Akemiの日本舞踊の師匠である大野メリー先生が地元コミュニティ新聞の一面を飾っています。
彼女の父君が終戦直後の日本で約10年間、「カムカムエブリバディー」と言うラジオ英語放送で一生を風靡したのです。
その彼とご家族の様子がこの秋からNHK朝の連続テレビ小説で取り上げられることになっています。
お父様の平川氏役には、さだまさしさんが抜擢されたそうです。昨日あたり日本で発表されたようですので、ここでも公表してしまって良いかと思います。もし違っていたら読まなかったことにしておいて下さい。笑。
歌手のさだまさしさんて俳優の経験あるんでしょうか?英語を話せるのでしょうか?
平川氏の写真を見るに、確かに姿骨格は似ていらっしゃいますよね。
娘がメリー先生に師事してからすでに約4ヶ月ほどが経ちます。なんだかすごい先生に当たってしまったみたいですね。
現在75歳のメリー先生はあと10年間は続けたいとおっしゃっておられるので、今後とも娘をビシビシとやまとなでしこに鍛え上げていただきたいです。
余談ですが、正面のメリー先生と愛猫の三平ちゃんの写真は私が撮りました。この三平ちゃんは大のいたずら好きで時に私の足を引っ掻いてきます。
稽古中にウロウロするものだからメリー先生からは、「三平、ウロウロすると三味線の皮にしちゃうわよ」なんて声も飛び交っています。
Akemi's Japanese dance teacher, Mary Ohno, is on the front page of the local community newspaper.
Mary’s father was a radio broadcaster in Japan right after the end of the war, and for about 10 years he dominated the country with his radio show "Come Come Everyday".
The story of him and his family will be featured in an NHK morning TV series starting this fall.
Mr. Masashi Sada has been chosen to play the role of his father, Mr. Hirakawa. It seems to have been announced yesterday in Japan, so I think it's okay to announce it here as well. If I'm wrong, please pretend you didn't read it. LOL.
I wonder if the singer Masashi Sada has any experience as an actor? Does he speak English?
Looking at Mr. Hirakawa's photo, he certainly have a similar figure structure.
It's already been about four months since my daughter has been studying with Mary-sensei. It seems that she has found a great teacher.
Mary-sensei, who is now 75 years old, has said that she would like to continue her teaching for another 10 years, so I hope she will continue to train my daughter to be a Yamato Nadeshiko.
As a side note, I took the picture of Mary Sensei and her cat Sanpei in the front. Sanpei is very mischievous and sometimes scratches my feet.
She sometimes scratches my feet, and because she wanders around during lessons, Mary-sensei often says to her, "Sanpei, if you keep wandering around, you'll end up with shamisen skin.”
息子のストリートまで行ってきました。
彼のミドルネームがモントゴメリーといいます。
ここの通りで仕事をしている私の友人がカリフォルニア・グラントに当選して5000ドルを得たと教えてくれました。
グラントですから返済不要の約50万円ほどの臨時収入を得たことになります。
カリフォルニア州に住所のある人なら誰でも応募できて、予算が許される限り抽選で選ばれるのです。
それでも昨年1年間で約2万ドルの減収ですから、喜んでばかりはいられないとのこと。
実は私もワシントン州でのグラントに応募したのですが、何もお知らせがないので落選したんだろうと思います。
中華街入り口にあるドラゴンゲートの側にあるレストランでランチを摂りました。
シアトルと違ってこうして僅かながらも店内営業してるレストランがあるのは助かります。
I went to my son's street.
His middle name is Montgomery.
A friend of mine who works on this street told me that he won a California Grant of $5,000.
Since it's a grant, it's an extra income of about 500,000 yen that doesn't have to be repaid.
Anyone with an address in California can apply for the grant, and it is chosen by lottery as long as the budget allows.
Even so, he can't be all that happy about it, since the revenue decreased by about $20,000 over the last year.
Actually, I also applied for a grant in Washington State, but I haven't heard anything about it, so I guess I was not selected.
I had lunch at a restaurant by the Dragon Gate at the entrance to Chinatown.
Unlike Seattle, it's nice to have a few restaurants like this that are open for indoor.
