ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「エリムの憩い」
出エジプト記 15章23~27節
"彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲めなかった。それで、そこはマラという名で呼ばれた。
民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
モーセが主に叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水の中に投げ込むと、水は甘くなった。主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、
そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」
こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。"
(1)人生の旅路
①荒野への旅程
紅海横断の輝かしい勝利(1-21)
三日間のシェルの荒野への旅程
飲料水の不足
②私たちの歩みも荒野の旅路
勝利〜困難〜エリムの泉(安息)
日曜礼拝は安息の時である
(2)モーセは主に叫んだ(25)
①マラ(苦味)のただ中にあって、問題を持っていく所を知っていた
イスラエルの民の訴えに対し彼自身の内には応える資源は無い
② 主は応答をされた(25b)
「おきてと定めを授け」〜み言葉を通して主は語られる
「彼を試みられた」〜信仰的応答は机上の学びからではなく実際の試練の中から習得する
⑶エリムの憩い
①荒野の旅路でのオアシス
12の泉、70本のナツメヤシの木〜民全体を潤すに十分な資源
そこには供給と休息、霊的刷新があった
②この休息と刷新は次なる荒野への準備となる
シンの荒野へ(16:1-2)
(結論)
「わたしは主、あなたを癒すものである」(26)
安息と新しい学びに招かれる主イエス(マタイ11:28)。
イエスの十字架は、苦味を甘みに変える場であり、
安息と刷新とを与える場である。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。"
マタイの福音書 11章28~29節
聖書を字義どおりに解釈するべき理由
❶解釈の目的からして必要なことゆえ
神はご自身を聖書著者を通じて啓示された。
その啓示の内容は一貫している字義通りの解釈でなくては明らかとならない。
主観的解釈は解釈者を聖書の上に置くことにつながる。
❷あらゆる種類のコミニケーションに調和しているゆえ
恣意性排除して最も自然な意味に取る解釈法が字義通りの解釈。
それは文脈を重視して解釈する方法。
比喩は比喩として解釈する。
学者の間では「歴史的・文法的解釈」と呼ばれているものである。
❸それは聖書の権威、また究極の著作者である神の権威を認めることに繋がるゆえ
聖書解釈は、
意味の汲み取りであり(exegetical)
意味を読み込むこと(eisegetical)ではない。
聖書は帰納的に読むべきであり(inductive)
演繹的であってはならない(deductive)。
帰納法とは、数多くのテキストの意味を発見し、そこから調和ある神学を構築すること。
演繹法とは、まず枠組みとなる1つの神学体系があり、それに調和するために各テキストの意味を確定していくもの。
字義どおりの解釈法は、聖書の意味を汲み取ること(帰納法)で聖書の権威に伏している。
意味の読み込みや押し付けは、その解釈者が聖書よりも優位に立っていることを意味している。
聖書神学とその解釈学の発展段階においてギリシャの影響を見逃わけにはいかない。
と言うよりも、ギリシア文化とその哲学に正当な聖書解釈が飲み込まれてきたと言っても過言ではないと思う。
アレキサンダー大王が地中海を内海とする中近東一帯を征服・統一して以来、ギリシャ文化はユダヤの伝統や文化を凌駕してきた。
ディアスポラのユダヤ人最大都市であるアレキサンドリアで旧約聖書が初めて外国語に翻訳されたが、それはもちろんギリシャ語であった。
70人訳と呼ばれているそのギリシャ語訳旧約聖書は、より古い写本が発見管理されていることから今日でも時に原典ヘブライ語聖書よりも権威があり、信憑性あるとみなされる。
そして新約聖書は当初からギリシャ語で記されている。
❶アレキサンドリアのフィロン(BC.20-BC50)
聖書解釈する際にギリシャ哲学を根本とした手法を用いた。
さらにユダヤ的思想とギリシャ哲学を融合させるための比喩派解釈を採用している。
❷殉教者ユスティノス(100-165)
著作の「ユダヤ人トリュフォンとの対話」の中で聖書を既に比喩的に解釈している。
❸オリゲネス((185-254)
フィロンの聖書解釈法を採用・発展させ、1つの聖句には3重の解釈が可能であると主張した。
*字義どおりの解釈
*道徳的霊的解釈
*比喩的解釈
彼は文字通りの千年期前再臨説を放棄してキリストの再臨を比喩的に解釈した。
つまりキリスト信者となるときに、キリストがその人の内に臨まれるので、それが再臨であると解釈した。
❹アウグスチヌス(354-430)
2面的解釈を採用した。
*予言の部分は比喩的に解釈する。
*それ以外の箇所は字義どおりに解釈する。
アウグスチヌスほど西方教会に大きな影響を及ぼした神学者はいない。
この聖書解釈法がローマカトリック教会の手法となり決定的なものとなった。
聖書解釈を逸脱させた最大の戦犯である。
❺ 16世紀の宗教改革者たち
聖書の多くの部分を字義どおりに解釈する運動であった。
よって善行ではなく信仰義認、万人祭司主義と言う本来の教理を復活させた。
しかし予言箇所とIsraelに関しては比喩的解釈のままを維持した。
つまりそれはアウグスチヌスによる2面的解釈の継続である。
❻第二世代の宗教改革者たちに聖書解釈の復興の芽生えが見える。
ジョセフ・ミード(1586-1638) :イギリスの聖公会神学者
1世紀から3世紀においての教会歴史の初期の時代は、千年期前再臨説が正統的な信者の間で最も支持を集めたものであった。それは「キリアズム」呼ばれ、多くの教会教父たちが証言するところである。長い間教会史から忘れ去られていたこのキリアズムを採用したのがジョセフ・ミード。
❼特にイギリスにおいて18世紀になるとこのキリアズムの復興が顕著となる。
*神の霊感と聖書の権威に対する信頼が土台である
*健全な聖書研究が広がった
*聖書本文の字義どおりの解釈の結果である
*復興したこの千年期前再臨説はその後20世紀まで続く根本主義運動における主要な役割を果たした。
❽ イギリスで復興したこの千年期前再臨説は、19世紀の第3四半期には米国で広まるようになった。
*D.L.ムーディ
*RA トーレー
*ビリー・サンディ
*ATピアソン
*ABシンプソン
*CIスコフィールド
The influence of Greece in the development of biblical theology and its hermeneutics cannot be overlooked.
