JR神戸駅の近くで、オート三輪を見かけました。
1930年代から1950年代に製造された車です。
映画「三丁目の夕日」では、ミゼツトが活躍しておりました。
まぎれもなく、1950年代に製造された車です。
少しばかりガタがきていましたが、子供時代を思い出してしまいました。
はや製造されて、50年以上。現在どれくらいのオート三輪が現存しているのでしょうね。
時期はずれになりますが、神戸での初詣は、生田神社・湊川神社・長田神社と三社詣でが一般的です。
その長田神社の西側の入り口に、この石垣があります。
本来の参道は、こちらの西側が正門なんですが、現在は、広い道路側が正門として、利用されているようです。
訪れるたびに、この石垣で、足が止まります。
一般的なけんち積みではなく、石職人の心意気が感じられる、組み方をしています。
名もなき石職人だったと思います。功名心を求めていたわけでもないでしょう。丈夫な石垣と、組み方の遊び心。
社史などに、石職人の名前など、記載などされてません。
粋な職人魂を、いつも感じさせてくれる、わたしの好きな場所のひとつです。
1929(昭和4)年から1979(昭和51)年にかけて、新開地本通に「神戸松竹座」があり、演芸娯楽の殿堂でした。
<桂春団治>・<蝶々・ゆうじ>・<横山ホットブラザース>などの出演が記憶に残り、閉館最後の舞台を飾ったのは、<かしまし娘>でした。
娯楽の殿堂跡も、今はパチンコ店になってしまっています。
松竹座の向かい側には、「春陽軒」という中華料理屋さんがあり、親父とよく「ホーコ鍋」を食べたものです。店内には、松竹座に出ている、芸人さんの色紙や写真が飾られていました。
その松竹座の山側に、【松竹小路】と呼ばれる呑み屋街がありますが、今はこの通りの名前を言っても、わかる人は少ないとおもいます。
ちいさな居酒屋が並んでいますが、きれいになりました。
賑やかな頃には、ガタガタとした小路でした。
昔の面影を残しているのが、溝の形です。
足元を見て歩く人はあまりいないと思いますが、人通りで賑やかな当時を知っている世代としては、懐かしい記憶を呼び起させてくれる溝の蛇行です。
1936年(昭和11年)2月、淀川長治は大阪のユナイテッド・アーティスツ社に勤めていましたが、チャップリンが3人目の奥さんボーレット・ゴダードと共に、お忍びで香港から神戸港に寄るとの情報を聞き、神戸港までいさんでやって来ました。
二人が神戸観光から帰船するのを待ち、身振り手振りでチャップリンと無事に歓談できた逸話は有名なことです。
ご存知のように、淀川さんは神戸市出身。子供の頃から、新開地の映画館に入り浸りでした。
当時の新開地は、映画館全盛時代ですが、今は3軒ばかりが残るだけで、そこではロードショウーを観ることは出来ません。
全盛時代名残りの新開地ですから、チャップリンが新開地に来たなどという噂が飛び交っても仕方ないかもしれません。
そんな歴史と噂が合体して、新開地通りの入口に『ビッグマン』と称するゲートが平成14年にできています。左右二本組みのゲートですが、形を見て何か思い付きませんか?