私の息子と同学年の息子さんのいるご夫妻と話す機会がありました。
その息子さんはバスケットに夢中で、このパンデミック期間中は学校や地域のチームはすべて閉鎖されているため、個人経営のクラブチームで練習しているそうです。
さらに他の個人経営のジムにも体力養成のために通っていて週にほぼ毎日、学校はないものの、通うジムがあるとのことです。
私の息子の属している地域サッカーの練習も試合もここ1年、全てキャンセルされた話をすると意外なこととして驚かれました。
サンフランシスコでのバレーやバスケなど体育館内でのスポーツは学校や地域で禁止されているが、サッカーなどの屋外スポーツは許可されているとのことです。
そりゃそうですよ。
どう見たってそれが理性的な正しい判断でしょう。
野外で他の選手の吐息や唾液からウィルス感染する確率の低さを冷静に考えてみてもらいたいものです。
そもそも選手自身に他者に感染させるだけのウィルスを保有している確率の圧倒的低さ。
万一ウィルスを保有している選手がいるとして、スポーツ活動している健康な10代が重篤化する確率の低さは限りなくゼロに近いはずです。
練習や試合で怪我のために入院や死亡する確率の方が大きい。
先も息子とシアトルのある公園で2人だけのサッカーをしたとき、小学生サッカーチームが隣で練習を始めた。
大人のコーチも小学生も全てマスクをしている。あんな顔半分覆いながらどうやって息できるんだろう、どうやって楽しめるんだろう??
マスクなんて必要ないよー、と大きな声で叫びたかったけど、その声は既に多くの情報によって操作され恐れに支配されている彼らコーチには届かないでしょう。
サンフランシスコは坂の上に建てられた街です。時に住宅街の真ん中に断崖絶壁の岩肌がそそり立ってるのを見つけることができます。その絶壁のすぐ下が児童公園となっているのですが、入り口は封鎖されていて使用禁止となっていました。
I had a chance to talk with a couple whose son is in the same grade as my son.
They told me that their son is crazy about basketball and practices with a private club team since all the schools and local teams are closed during this pandemic.
He also goes to other private gyms for physical training, so almost every day of the week, although there is no school, there is a gym he goes to.
When I told them that my son's local soccer team had cancelled all practices and games for the past year, they were surprised.
He told me that in San Francisco, sports in the gym such as volleyball and basketball are prohibited by the school and the community, but outdoor sports such as soccer are allowed.
Well, that's true.
That's the rational and correct decision, no matter how you look at it.
I would like you to calmly consider the low probability of contracting a virus from the breath or saliva of other athletes in outdoors.
In the first place, there is an overwhelmingly low probability that the athlete himself possesses a virus that can infect others.
Even if an athlete does have the virus, the probability of a healthy teenager playing sports becoming seriously ill should be close to zero.
The odds of hospitalization or death due to injury at practice or a game are much greater.
The other day, when my son and I were playing soccer alone in one of the parks in Seattle, an elementary school soccer team started practicing next to us.
All the adult coaches and elementary school kids were wearing masks. I wondered how they could breathe or have fun with their faces half covered like that.
I wanted to shout out loud, "You don't need a mask!" but that voice would not reach these coaches who were already manipulated by so much information and controlled by fear.
San Francisco is a city built on a hill. Sometimes you can find a sheer rock face in the middle of a residential area. Just below the cliff is a children's park, but the entrance was blocked off and it was forbidden to use it.
今日のサンマテオ地区は1日中雨でした。
室内営業をしているレストランを見つけるのが一苦労なのですが、ダウンタウンの4番街にある地中海食レストランをランチに運良く発見。
ベイエリアで体験した地中海食レストランにはハズレがありません。
今回もサクサクのエビと程良い味付けのサラダ、そしてライスも香ばしい甘みが乗っていてVery Good。
残念な日本食レストランがある中で、地中海食にはハズレがない。
その理由として、その地中海沿岸域からの移民がシェフをしてくれているからなのか、それともベイエリアの気候が地中海性気候だからなのか?
It was raining all day in the San Mateo area today.
It was hard to find a restaurant that was open indoors, but I lucked out and found a Mediterranean restaurant on 4th Street downtown for my lunch.
I've never had a bad experience at a Mediterranean restaurant in the Bay Area.
The crispy shrimp, well-seasoned salad, and rice were all very good with a savory-sweet flavor.
While there are some disappointing Japanese restaurants, there is nothing wrong with Mediterranean food here.
Is it because the chefs are immigrants from the Mediterranean region, or is it because the Bay Area has a Mediterranean climate?
