始められた信仰生活は、御霊によって成し遂げられるものです。



#メッセージ

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「この人に神のわざが現れるため」

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「この人に神のわざが現れるため...



ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「この人に神のわざが現れるため」


ヨハネの福音書 9章1~12節


"さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。
弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。
わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。
わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」
イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、
「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。
近所の人たちや、彼が物乞いであったのを前に見ていた人たちが言った。「これは座って物乞いをしていた人ではないか。」
ある者たちは、「そうだ」と言い、ほかの者たちは「違う。似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
そこで、彼らは言った。「では、おまえの目はどのようにして開いたのか。」
彼は答えた。「イエスという方が泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
彼らが「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と答えた。"


(1)イエスの個人に向けた眼差し


弟子たちの一般論〜病の神学的理由を尋ねて
「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。両親ですか。」

イエスはカテゴライズせず、その当人自身に情熱を注いでいる。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」


(2) 男に与えられた機会


①「道の途中で」(1)の偶然の出来事か
生まれつきの盲人や他に病を持った人は多くいたであろう。

②宗教的であっても信仰的な家庭環境出身ではなかった(20-23)
私たちに与えられている機会をどう生かすか。


⑶神の栄光が現されるため


①目の見えるものは盲目とされる(39)
パリサイ人らは「私たちは目が見える」と言っている。
罪の認罪なく、救いを必要としない人たち。

②目の見えないものが見えるようになった
真理について、まっさらな心で求道している(30-33)男の姿勢。
人には成し得ないことが実現する時、人々は神が生きたもう事を知る。


(結論)


神の奇跡のわざは、特定の選ばれし人にしか現わされないのだろうか。
その恩寵に与る機会は、全ての人に、この私にも与えられているはずである。
真理を探り求めるものに神は応えられる。



#メッセージ

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「いのちの神の御言葉」

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日本の霊峰富士山 日本の霊峰富士山 エルサレム旧市街にあるダビデの... エルサレム旧市街にあるダビデの街

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです




「いのちの神の御言葉」


使徒の働き 13章42~49節


"二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。
次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。
主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
こうして主のことばは、この地方全体に広まった。"


(1)汲み取られたみことば


①「人々は次の安息日にも同じ言葉を話してくれるように頼んだ」(42)
オウム返しに同じ事柄を聞きたいと言うのではない

②依頼した「人々」とは信仰を抱いて聞きたいと言う姿勢の人々(43)
彼らには人たちの言葉が単なる知識教養伝達ではなく神の言葉=メッセージとして受け取った


(2) 2つの結果をもたらしたみことば


①信仰の応答(44)
「神の言葉を聞きに集まってきた」〜説教に内在している神のメッセージを聞き取ろうとの姿勢

②不信仰の応答(45)
「ねたみに燃えた」ユダヤ人たち〜神の御言葉がいのちを持って人々にせまらる時、常にこの両極端の対応が生まれる


⑶神ご自身を体現するみことば


①「主の言葉=神を賛美した」(48)
異本で同意語として翻訳されていることがわかる。
御言葉を通じて上と出会い、神と交流し、神に至るのである。

②「主のみ言葉は、この地方全体に広まった」(49)
主ご自身が広められていたことと同意。
信仰に入るのは各位の決意であるが、同時に主の選びという神秘性がある(48)


(結論)


聖書を開くときに、ここから神ご自身を体験する触媒としてのみ言葉に聞き入ろう
#メッセージ

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恐れることはない

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恐れることはない 恐れることはない 恐れることはない 恐れることはない 恐れることはない



今朝のシアトル地方は一段と寒さがつのり、外は厚い靄に包まれました。
日本列島では半日前にやはり寒波に覆われていたこととつながってるのかなぁ、などとその関連性に思いを寄せました。

太陽が上がるにつれ晴間が広がり、夕刻にはきれいな夕焼け空を眺めることができました。

「アメリカは今大変でしょう。大丈夫?そちらは平和ですか」
先ほど日本に住むある牧師から電話でこんなことを聞かれました。

明日1月20日がバイデン新大統領の就任式であることを日本の報道機関がかなり取り上げているようです。

「少しも大変さなんて感じてません。大騒ぎしてるのはテレビだけではないんですか。いつもと変わらない平和な日常ですよ」なんて事を答えておきました。

何を騒いだり不安に思ったりすることがあるでしょうか?