Rather, I don't think it's an exaggeration to say that legitimate biblical interpretation has been swallowed up by Greek culture and its philosophy.
Ever since Alexander the Great conquered and united the entire Middle East, with the Mediterranean Sea as an inland sea, Greek culture has surpassed Jewish traditions and culture.
In Alexandria, the largest Jewish city in the Diaspora, the Old Testament was first translated into a foreign language, but it was, of course, in Greek.
The Greek translation of the Old Testament, known as the translation by 70, is still sometimes regarded today as more authoritative and authentic than the original Hebrew Bible, as older manuscripts have been found and maintained.
And the New Testament has been written in Greek from the beginning.
❶ Philon in Alexandria (BC20-BC50)
In interpreting the Bible, he used a method based on Greek philosophy.
In addition, he adopted a metaphorical interpretation to combine Jewish and Greek philosophy.
❷ Justinos the Martyr (100-165)
He has already interpreted the Bible figuratively in his work "Conversations with the Jewish Truffon
❸Origenes (185-254)
Adopting and developing Philon's biblical hermeneutic, he argued that a threefold interpretation of a single verse is possible.
*Literal interpretation.
* Moral and Spiritual Interpretation
*Figurative interpretation
He abandoned the literal pre-millennial second coming theory and interpreted the second coming of Christ figuratively.
In other words, he interpreted it as the Second Coming because Christ will come in him when he becomes a Christ-follower.
❹Augustine (354-430)
He adopted a two-sided interpretation.
The prophetic part is to be interpreted figuratively.
The rest of the passage is to be interpreted literally.
No theologian has had a greater influence on the Western Church than Augustine.
This method of biblical interpretation became the method of the Roman Catholic Church and was decisive.
He was the greatest criminal who deviated from biblical interpretation.
❺ The 16th century religious reformers.
It was a movement to interpret many parts of the Bible literally.
Thus, it revived the original doctrine of justification by faith and all-priestcraft.
But with regard to the prophecies and Israel, it maintained a figurative interpretation.
In other words, it is a continuation of the two-sided interpretation by Augustine.
❻The germ of a revival of biblical interpretation can be seen in the second generation of religious reformers.
Joseph Mead (1586-1638):English Anglican theologian.
In the early years of church history, from the 1st to 3rd centuries, the theory of the pre-millennial second coming was the one that gained the most support among the orthodox believers.It was called "Chiliasm" and is attested to by many of the Church Fathers.Joseph Mead was the one who adopted this Chiliasm, which had long been forgotten by church history.
❼ Especially in England, in the eighteenth century, this revival of Chiliasm became remarkable.