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「ハンナの祈り」
サムエル記 第一 2章1~10節
"ハンナは祈った。「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。
主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。
おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。
勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。
満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。
主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。
主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。
主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。
主は敬虔な者たちの足を守られます。しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。
主は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果ての果てまでさばかれます。主が、ご自分の王に力を与え、主に油注がれた者の角を高く上げてくださいますように。」"
注ぎ出した祈り(1:15)
心にある事をそのまま持ち出した(16)
1点に集中した祈り(1:13)〜空想、仮説、幻想は追い払わねばならない
(2) 応答後に真実を貫いた祈り
①約束事を実行した(1:26-28)
②恵みを受けて祈りが答えられたときの私どもの姿勢はどうだろうか
⑶祈りの対象を人格的に把握した祈り〜異教は祈りの所作に重点を置く
①主は全てをご存知の方(2:3)
〜ハンナが社会的制裁を受け、いじめられていることもその心の痛みも
②主は全てを支配したもうお方(2:6-8)
〜この世界での生死与奪の権ばかりでなく、永遠の世界の審判者でもある
③主は報いたもうお方(2:10)
〜すべての人それぞれに公正な裁きを与え、信者に報酬を与えられる
油注がれた者=キリスト
角とは権威と力の象徴。キリストによる王国成就の預言であり、またキリストにあるもの共同相続人預言(2:1)でもある。
(結論)
私たちの祈りは、注ぎ出したものか。
応えられたと言ってそこで終わっていないか。感謝の生贄を捧げられているか。
祈りの所作や形式ではなく祈りの対象を人格的に捉えているだろうか。
東日本大震災から10周年を迎えました。
昨日から何かポストしようとしているのですが、言葉をうまく紡ぎ出すことができないのです。
何度か書き始めてはそれを消したり、言葉に詰まったり、書けないままの数分間、沈黙のまま涙が出てきたり、、、
あの悲劇と惨状、その後人々の言い尽くせない試練と苦難、、、
目の前で愛する家族が津波に飲まれて行く、そんな現実がこの世にあって良いのでしょうか。
震災の3ヶ月後に家族とともに訪れた石巻。1階部分の家屋は街ごとすべて破壊し尽くされたまま、街にはまだガスと生臭い異臭が充満していました。
下校準備中の小学生らを丸ごと飲み込んだ大川小学校の校庭に立った時、言葉を失って唯立ち尽くす他なかったです。
同行していた小学生の我が子らが、もしそのような災難に遭ったとしたら、私はその後に生き行く望みは1センチもなかったはずです。
山々に囲まれた入江の雄勝町。津波に襲われた町は丸ごと海の中にさらわれて行きました。ビルディングの屋上には流されたバスが3分の1ほどの車体を空中に浮かせたまま放置されていました。その無人となった町の中を走行しながら、助手席の家人がそこにあったはずの一つ一つの家庭が破壊されたリアルに号泣していたことが、つい数ヶ月前の事のようです。
そこには確かに地獄がありました。
同時に、被災者の助け合いや譲り合い、人々の絆に、世界中の人々を驚かせた東北の人々が持つ光の部分も明らかとされました。
さらに世界中から届けられた温かい支援と祈りを私たちは忘れません。
今なお不自由な避難生活を送られている被災者の方々の霊肉の支えを祈り申し上げます。
そして協力を惜しまずに届けてくださった世界の皆さん、ありがとうございました。
The 10th anniversary of the Great East Japan Earthquake has come yesterday.
I've been trying to post something since yesterday, but I can't seem to get the words out.
I've started to write several times and then erased them, I've been at a loss for words, I've been unable to write for several minutes, and I've been crying in silence...
The tragedy and devastation, the unspeakable trials and tribulations of the people afterwards...
How can there be such a reality in this world when our loved ones are being swallowed up by the tsunami right in front of our eyes?
Three months after the earthquake, I visited Ishinomaki with my family, where all the houses on the first floor had been destroyed, and the city was still filled with gas and foul smells.
When I stood in the schoolyard of Okawa Elementary School, which had swallowed up all the elementary school students preparing to leave for school, I was speechless and could do nothing but stand there.
If my children, who were in elementary school with me, had suffered such a disaster, I would not have had an inch of hope of surviving.
The town of Ogatsu is located in an inlet surrounded by mountains. When the tsunami struck, the entire town was swept away into the sea. On the rooftop of a building, a bus with about a third of its body floating in the air was abandoned. As we drove through the uninhabited town, it seemed like only a few months ago that a family member in the passenger seat was weeping at the reality of the destruction of each and every home that should have been there.
There was indeed a hell there.
At the same time, the light side of the people of Tohoku was also revealed, as they surprised people all over the world with their mutual help, sharing, and bonding.
We will never forget the warm support and prayers from all over the world.
We are praying for the spiritual and physical support of the victims who are still suffering from the crippling evacuation.
Thank you to everyone around the world for your generous support.
