6月
2日,
2009年
台湾入国事情
※桃園は数年前に改名、以前は中正、中正は初代中華民国総統の蒋介石の字(あざな)、この文字を今頃抹消し始めている、ちなみに彼は台湾国民の間できわめて評判が悪い
豚インフルの検査は、到着後の健康申告カードのみになったとのアナウンスがあったが、カードはどこにもない?
豚インフルはここでも「新型」に変わっていた、ご丁寧に英語・中国語(北京と広東語)・日本語での注意が延々と機内放送であり、入国の注意書きが配布されたが、これは英語と中文のみ。
機内検査はなし、サーモチェックだけ。
イミグレがいつもより混雑すると思ったら
入国時の台湾の滞在先の電話番号をチェックされた、あわててホテルの電話番号を書き込む。
今日の夕食は飲茶、機内で食事が出たので軽めでした。
※キレイな写真をアップします、NT$は約3円
写真は拡大できます
5月
17日,
2009年
「ボロは着てても心は錦」なんてありえない。に激しく同意
「ボロは着てても心は錦」なんてありえない
がありますが、これには激しく同意です。
言葉が通じ、キャラクターを確認する術が存在するならともかく、最初は「見た目」での判断は洋の東西を問わず重要視されます。
どんなに良い技術をもっていても、それを知らしめる前の段階で外されてはなんともなりません。
写真はインドネシアでのバティックですが、これを着ているとインドネシア人の多くが振り向きます、ホテルでの応対も明らかに違います。
これは絹の手染めで、写真ではわかりにくいのですがポケットの部分も同じ柄(手染めなので少し違う)で作られています。
現地では「良い身なり」と思うのでしょうね。
※この服、実は昔に買ったもので、ダイエット前は着れなくなっていたものです、現在は着れるようになりました(ウレシイ)
5月
13日,
2009年
9.11の時
オージーのOttoからNewyorkerのStevenに。
自己紹介と世間話の後、許可を得て9.11の話を・・・
彼は当日大学に居たとのこと(学生だった)。
必死にガールフレンドの安否を探し回ったこと、
※この話が大迫力、無事会えて自宅まで送った。
発生の9時頃から6時間近く、電話・インターネットは通じなかった、軍隊の出動、公共交通機関の停止、数日間に渡り市民生活が停滞、政府はもとより全国民がテロに敏感に反応するようになったことなど・・・・
現場に居住する人の話を始めて生で聞くことが出来ました。
5月
7日,
2009年
台湾と日本との関係を考えるその1
写真はおなじみ司馬さんの台湾紀行、その中で登場する「老台北」と呼ばれる日本贔屓の台湾人の書いた本、そして現在でも使われている台湾中学校の歴史教科書の日本語訳版です。
台湾紀行は「街道をゆく」シリーズでは珍しく政治、それも現代の政治に言及しており、記憶の限りではこの「台湾紀行」だけかも知れない事に気が付いた。
李登輝元総統との会見録など現中国から見たら飛び上がる程驚く内容である。
教科書も見直すと、遠慮がちではあるが、台湾返還後のトラブルについて言及している。
わずか半世紀前に複雑な歴史の谷間を流れる激流に翻弄されたにも関わらず、目覚しい進歩を遂げた理由はどこにあるのか、今一度考えて見たい。
4月
19日,
2009年
やはりイミグレで質問された
顔の写真が現在の私と違いすぎます・・・
案の定、うるさい中国のイミグレで引っかかりました。
「コレあなた?」
「是:そうです」
「・・・・・」
「左右の目の大きさが違のが特徴」
「ダイエットでやせたのです」
等と、この事態を予想して用意した中文回答を話しましたが、何度もジロジロ見られた上、やっと無罪放免。
厄介な事になる前に、パスポートの再発行を真剣に考えています。
中国でも韓国に美容整形に行った女性がイミグレで留め置かれ、韓国の病院から証拠資料を取り寄せるなど大騒ぎになったと聞きました。
私の場合はその手の資料が無いので、かなり本気で心配しています。
4月
18日,
2009年
昨今中国事情その4(パスポートのスタンプ)
日本・香港・中国のイミグレのスタンプです。
お役人の仕事ぶり(表面的な)を良く表しているような気がしますが、いかがですか?
4月
18日,
2009年
昨今中国事情その2(一国二制度)
香港でイミグレを通過し、香港と中国との境界(国境とは言わない)で、出国手続きをします。
※VISA無し滞在は香港では90日
その後、中国大陸へのイミグレを通過します。
ここで、面白いのは香港は返還されたので当然ですが、台湾は中国の一部(台湾省)と見なしているので、台湾国籍の方々は「入国審査」はなく、無論パスポートの提示も不要なんです、IDカードの読み込みだけで通過です、無論このIDカードは中国が発行しています。
我々外国人は面倒な手続き、特に車移動では一旦、イミグレ前でりか車の交換(乗換)をしなければなりません。
ところが、トラックや一部の車は、香港と広東省(香港に隣接するのは広東省)の両方の自動車ナンバーを取得して自由に往来しています。
下のナンバープレートは左の漢字は広東省を表す漢字、港は香港を意味します。
上側のナンバーは香港の自動車ナンバー
写真はその乗換場所、ズームアップはこの先で境界が別れる案内。
とにかく厄介な仕組みで、時間の浪費がたまりません・・・・
4月
18日,
2009年
昨今中国事情その1
商品は溢れていますが、購入客がいません。
市内も同じです、一年前とは大違いです・・・・
全体に市内に人の出が少ないです、あの人たちは何処に行ってしまったのでしょうか、堂々と車道を渡る人も見かけなくなりました。
4月
15日,
2009年
香港レポートその2(言葉が大変)
香港では広東語なんです。
加えて日本ではまたまた違った読み方が浸透しておりこれに拍車がかかります。
香港でおなじみ「九龍」
広東語では
かおろん
北京語では
じゅうろん
日本語では
くーろん
タクシもうっかりのれません。
ついでに香港は
広東語では
ほんこん
北京語では
しゃんがん
※これに四声と呼ばれる抑揚がありお手上げです
4月
15日,
2009年
香港レポートその1(イミグレは大混雑)
ところがイミグレが大混雑!
理由は
1:処理の窓口が少ない
2:担当者処理能力が明らかに低い
3:ネットワークがどうも遅い
4:アジア系の入国者が入国カードの書き方を知らない
3:は実際にパスポートを読み込ませて画面が出るまでの時間が少しあるようで、これはインドネシアでも時間がかかっていました、LANの設計がだめかな?と、早くも商売根性が出ました。
ついでながらシンガポール空港のネットワーク配線は出鱈目です(確たる証拠があります)
4:はシアトルの空港と同じ状況で、仕事を求めてくるのか労働者と思しきアジア系(タイ・マレーシアが多かった:パスポートで判定)入国カードが未記入で窓口で書いている有様、かんべんしてよ・・・・
※明らかに出稼ぎ風の人たちが多い、香港は仕事があるのかな
イミグレで一時間もロスしました。
写真は展示会場の帰路、駅の通路から撮影した空港付近に沈む夕日