*The inspiration of God and trust in the authority of the Bible are the foundations
* Sound Bible study has expanded.
*It is the result of a literal interpretation of the text.
*The restored theory of the pre-millennial second coming played a major role in the fundamentalist movement that continued into the 20th century.
❽The pre-millennial second coming theory, which had been revived in England, became widespread in the United States in the third quarter of the 19th century.
*D.L. Moody.
RA Torrey
Billy Sandy
AT Pearson
AB Simpson
CI Scofield
本日午後、広大な芝生の公園で息子と1対1のサッカーのゲームをした。
2回戦とも10対3ほどで負けた。
彼の絶妙な足技、その巧みなボールコントロールのトリックに煙に巻かれたようにして抜き去られてしまう。
これを父親の力や権威の失墜と見るか、
息子の成長を喜ぶか、解釈次第である。
高台に着いた時、落日の半分ほどが水平線上に顔を残していた。
夕日を見て1日の終わりに寂寥感を感じるか、
1日を終えた安堵感を抱くか。
これも各人による解釈による。
ユダヤでは聖書時代も今日も、1日の始まりは日没から始まる。
そして翌日の日没でその日が終わる。
安息日とは、金曜の日没から土曜日の日没の24時間である。
iPhoneが使えない数日間、運転中はアナログに戻ってCDを聴いた。
ハーベストタイムミニストリーズによる「聖書解釈の逸脱と回復」(2018年聖書フォーラムキャンプ)。
中川健一先生の講義は、単純な言葉で深いことを突き刺さして歯切れが良い。
「神学とは解釈学である。
解釈学とは神学である」
キリスト教界には、特に終末論において様々な神学がある。
よって解決のつかない泥沼にハマった議論として揶揄されて、政治の世界にも使われてきた。
かつて前小泉純一郎首相が安保法案を審議中の国会で、
「神学論争はしません。常識で行きましょう」といった言葉が思い出される。
なぜ同じ聖書から様々な神学が派出してきたのか。
それは聖書をどう解釈するか、各人がまちまちであるからだ。
各人が感じたことを主観的に解釈するなら、10人が10通りの解釈ができてしまう。
聖書を解釈する際には、踏み外してはならない原則があり法則があると言う。
〜福音的聖書解釈とは〜
①聖書は1人の理性(人格)の作品である。
②約40人の人間の聖書記者がいるが、究極の著者は神である。
③それで正しい聖書解釈が体系的で調和ある神学を生み出す。
④正しい聖書解釈とは字義どおりの解釈である。
⑤字義どおりの解釈の結果生まれてくるのが、ディスペンセーションナリズムである。
___________________________________________________________________
字義どおりの解釈とはどういうことか?
難解なところ、特に預言の聖句はこれまで比喩的解釈が施された。
字義どおりの解釈でなく、比喩的・霊的解釈をどれほど施しているかによって、貴方の正当な神学からの逸脱距離が測られる。
これら最後の3センテンスは、私が独自にまとめたものです。
このセミナーCDから学んだことをしばらく続けて行きます。
This afternoon I played a few games of one-on-one soccer with my son in a huge grassy park.
I lost both games by about 10-3.
His exquisite footwork, his deft ball control tricks, smoked me out and he left me behind all the time.
Do I see this as a loss of his father's power and authority?
Do I rejoice in my son's growth?
It's up to me how to interpret it.
When I reached the high ground, half of the falling sun had left its face on the horizon.
I could look at the sunset and feel a sense of desolation at the end of the day, or
Do I feel a sense of relief at the end of the day?
This, too, is up to each person's interpretation.
In Judaism, in biblical times as well as today, a day begins at sunset, and the next day ends at sunset.
The Sabbath is the twenty-four hour period between sunset on Friday and sunset on Saturday.
For a few days when my iPhone didn't work, I went back to analog world and listened to CDs while driving.
“Deviations and Restoration of Biblical Interpretation" by Harvest Time Ministries (2018 Bible Forum Camp).
Dr. Kenichi Nakagawa's lecture was so crisp, using simple words to pierce the deepest things.
”Theology is hermeneutics.
Hermeneutics is theology.”
There is a variety of theologies in Christian world, especially in eschatology.
It has therefore been derided as a debate mired in an unresolvable quagmire, and has been used in politics as well.
Former Prime Minister Junichiro Koizumi once said in the Diet during the debate on the security bill.
‘We won't have a theological debate.Let's go with common sense.’
