「良い羊飼いなる主」
10月
24日
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「良い羊飼いなる主」
ヨハネの福音書 10章7~15節
"そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。
ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。"
(1)個別理解を持つ方
①個人名を呼ばれた(3)
福音のメッセージを聞いて反応できた理由。
主に名前を呼んでいただいたから。
②なぜなら私を知っておいでになられるゆえに(14-15)
父とイエスの関係レベル程に私たちをご存知であられる。
さらに私たちもまたそのレベル程に主を知り得るようになる。
(2)命を捨てられた方(11)
①雇い人との違い〜命を捨てる覚悟があるかないか。
便益のために羊を管理するのが雇い人。
② 命を捨てた羊飼い〜歴史的事実
主は言葉だけでなく実行された。
⑶羊の祝福のために存在している方(10)
①名を呼ばれ、自ら命を犠牲にされ(18)、そして復活された(18)のは、私たちが命を得るため。
その命とは神的な命、ヨハネ流には「永遠の命」。
②さらに豊かに持つため(10)
クリスチャンの成長とはすなわち命の漸進的な充実。
(結論)
"主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。"
詩篇 23篇1~3節
主はご自身の命を捨ててまで私どもを生かし、緑の牧場と憩いの水のほとりにまで導かれる方である。この真の羊飼いになる方の声を聞け分けよう。