特に日本人のみなさん、私たちはこんなことよりももっと不確かで急激な変化にも対応してきた歴史があることを思い出そうではありませんか。

唐突な事例を持ち出すようですが、1582年、本能寺の変による織田信長の横死です。あの段階で一体誰が信長のいない世を考えられたでしょうか。その直後、豊臣秀吉による中国大返しの離れ業があって、光秀の天下は13日間しか続かなかったわけです。

一寸先は闇。
翌日にはどのような世界となってるかも、自らの命そのものさえもわからないあの不確かな戦国時代を駆け抜けてきた歴史を抱いているのが私たち日本人です。

大河ドラマ「麒麟が来る」は、その最終回まであと数回を残すまでとなりました。最終回があの本能寺の変の場面なのだそうです。
それに向けて信長と光秀の関係が徐々に亀裂が入り、断絶していく物語の展開に見ごたえがあります。直近のドラマでは松永久秀が残した茶器の平蜘蛛をめぐる両者の価値観の違いを描くとは、これまでにはない画期的な脚本でした。

時代考証を担当している静岡大学教授の小和田さんが良い。
彼によれば日本史最大の謎とされる本能寺の変を、光秀による「信長暴走阻止説」にあるとしていて、脚本家は今のところ忠実にそのストーリーを紡ぎ出しています。

大河ドラマから米国の現実に話を戻せば、

明日には今や予定された就任式があり、その後の政権移行があり、どんな暴動が起こったとしてもこれを抑える警察力があり、たとい外国が攻めてきたとしてもはね返すだけの強力な軍事力のある国にいて何を恐れることがありましょう。

聖書には、「恐れるな」と言う言葉が356回出てくるそうです。
聞いた話でして、自ら数えた事はありません。
それによるとまるで1年365日、毎日神が私たちに「恐れるな」と語っておられるようだと言うことです。

恐れなくて良い確かな理由と、恐れるなというのが神の命令であることだけは確かなことです。


十字架にかけられる前夜の最後の晩餐の席上で、主イエスが弟子たちにに言われた言葉があります。


"わたしはあなたがたに平安を残します。
わたしの平安を与えます。
わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。
ひるんではなりません。"
ヨハネの福音書 14章27節

当時の弟子たちには、警察力などの物理的な力があって安全が確保されていたのではありません。
主イエスがやがて与えてくださるスピリットが、恐れを乗り越えさせて下さるのです。







It was even colder in the Seattle area this morning, and a thick haze enveloped us outside.
I wondered if it was related to the cold wave that covered the Japanese archipelago half a day ago.

As the sun rose, the sky became clearer, and in the evening we could see a beautiful sunset.


“Are you okay? Is there peace there?”

A pastor who lives in Japan just called me and asked me this question.

The Japanese press seems to be covering the inauguration of the new President Biden tomorrow, January 20th.

“I don't feel it's a big deal at all. Isn't it just the TV that is making a big deal out of it? “ I answered, "I don't feel any difficulty at all.”

What is there to fuss about or worry about?

Let's remember, especially Japanese people, that we have a history of coping with more uncertain and sudden changes than this.

At the risk of bringing up an abrupt example, in 1582, Oda Nobunaga was killed in the Honnoji Incident. At that stage, who could have imagined a world without Nobunaga? Immediately after that, Toyotomi Hideyoshi carried out the Great Return of Chuugoku and Mitsuhide's reign lasted only 13 days.

The future was dark then.
We Japanese have a history of running through the uncertain Warring States Period, not knowing what the world would be like or your life would be the next day.

We are now only a few episodes away from the final episode of the historical drama "Kirin ga Kuru". The final episode is said to be the scene of the Honnoji Incident.
Toward that point, the relationship between Nobunaga and Mitsuhide is gradually cracking and breaking down, and it is a story worth watching.
The most recent drama depicted the difference in values between the two over a tea instrument the Hiragumo, left by Hisahide Matsunaga, which was a groundbreaking script never told before.

Mr. Owada, a professor at Shizuoka University who is in charge of historical research, is good.
According to him, the Honnoji Incident, which is regarded as the greatest mystery in Japanese history, lies in the "theory of stopping Nobunaga from running amok" by Mitsuhide, and the scriptwriter has so far faithfully spun out the story.