Why have so many different theologies emanated from the same Bible?
It's because each person has his or her own interpretation of the Bible.
If each person subjectively interprets what he or she feels, then ten people can interpret it in ten different ways.
When interpreting the Bible, there are principles and laws that should not be overstepped.
~What Is the evangelical biblical interpretation?
(1) The Bible is the work of one GOD reason (personality).
(2) There are about 40 human Bible reporters, but the ultimate author is God.
(3) So a correct interpretation of the Bible produces a systematic and harmonious theology.
⑷Correct biblical interpretation is a literal interpretation.
⑸Dispensationalism is the result of literal interpretation.
___________________________________________________________________ ...
What does it mean to interpret the word literally?
Difficult places, especially prophetic passages of scripture, have been given a figurative interpretation so far.
The amount of figurative/spiritual interpretation applied, rather than literal interpretation, will determine the distance you deviate from the legitimate theology.
These last three sentences are my own summation of them.
I will continue with what I learned from this seminar CD for a while.
今日の夕焼けの画面はいつもよりちょっぴりクリアに見えませんか?
新しいiPhoneに今日から切り替えたのでした。
今までは1つの目(カメラレンズ)でしたが今日からは3つ目となりました。
故障さえしなければ近い倒すつもりでしたが、ウィルスが入ったらしくパワーがオンにならないままに死亡してしまったのです。
アップルショップはソーシャルディスタンスを保つと言うことで入店制限があり、修理のアポが来週にならないと取れないのです。
1週間を携帯電話なしで過ごすことはできません。
しかし携帯電話なし、インターネットなしで過ごしたこの二日間はデジタル・デトックスの良い機会となりました。
SNSでの友人とのやりとりできず、YouTubeでの音楽やセミナーを視聴できず、もちろんメールやメッセージのやり取りもできない数年ぶりの二日間。
夜更かしせずに早く床についたため朝起きができて朝活には申し分なかった。
携帯に支配されずこれをコントロールするにはまだまだ大きな知恵が必要です。
Doesn't today's sunset screen look a little clearer than usual?
I switched to a new iPhone today.
I've had one eye (camera lens), but from today it's my third eyes.
I was going to beat it close if it didn't break down, but it seemed to have a virus and died without power on.
The Apple store has a restriction on entry because they say they will keep a social distance, and I can't get an appointment for repairs until next week.
I can't go a week without my cell phone.
But those two days spent without a cell phone and without the internet have been a great opportunity for a digital detox.
Two days for the first time in years without being able to communicate with friends on social media, watch music or seminars on YouTube, and of course, no emails or messages.
I didn't stay up late and got to the bed early so I could get up in the morning, which was perfect for my morning activities.
There is still a great deal of wisdom to be gained in controlling this without being dominated by my iPhone.
今日の太陽は特別でした。
これまでの夕焼けは太陽の放つ光が雲に照らされてあかね色に染まったのです。
しかし今日の夕日は日輪自体が絶妙な湿度と雲の作用で赤く染まりました。
ここのポイントからは200回以上夕日を眺めていますが、このようなものは初めての経験です。
創造主のなさる事は特に私たちの思いや想像を超えます。
これまでの私どもの経験則や前例の枠に当てはまらないことがあります。
「こういう症状の時はこちらの薬ねー
こういった家庭環境出身の子はこういう対処の仕方ねー
この国民はこういった考え方をするのよねー
キリスト教って結局、数ある宗教の1つよねー
大統領選でこちらの候補者が勝ったら、社会はこういう風になるわよねー
---------////////」
もちろん時代や社会の趨勢や長年から培われた経験則が大まかの結果を推論することが出来るでしょう。
しかし神に関する限り神のなさることを人間の浅はかな論理や経験で型枠の中に押し込めることは愚かな事です。
ですから私たちは他人の評価やこれまでの前例にとらわれることなく神に新たなことを期待するのです。
"「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』"
エレミヤ書 33章2~3節
Today's sun was special.
Previous sunsets had been tinted red by the sun's rays, illuminated by the clouds.
Today's sunset, however, the sun's ring itself was reddish due to the perfect humidity and cloud action.
I've watched the sunset more than 200 times from this point and I've never seen anything like this before.
Sometimes the things the Creator does are beyond our thoughts and imagination.
Sometimes they don't fit our rules of thumb or precedent.
"Here's a pill for these symptoms!
Kids from this kind of family background don't have to deal with things like this.
This is the way these nation’s people think!
Christianity is one of many religions, after all!