ここ数ヶ月間で初めてオリンピック山脈が全容を現してくれました。数百マイルも遠く離れている山容が、ここまでくっきり見える事は冬季には珍しいことです。
この日の午後になると、シアトルの空には薄い雲が再び広がり、再び山山はそれに隠れてしまいました。
遠い世界の気象を私たち人間はコントロールできません。
パンデミックに対応する政府や企業の施策にも、1個人としてはそれに翻弄せざるを得ないでしょう。
シアトルと日本を結ぶ航空便では、JALがこの3月で運行再開を始めました。しかし以前のような毎日就航ではなく、週に3回ほどの直行便での運行再開です。
ANAでは通常運行再開は来月中旬まで待たねばならないようです。
本日、神奈川県知事を東京都知事が欺くような形で緊急事態宣言の延長を決めたとかの報道に接しました。
私たちは遠い世界への力は及びませんが、すぐ近くにいる人たちと楽しんじゃえば良いんですよね。
今日も踊りのお姉さんは、着物を着こなし、お琴を演奏しながら私どもを迎えてくれました。夕食まで振る舞ってくれてありがとさまです。
彼らが夕食準備をしている時でした。私が満身の力を込めても、ある瓶のスクリューキャップを開けることができないことがありました。
脳の血管がブチ切れる位に満身の筋肉を使ったのです。お姉さんがその瓶を取り上げた時は、彼女にできるわけないと、皆さんもわかっていただけるでしょう。
しかしお姉さんは難なくと蓋を開けてしまったのです。
やはり魔女だった。
For the first time in months, the Olympic Mountains came into full view. It is rare in the winter to see the mountains so clearly from hundreds of miles away.
Later that afternoon, thin clouds reappeared in the Seattle sky, once again obscuring the mountains.
We humans have no control over the weather in distant worlds.
As individuals, we are at the mercy of the government's and corporations' measures to deal with pandemics.
As for flights between Seattle and Japan, JAL started to resume service in this March. However, it is not a daily service as before, but a direct service about three times a week.
It seems that ANA will have to wait until the middle of next month to resume normal service.
Today, I heard that the governor of Tokyo decided to extend the emergency declaration in a deceptive manner to the governor of Kanagawa Prefecture.
We can't reach the distant world, but we can have fun with those who are close by.
Today, the dancing lady welcomed us again, dressed in a kimono and playing the koto (Japanese harp). Thank you very much for serving us dinner.
It was while they were preparing dinner.
There was a time when I could not open the screw cap of a bottle even with all my strength.
It took every muscle in my body to burst a blood vessel in my brain. When she took the bottle away from me, you could tell that there was no way she could do it.
But she opened the lid effortlessly.
I knew she was a witch.
娘の日本舞踊の師匠は、地域の日系コミュニティー新聞から先日、インタビューを受けたことをお話しくださいました。
彼女の亡きお父様は、平川唯一さんと言われ、「カムカム・エブリバディー」のブロードキャスターだったのです。
それは、大戦後の混乱期を生きた人には良く知られているラジオ英語教育番組のようです。
インターネットはもちろんテレビもなかった当時、ラジオが唯一の公共放送で、人々は英語学習のために毎日15分間、平川さんが教える生の英語放送を楽しみにしていたようです。食糧事情にも乏しかった当時の娯楽でもあり、また明日への希望を与える英語教育として親しまれていたそうです。
戦後の1945年から10年間続いた人気ラジオ番組でした。平均視聴率が22%と言いますから、驚異的な数値です。
日本では、この秋から朝のNHK連続ドラマ番組でこの平川さんとその家族の物語が取り上げられる事となりました。
踊りの師匠であるメリー先生は、そのラジオ放送が始まったほとんど同時期の45年の11月に平川家にお生まれになっています。
さらに、これはよく知られていないことなのですが、平川氏は、天皇が終戦を国民に告げた玉音放送を英訳されました。その上で全世界に向けてこれをラジオ放送したのだそうです。
これらの彼女の家庭のことが、連続ドラマではどれほど取り上げられるでしょうか。
我が家にはテレビは無いのですが、この朝ドラ放送のためにテレビとTVJapan放送を準備しないといけないかなぁ、なんて思っています。
My daughter's Japanese dance teacher told us about a recent interview she had with the local Nikkei community newspaper.
Her late father, known as Hirakawa, was a broadcaster on “Come Come Everybody”.
It seems to be a radio English education program well known to those who lived through the confusion of the post-war period.
