イラストレーターで映画監督やエッセー執筆など多彩な活動で知られた<和田誠>(1936年4月10日~2019年10月7日)さんが7日、肺炎のため東京都内の病院で逝去されています。83歳でした。葬儀は近親者で済ませ、後日お別れの会が開かれるようです。妻はシャンソン歌手で料理愛好家の<平野レミ>(72・本名・和田レミ)さん。長男はロックバンド「TRICERATOPS」のボーカル兼ギターの<和田唱>さんで、妻は俳優の<上野樹里>さん。食育インストラクターの<和田明日香>さんは次男の妻。
大阪市生まれ。9歳から東京で育ちました。多摩美術大学在学中の1957年にグラフィックデザイナーの登竜門である日宣美賞を受賞。多摩美術大図案科卒業後、広告制作プロダクション「ライトパブリシティ」に入り、たばこ「ハイライト」のコンペデザインで注目され、1960年(昭和35年)6月20日より70円で発売されました。旧社会党のロゴマークなども作成しています。1965年、自主製作アニメ『マーダー(殺人)』で毎日映画コンクール大藤信郎賞。
1968年フリーとなり、1969年に一連の似顔絵が評価され、文芸春秋漫画賞。1977年から40年以上にわたって『週刊文春』の表紙を手掛けました。
知的なユーモアを感じさせるシンプルなイラストは<星新一>、<丸谷才一>、<村上春樹>さんなどの作家らに愛され、多くの雑誌の表紙や本の装丁を手がけました。
ポスターや絵本の制作、作詞、作曲、落語原作にも取り組んだほか、映画には特に造詣が深く、1984年の初監督作品『麻雀放浪記』は高く評価され、続く『快盗ルビイ』でブルーリボン監督賞。文才も発揮し、1982年に著書『ビギン・ザ・ビギン』で日本ノンフィクション賞、1993年『銀座界隈ドキドキの日々』で講談社エッセイ賞。1994年には美術、文筆、映画にわたる業績で菊池寛賞を受賞しています。
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