This is what society will look like if that candidate wins the presidential election!
---------////////
Of course, it is possible to deduce rough results based on the trends of the times, the trends of society, and the rules of thumb we have developed over the years.
However, as far as God is concerned, it is foolish to confine God's actions to a framework based on shallow human logic and experience.
Therefore, we can expect God to do something new without the judgment of others or the precedents of the past.
“This is what the LORD says, he who made the earth, the LORD who formed it and established it—the LORD is his name: ‘Call to me and I will answer you and tell you great and unsearchable things you do not know.’
Jer.33:2-3
"「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』"
エレミヤ書 33章2~3節
Today's sun was special.
Previous sunsets had been tinted red by the sun's rays, illuminated by the clouds.
Today's sunset, however, the sun's ring itself was reddish due to the perfect humidity and cloud action.
I've watched the sunset more than 200 times from this point and I've never seen anything like this before.
Sometimes the things the Creator does are beyond our thoughts and imagination.
Sometimes they don't fit our rules of thumb or precedent.
"Here's a pill for these symptoms!
Kids from this kind of family background don't have to deal with things like this.
This is the way these nation’s people think!
Christianity is one of many religions, after all!
This is what society will look like if that candidate wins the presidential election!
---------////////
Of course, it is possible to deduce rough results based on the trends of the times, the trends of society, and the rules of thumb we have developed over the years.
However, as far as God is concerned, it is foolish to confine God's actions to a framework based on shallow human logic and experience.
Therefore, we can expect God to do something new without the judgment of others or the precedents of the past.
“This is what the LORD says, he who made the earth, the LORD who formed it and established it—the LORD is his name: ‘Call to me and I will answer you and tell you great and unsearchable things you do not know.’
Jer.33:2-3
「それは朝ごとに新しい」
〜今朝のデボーションから〜
①この朝も刷新されて[新たな気づき]
目覚めてから呼吸法やストレッチ、そしてレモン水を飲み運動。
いつもの朝のルーティンが始まった朝。単調でマンネリを感じた朝ではあったが、
散歩すれば、空気が新鮮なのと、木立の葉がすでに紅葉しているのに気づいた。
私たちは今日1日のために、またこの瞬間のために新しい恵みが必要です。
私たちの創造主が溢れるばかりの恵みを今日も注いで下さるのです。
②今滅ぼされずに生き延びたではないか[現実を見よ]
この哀歌を残したエレミヤはエルサレムがバビロンによって蹂躙され、老若男女問わず惨殺され、おぞましい現実を目のあたりにした。しかし一握りのものが残されまた捕囚となって連れていかれた。そこにも主の哀れみを見出した。愚かさと罪のゆえに悩みと裁き、呪いにさらされているものであったとしても、今ここに生きているのは、主に生かされているゆえである。
③主の真実は力強い[信仰の根拠を確認せよ]
暗闇に光を待ち望み、新しい朝を待望するのはなぜか。その根拠はどこにあるのか。
自分自身の内にある信心深さによるのか。だとしたらなんとも頼りない。
朝毎に刷新される主の恵みの約束の根拠は、主ご自身の真実によるもの。
主はご自身の命を賭して約束された。
「我が子よ。
わたしがあなたを贖ったのだ。あなたの罪は赦されている。
わたしの命をあなたに与える。あなたは永遠の家に招かれている」
主ご自身の血潮を持って締結された契約が破棄される事は無い。
たった今、オリンピック山脈は朝日を受け、その不動の勇姿を現してくれている。
10日間のアリゾナ・ユタ・モンタナ・アイダホでのキャンプ生活とロードトリップからの帰り道にある娘たちは昨夜、初めてホテルのベッドで一夜を過ごした。キャンプサイトが既にいっぱいだったので深夜過ぎの午前1時半にホテルに駆け込んだのだった。しばらくぶりの快適なベッドで活力を取り戻した彼らは今日、約5時間のドライブで帰宅してくる。
イエローストーンでは野生動物にこんな近くまで近づいて大丈夫なのかとハラハラする写真を送ってきた。
今朝、息子が自分で作った朝食。
食材はすべてヴィーガン。
シリアルに牛乳を注ぐだけの事しかできなかった息子が、ここまで生きるスキルを身に付けた。
まことに主の真実は力強い。
私たちそれぞれに新しい恵みと生きる力とを今日も与え、支えておられる。
"私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを心に思い返す。それゆえ、私は言う。
「私は待ち望む。
主の恵みを。」
実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は偉大です。
主こそ、私への割り当てです」
と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。"
哀歌 3章19~24節
It's new every morning.