そう、チャップリンの帽子姿を表現しています。
淀川さんとチャップリンが、2月のいつ頃に対談したのかは分かりません。船外は寒い風の吹いていた神戸港でしたでしょうが、情熱をもって大フアンだという淀川さんのパントマイムは、きっとチャップリンの心を熱くさせたことでしょう。
淀川26歳、チャップリン46歳の2月の出来事でした。
今日は快晴。
いつもの習慣で、玄関扉を開け、海側に目を振りますと、お隣さんの家の前に見かけぬ四駆が停まっておりました。
「ん?」と思った瞬間、ニョキニョキトとアンテナが伸び出してきました。
「電波障害の調査か」と、しばしその高さに見とれておりました。
普通「電波障害」の調査は、高層建物が建つことによって、影響を受けるであろう地域に対し、工事前、工事中、工事完成後とに分けてテレビ電波の記録を取ります。
はてさて、今日の調査はどの段階の調査だったのかなと、道々考えておりました。
以前にも、来月完成するJR須磨海浜公園駅前の工事中の高層のマンションの事を書きましたが、またまたどこかで、高層マンションの計画でもあるのかと、危惧いたしました。
インターネットやケーブルテレビの時代ではありますが、まだまだ既存のテレビアンテナに対する権利は、強いものがありますね。
この時期、確定申告がはじまりました。
インターネットの普及で、盛んに税務署は「e-Tax」にての申告を進めているようですが、昔人間のわたしは、自分の手で届けないと、一区切りがつかない性格です。
以前ですと、前年度の11月頃に申告書が届くのですが、最近は1月末でないと手元には届かなくなってしまいました。
受け取るなり、いの一番で、申告に出向きます。還付金の返還を早くしたいからです。
個人事業主は、有無を言わさず1割の源泉分を徴収されます。たとえば1月に大きな入金がありますと、1年間国に無利子で預けていることになります。
毎日帳簿を細工なしに付けていれば、1か月も余裕があれば十分に作成できるはずで、わざわざ2月半ばの提出日は、小細工をしなさいと諭しているようにしか思えません。
早いですねぇー。バレンタインデーが終わったと思っていたら、もうホワイトデーの宣伝看板を見つけてしまいました。
高速神戸駅に近い場所で、「ベルギーチョコレート」を販売しているお店です。
「BeBeBe」(ベエベエベエ)という名前でした。
ここ、神戸が本店らしく、今治と武蔵小山の支店があるそうです。
ベルギーからの直輸入品を扱い、現地と同じ味が楽しめるとか。
ホワイトデーのお返しの下見の振りして、覗いてきました。
わたしは、立ち飲み屋のお姉さんの義理チョコだけでしたが、ブログル仲間の皆さん方は、ホワイトデーのお返しもたいへんだなーと、今から按じております。
JR神戸駅は、東海道本線、山陽本線の起点・終点駅です。
今は高架になっていますが、昔は、地面の上を走っており、市電が線路をまたいで走り、相生橋と名付けられていました。今の神戸駅の裏側にあたり、そこに、蒸気機関車【D511072】が展示されています。
今日前を通りましたら、全体に錆だらけであわれな姿となっていました。丸太足場を組み、ペンキ職人さんが一人で、塗装の仕事をされていました。
「おひとりですか?」
「予算もないみたいで、去年の11月から一人でやってるんやけどなー、なんとか前だけはきれいになっとるやろ」
「寒いでしょうが、残りもきれいにお願いしますね」
「ありがとう。ちゃんとやるから大丈夫やで」
元気のいい職人さんで、本当によかったです。
昭和19年に製造、昭和50年まで、走り続けたあとこの場所に展示され、今年で丁度30年経ちました。
足もとの石碑には、『君の雄姿は地域の象徴としていつまでも神戸市民に称賛され親しまれ続けることだろう』と当時の市長の言葉が刻まれています。
鉄ですから錆びるのは当然のこととして、ここまで錆びる前にもう少し早く手の入れようもあるはずで、石碑の言葉がむなしく響いておりました。
火曜・金曜日は、家庭ごみの収集日。特に第三火曜日は荒ゴミの日にあたりますので、少し早いゴミ出しをしてきました。
知りませんでしたが、神戸市環境局は、「ゴミと資源・分別徹底キャンペーン」のキャラクターとして、「ワケトン」という名称のキャラクターがあるそうです。
ゴミの分別の「分ける」と「豚(トン)」の合成語といえば、分かりやすいでしょう。
でも、「ト」にアクセントをつけて読むと、神戸弁でいう「わけてるの?」の意味になります。「食べとん?」ってな言い方をします。
「何をしているの?」は、「なにしとん」という調子です。
神戸は政令指定都市の中で、一人当たりのゴミの量が一番多いそうです。エコの時代、よそから「なにしとん」と言われないように、心がけたいものです。
駅までの道、ふと違うルートを歩いてみたら、角のSさんのお宅が解体中だった。そういえば、おばあさんが亡くなられて2年ほど経つのかな。
市バスは1時間に1本。保育園・幼稚園・小・中学校まで、3キロ以上歩かなければならない開発団地。
最寄りの駅まで、行きは下り坂20分、帰りは登り坂を35分はかかる開発団地。
市内に至る、車の通れる道路は1本だけで、これに何か問題が起こると身動きが取れない開発団地。
生活用品の店もなく、あるのはバス停前のジュースの自販機だけの開発団地。
成人した息子や娘さんは、家を引き継ぐことなく、当然のように便利な市内に転居され、戻る気配のない開発団地。
残るは、開発当初から住んでいる高齢者と呼ばれる世帯ばかりになり、朝方には、デイケアーセンターのお迎えの車が数珠つなぎの開発団地。
団地の2割弱は空き家となっており、昔なら子供達が「おバケ屋敷ごっこ」で楽しめそうなのに、その子供達さえいない開発団地。
さて、この先どうなる開発団地。
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