昨日のスキー場を訪れると、確実に寄るお店がありますスキー場のロッジでの食事は「高い・まずい」が多いものです車で5分ほどにある「日本蕎麦屋」ですさすがに雪が周りを覆い、通路も塀垣のように雪が積み
上げられていました屋根から長い「つらら」が垂れ下がっていました
以前、落雁でブログルが盛り上がった事があった地方新聞の記事に、田舎のお菓子やさんが100年余
変わらぬ味を守って、今も作り続けていると書いていた幸い、雪は止み暖かな陽気に誘われくだんの町を訪ねたオシャレな感じの和菓子屋があり、そのお菓子があるか
尋ねてみた銘菓「おか免」という名が付いている原料は良質な「玄米」を炒って粉にし、上白糖
水飴を加味、精製し木型に入れて造った「落雁」である懐かしい味がした
窓越しの残雪を眺め、昼食を注文した着物を着たご婦人がお茶とお絞りを持ち、挨拶に来る
メニューを差し出すと、決まったら押しボタンで呼んでくれと
言い残して引き下がった「散らし寿し」を注文した最初に「一口蕎麦」が
次に「茶碗蒸し」
続いて「天麩羅の盛り合わせ」最初のお茶を引き上げ、新たなお茶を持ってきた
続いて、焜炉に載せた土瓶を持ち、熱いお茶をどうぞと置いていく最後にお重に入った「散らし寿し」が運ばれ
よそって食べる為のお茶碗が添えられている最初の「お絞り」が引き上げられ、新しい「お絞り」がテーブルに置かれた至れり尽くせりの応対である料理と言い、応対と言い、庭の景色と言い
「至福」の一時を過した
長く続いた寒波が去り、全国的に暖かな穏かな日となりました日本画と彫刻の展覧会を見に30分程車を飛ばしました展覧会の前に腹ごしらえ
時折、寄る料理屋に立ち寄りました
この料理屋を設計した建築家とはお付き合いがあり
開店当初から、たまに食事に立ち寄ります
建物の設計と共に、造園も全て手がけています10年が経過し、樹木も根付き景観が良くなりました席から庭を眺めながらの食事
一服の「画」を見ているようです
以前から外食産業の「ファミレス」ではドリンクバーが
一般的になっていたところが、最近「中華」や「イタメシ」でもこのシステムを
採用する店が増えてきた今回、行った「イタメシ」のお店は、パスタ6種か
ピッツア6種のどれか1品を注文し、サラダバーを合わせると
一枚のお札に消費税で済むサラダやデザート、飲み物が多くあり満足感を味わえる
ただ、このような店へ行くとつい食べ過ぎるので
ダイエットを実施している人は近寄らない方が賢明である
和菓子屋さんから「花びら餅」を買って来たこの御菓子、花びら餅は 宮中の正月行事に用いられる
菱葩(ひしはなびら)にちなんだ正月用のお菓子とある
正式な名称は
「菱葩餅(ひしはなびらもち)」 このお菓子茶道裏千家の初釜の主菓子牛蒡と白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子宮中の正月の行事食。600年も前の文献にも載っている歴史
の長い食べ物。しかし、その頃のものは、現在の餅よりも大きく
生地に甘みがなかったらしい。明治以降、お菓子になったそうです。白餅を丸く伸ばした中に、小豆汁で赤く染めて菱形にのばして餅を重ね
味噌餡を敷き甘く炊いた牛蒡をはさんだもの白い餅の皮を
通して中の赤い餅が見え、新春の風情が漂います。
「花びら餅(葩餅)」はなびら餅とは、京都でお正月にだけいただく伝統の御菓子の一つで、
柔らかいお餅に京都のお雑煮に見立てた白味噌のあんを牛蒡と
共に求肥で包んであるお菓子です。牛蒡を包むのは、一説に、この花びら餅が裏千家初釜の
「菱葩(ひしはなびら)」を菓子化したものであるからだと言われています。
「菱葩」は丸く平らにした白餅に、赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く
作って上に重ね、柔らかくした袱紗牛蒡を二本置いて、
押し鮎に見立てたものです(鮎は年魚と書き、年始に用いられ、
押年魚は鮨鮎の尾頭を切っ取ったもので、古くは元旦に供えると
『土佐日記』にあります)。初めはつき餅でしたが、最近は求肥となっています。以上インターネットからの引用です
平安の時代から連綿と受け継がれ、その間工夫が加えられ
現在の和菓子となり、庶民も味わうことが出来る土佐日記が出てくるとは思いませんでした
雪だるまマークの続く日本海側で、太陽が顔を見せると
それだけで気持ちが明るくなる山間地の雪の多い地域では、周りの積雪で明かりが取れずに
日中も電燈を点けっ放しの家庭が多い昨日は久しぶりに青空となり、居間に太陽の光が注ぎ込んだ
ロールカーテン越しに温室の柱が大きく陰を投げかける太陽の恵みを満喫した
太平洋岸の人には分からない感覚である
お正月に初日の出を一寸だけ拝んだが、その後は
毎日の曇天
山間地の豪雪は聞きしに勝るものである
いよいよ自衛隊の出動要請が出て、災害として国も
支援に乗り出し始めた久しぶりに日の出前の朝焼けを見た
この後、午後からは再び雪模様である撮影 2006/01/10 Am06:32
新春の展覧会に「小倉遊亀」展が行なわれていた作者の作風は以前から好んで見ていた
「奥村土牛」と共に長命な日本画家である狭い百貨店の会場には祭日のせいか相当の込みようであった「小倉遊亀」は平成12年に105歳の生涯を閉じた
教職に奉じた後、30歳を過ぎて安田靫彦に師事し大輪を咲かせた
生涯、現役の画家であった
少し前までは、喫茶店はビニールシートの椅子に腰を掛け
ゆっくりと飲む形態が殆んどであったその後、日本の「Dコーヒー」が低価格を引っさげて多くの
出店を成功させたその後、シアトル系の「Sコヒー」が広まり、同じシアトル系の
「Tコーヒー」などが全国に広まったコーヒーのメニューも名前が多く、サイズも選択する
初めてのお客は戸惑うことが多いでもすっかり日本に定着しつつある
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