Let’s Moving from the historical drama back to reality in the United States.

What is there to fear in a country that now has a scheduled inauguration tomorrow, a transition of power after that, a police force capable of containing any riots, and a military strong enough to repel any foreign invasion?

The Bible says, "Do not be afraid" is mentioned 356 times.
I've never counted it myself, but I've heard it.
It seems as if God is saying to us, "Don't be afraid" every day, 365 days a year.

The only thing we know for sure is that there is a good reason not to be afraid and that it is God's command not to be afraid.


At the Last Supper, the night before His crucifixion, the Lord Jesus said to His disciples.


"I leave you peace.
I give you my peace.
I do not give in the same way that the world gives.
Do not let your hearts be troubled.
Do not be dismayed."
John 14:27

The disciples at that time did not have a police force or any other physical force to keep them safe.
The Spirit that the Lord Jesus would eventually give them would help them overcome their fears.
#メッセージ #日常

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「私はなおも神をほめたたえる」

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「私はなおも神をほめたたえる」

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「私はなおも神をほめたたえる」


詩篇42:1-11


(1)たましいの絶望


①自問「なぜあなたは私をお忘れになったのですか」(9)

②他問「お前の神はどこにいるのか」(3,10)


(2)「なおも」食い下がって(42:5,11,43:5)


①過去の神体験を思い出して(4)

②想像を絶し忍耐を超える試練に翻弄(7)


⑶いのちであられる神ご自身


①自己の内にはいのちがない(1)
コロサイ3:3-4

②私のできる事はただ1つ〜神を待ち望む


(結論)


誰もいない、誰も分かってもらえないと言う孤独の中で、
八方塞がりの時に唯一、空だけは開いている。
神を待ち望もう。

"あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。"
コリント人への手紙 第一 10章13節
#メッセージ

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「見よ。新しいことをする」

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「見よ。新しいことをする」





ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「見よ。わたしは新しいことをする」


"あなたがたを贖う、イスラエルの聖なる方、主はこう言われる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らをことごとく逃亡者として下らせる。カルデア人を彼らの喜びの船で。
わたしは主、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」
海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、
戦車と馬、強力な軍勢を引き出した主はこう言われる。「彼らはみな倒れて起き上がれず、灯芯のように消え失せる。
先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。
見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を宣べ伝える。"
イザヤ書 43章14~21節


(1)新しいこととは何か


①「先の事ども」「昔の事ども」(18)
民族誕生の出来事であり、誇りとするもの〜出エジプト

②「新しいこと」〜バビロンからの解放
クロスによるバビロン攻略(16)
メシア王国による自然界の回復とその贖い(20)


(2)新しいことをするのは誰か(15)


①聖なるもの
絶対者、卓越した超越者、イザヤ書のキーワード

②創造者
イスラエルの誕生といのち、その歴史、族長たちの生涯

③王
世界の真の統治者
歴史の表舞台に登場する覇権国家、アッシリアバビロンペルシャギリシャローマの背後にいる統治者


⑶新しいことが起きるのはいつか




①「今、もうそれが起ころうとしている」(19)
私たちが所有・管理できる時はたった今だけである
預言のスパン〜3段階

②「あなた方は、それを知らないのか(19)
預言の言葉に応答できるのは今だけである
携挙はimminent


(結論)


現在の米国政界の混乱は歴史的ターニングポイントである
新しい何かが始まろうとしている
人間がどのような変革を成し遂げたとしても、神なさる新しいことには及ばない
主は私の人生に、そして私の関わっている世界に新たな創造をなされるお方だ
#メッセージ

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年の瀬に思いを馳せて

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年の瀬に思いを馳せて 年の瀬に思いを馳せて 年の瀬に思いを馳せて 年の瀬に思いを馳せて



今日はいつもとは異なるところで夕日を観察に出かけました。
近所にある中学校校庭です。

今年最後の日曜の午後、
皆様はどのようにお過ごしでしょうか。

今年は例年とは異なる画期的な年でした。
世界史に大きく刻まれるであろう、パンデミックによる世界同時鎖国化です。

パンデミックの収束はまだおぼつかなく、ここ最近、感染者の急激な広がりが報道されています。

昨日と今日で全ての外国人の入国が、イスラエルでも日本でも一時禁止されました。

また来年早々、混乱を極めた米国大統領選挙の結果が判明しそうです。
カリフォルニアのロックダウンが解除されるかどうかも注視しています。

例年なら、こんなきれいな夕日を見ながら地元の中学生たちはクラブ活動を楽しんでいたことでしょう。野球、サッカー、陸上競技、、、校庭で暗くなるまで時間を忘れて没頭できるだなんて、一生のうちに経験出来る瞬時の特権なはず。

