「神がともに」
2月
28日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「神がともに」
ヨハネの福音書 3章1~8節
"さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」"
(1)ニコデモの関心(2)
イエスご自身に向けられた関心
その崇高な教えや奇跡の業に惹かれたものではない
人々の関心ー「イエスの行われたしるしを見て御名をを信じた」(2:23)
そのしるしや教え(ヨハネ7:46)に惹きつけられていた。
イエスの人々への扱い
「イエスはご自身を彼らにお任せ(信じ・原語)にならなかった」
(2) ニコデモの運命
①イエスの弟子へと道を深めていく
サンへドリン議会でイエス擁護の正論(7:50)
イエスの遺体を埋葬(19:39)
②人々は反比例してイエスから離れていった
その原因はどこにあるのか〜ヨハネ5:43-44
人々からの栄誉を求める vs. 唯一の神からの栄誉を求める
⑶神がともにいる人生
①その始まり〜御霊により新しく生まれることによる(3:5)
それは主の贖いの事実を受け止めることから始まる(3:14)
②その進展〜神との交わりの深まり(1:51)=自覚に至るまで
聖書の言葉を通じて、信仰の友との交わりを通じて、祈りを通じて
③日常の課題への適応〜「神がともにおられるのでなければ」(2)と
自他共に納得できるまでの日常生活への信仰の顕現
(結論)
私たちの信仰生活の核はどこにあるだろうか。
一体何を求めて信仰生活を続けているのか。
人々からの栄誉か、神からの栄誉か。
御霊によって始められた信仰生活は、御霊によって成し遂げられるものです。