〜From this morning's devotional note
This morning was also renewed [new awareness]
Waking up, breathing exercises, stretching, and drinking lemon water and exercising.
As every morning my usual morning routine began.It was a morning that felt monotonous and rutted.
As we walked, however, I noticed that the air was fresh and the leaves in the grove were already changing color.
We need new grace for this day and for this moment.
Our Creator is pouring out His overflowing grace today.
(2) You have survived not to be destroyed now [look at the reality].
Jeremiah, who left this lament, saw the horrific reality of Jerusalem being overrun by Babylon and slaughtered, young and old, men and women alike.But a handful were left behind and taken into captivity.There, too, he found the Lord's compassion.
Even though we were subjected to troubles and judgments and curses because of our foolishness and sins, we are still alive here because the Lord has made us alive.
(3) The truth of the Lord is powerful [confirm the basis of your faith].
Why do we wait for the light in the darkness and long for a new morning?
What is the reason for this?
Does it depend on the faithfulness within ourselves?If so, it's not very reliable.
The basis for the promise of His grace to be renewed in the every morning is due to the truth of the Lord Himself.
The Lord has promised it at the risk of His own life.
'My child,' he said, 'I have redeemed you.
I have redeemed you.Your sins are forgiven;
I give you my life, and you shall have it.You have been invited to your eternal home.’
The covenant made with the Lord's own blood will not be broken.
Right now, the Olympic Mountains are catching the morning sun and revealing their steadfast statue.
My daughter and one family member, on their way back from a 10-day camping and road trip in Arizona, Utah, Montana and Idaho, spent the night in their hotel bed for the first time last night.
They rushed to the hotel at 1:30 a.m., because the camp site was already full.They'll be making the five-hour drive home today, having not had a comfortable bed in a while.
In Yellowstone, they sent me a picture of a wild animal that made me nervous, wondering if it was safe enough to get this close to it.
My son made his own breakfast this morning.
All the ingredients are vegan.
My son, who could only pour milk on his cereal, has developed the skills to live so far.
Truly the Lord's truth is powerful.
He gives each of us new blessings and strength to live and sustains us today.
“I remember my affliction and my wandering,
the bitterness and the gall.
I well remember them,
and my soul is downcast within me.
Yet this I call to mind
and therefore I have hope:
Because of the LORD’s great love we are not consumed,
for his compassions never fail.
They are new every morning;
great is your faithfulness.
I say to myself,
“The LORD is my portion;
therefore I will wait for him.””
Lam. 3:9-24
息子の日、おめでとうございます。
先日の娘の日に続いて今日が息子の日だそうです。
息子は魁(kai)といいます。
それはパイオニアであり秀逸したもの、と言う意味です。
私のような者からこのようなクールで優しくて、そして平衡感覚に富んだ息子が与えられていることに感謝し、神の聖名を崇めます。
Happy National Son's Day!
Today is son's day, just like the daughter's day the other day.
My son is called "kai", which means "pioneer and superior" in Japanese KANJI letter, 魁.
I am thankful and adore God's holy name for giving us such a cool, kind, and balanced son from someone like me.
ここ数日間シアトルでは雨が降り、1週前の山火事のときの煙は一掃されました。特に2日前シアトルから南に1時間ほどの所では激しい豪雨となって、運転中危険を感じたほどです。
おかげさまで空気も澄んで見ごたえある夕日が戻ってきました。
サンフランシスコのロックダウンは先週解除され、店舗には許容収容人数の半数を入店出来るのだそうです。
ところが友人の話によると人々は感染を恐れて市内までは足を運ばず、相変わらず閑散としてるのだそうです。
そこでどの小売店も半数どころか1割〜2割ほどの顧客しか来店しないとの事。
人々の心を覆っている恐れの霧が晴れるのはまだまだ先のようです。
It's been raining here in Seattle for the past few days, and the smoke from the wildfires a week ago has been cleared away.It rained so hard that I felt unsafe while driving, especially about an hour south of Seattle two days ago.
Thanks to this, the air has cleared up and the sunsets have been spectacular.
The lockdown in San Francisco was lifted last week and the stores are now able to hold half of their allowable capacity.
But my friend tells me that people aren't going into the city for fear of getting infected, and it's as quiet as ever.
So, all the retailers are only seeing about 10-20% of their customers, not even half.
It seems that the fog of fear that has been hanging over people's minds is still a long way off.
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