その貴重な青春のひとこまも奪われてしまいました。
我が息子も、楽しみにしているサッカーの試合がいよいよ高校卒業まで全てが取り上げられてしまったのです。

そんな人間界の異変に全く関与せずと言わんばかりに、自然界の営みは続けられています。

神の目から見て私たち人間は自然界より偉大なものです。
パンデミックも、戦争も、また病も、超越したかのように悠久の時を刻みながらびくともしない自然界。
その自然界よりも私たち1人の価値は偉大であると教えています。

年の瀬になると永遠の時に思いが至ります。
広大な自然を前にすると無限の空間に思いを寄せます。

そして、自然と空間と時間の創造者なる方に。
その創造者なる方が人間との関係を築くために遣わされたひとり子なる方に。


"空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。
あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、
少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。"
マタイの福音書 6章26~27節




Today I went out to observe the sunset at a different place than usual.
It was in the schoolyard of a nearby junior high school.

It's the last Sunday afternoon of the year.
How are you doing?

This year has been a groundbreaking year, different from other years.
This year was a different kind of epoch-making year, one that will go down in world history as a pandemic that shut down the world simultaneously.

The pandemic is still far from over, and there have been reports of the rapid spread of infected people in recent days.

Yesterday and today, all foreigners have been temporarily banned from entering Israel and Japan.

Also, early next year, we are going to find out the results of the confusing US presidential election.
I'm also watching to see if the California lockdown will be lifted.

In past years, the local junior high school students would have enjoyed their club activities while watching such a beautiful sunset. Baseball, soccer, track and field... it must be an instant privilege to be able to lose yourself in the schoolyard until dark.

That precious moment of youth has been taken away from them.
My son's soccer games, which he looks forward to so much, have been taken away from him until he finally graduates from high school.

The workings of the natural world continue on, seemingly unconcerned with such anomalies in the human world.

In the eyes of God, we humans are greater than the natural world.
Pandemics, wars, and diseases have not faltered in the natural world, which has been ticking away for a long time as if it has transcended.
It teaches us that the value of each of us is greater than that of the natural world.

At the end of the year, I am reminded of eternal time.
When I am faced with the vastness of nature, I think of infinite space.

And to the Creator of nature, space, and time.
And also to His only begotten Son, whom He sent to establish a relationship with humanity.


“Look at the birds of the air;
they do not sow or reap or store away in barns,
and yet your heavenly Father feeds them.

Are you not much more valuable than they?
Can any one of you by worrying add a single hour to your life?”

Mathew 6:26-27
#メッセージ #日常

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「ベツレヘム・ストーリーの3大特徴」

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「ベツレヘム・ストーリーの3大...

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「ベツレヘム・ストーリーの3大特徴」


ルカの福音書 2章8~20節


"さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。"


(1)素朴


①御子誕生の知らせを最初に知らされた人々〜羊飼い-あ・社会の最下層の人々

②御使いが告げたメッセージ〜直接的で単純な言葉
「きょう、ベツレヘムで、生まれた、主キリスト、飼い葉おけに寝ている」


(2)栄光


①シャカイナ・グローリー(9)
一人のみ使いに対して複数の羊飼いらの反応〜「恐れた」

②天の軍勢による賛美(14)
常時、天において繰り広げられている天軍賛美が、地上で展開されている


⑶歓喜


①「この民全体のための素晴らしい喜び」(10)
この民〜ユダヤ民族
すばらしい喜び〜霊的な意味での釈放と地上的・政治的圧迫からの解放の意味を併せ持つ

②羊飼いたちの歓喜(20)
御使いの告げた通りにありえないことが展開されたのを見て、神の言葉の正しさと確かさとに感動している


(結論)


神の側において既に成就した偉大な営みを、私たち人が体験するために、

素朴であれ〜砕かれた心があるか
栄光が照らしている〜洞察できる目はあるか
喜びに溢れて〜語り得る口はあるか

#メッセージ

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