At that time, when there was no television, let alone the Internet, radio was the only public broadcasting system, and people looked forward to the daily 15-minute live English broadcasts taught by Mr. Hirakawa to learn English. In those days, when food was scarce, the radio was a source of entertainment, and it was also a popular source of English education that gave people hope for tomorrow.
It was a popular radio program that lasted for 10 years after the war, starting in 1945. The average listening rating was 22%, which is an astounding figure.
In Japan, the story of Ms. Hirakawa and her family will be featured in a morning drama series on NHK starting this fall.
Ms. Mary, the master of the dance, was born in the Hirakawa family in November of 1945, almost the same time the radio broadcast started.
Another little known fact is that Mr. Hirakawa translated the Emperor's announcement of the end of the war into English. He then broadcasted it to the whole world on the radio.
I wonder how much of these things about her family will be covered in the drama series.
I don't have a TV at home, but I'm thinking that I should prepare a TV and TVJapan for this morning drama broadcast.
何事も諦めてはならない。
曇り空の写真は、本日日没前の30分ぐらい前に撮影したもの。
この日も夕日を見ることはできないと判断して、せめてわずかな赤色を求めて高台に出て撮影したもの。
その30分後、息子から夕日を見ろ、との緊急メッセージ。
高台に再度登ってみると、見事にあかね色に染まった夕焼けが広がっている。感動。
昨日シアトルダウンタウンにある日本国領事館に行った。
領事館が入居しているはずのユニオンビルディングの入り口は封鎖されていた。しかもGoogleに出てくる領事館の住所は、隣のブロックに変更されている。その入り口も封鎖されていて、どこ回ってもドアはロックしていた。
ぐるぐるとブロックを早足で歩きながら入り口を探す。
総領事館に2回も電話してメッセージを残した。
この日のアポイントメントを取り付けるのに3週間待たされたのだ。数分でも遅刻ゆえに門前払いを食ったら春の日本行きが台無しになる。娘のパスポート取得のために、その誕生日に合わせて、10年間有効のパスポートを申請のための、この日だったんだ。
すると、ロックされているドアの内側から出てきた紳士が、1つのドアを指して入り口を教えてくれた。そこは出口専用と書いてあるのに、そこしか入りようが無いらしい。
領事館の職員によると、2年ほど前にこのコンベンションセンタービルディングの中に引っ越したのだと言う。
それを知らずにだいぶ探し回ったことを話しした。
アポイントメント前に窓口まで到着できたが、たとい数十分遅れても、受付はしてくれると話してくださった。
それもそのはずでしょう。
その日は5件しか旅券申請者の予約がないのに、1日の業務時間をたった5件のためだけに当てているユルユル行政サービスの実態を見てしまった。ちなみに私の申請時間は15分以内で終わった。
それならアポイントメントを数週間先にせずとも良かったのでは?
以前の領事館では、行政サービスの部屋から廊下反対側に日本文化広報室があって、その中で時を過ごすのが楽しみだった。
新しい引っ越し先に、そのような広報の部屋がなくなったのは、予算削減のためでしょうか。
とにかく懸案だったパスポートの申請が無事終了。
何事も、障害にぶつかり焦ることがあっても、諦めてはならないと改めて知った。
We must not give up on anything.
The cloudy sky photo was taken about 30 minutes before sunset today.
I knew I wouldn't be able to see the sunset this evening, so I went out to the high ground to get at least a glimpse of red.
Half an hour later, I received an urgent message from my son, telling me to watch the sunset.
I climbed up to the place again and found the sunset beautifully tinted in red. I was impressed.
Yesterday, I went to the Japanese Consulate in downtown Seattle.
The entrance to the Union Building, where the consulate is supposed to be located, was blocked off. Moreover, the address of the consulate on Google has been changed to the next block. The entrance to the building was also blocked off, and the doors were locked everywhere I turned.
I walked around the block in circles at a fast pace to find the entrance.
I called the consulate twice and left messages.
I had to wait three weeks to get an appointment for this day. If I were to be turned away because I was even a few minutes late, my spring trip to Japan would be ruined. This was the day I needed to apply for my daughter's passport, valid for 10 years, to coincide with her birthday.
Then a gentleman came out from inside the locked door and pointed to one door and told me the entrance. It was marked for exits only, but it seemed to be the only way in.
According to the consulate staff, they moved into this convention center building about two years ago.
I told her that I didn't know that, and that I had looked around for a long time.
I was able to get to the counter before my appointment time, but she told me that even if I was a few minutes late, they would still accept me.
I guess that's just as well.
They had only five appointments for passport applicants that day, but I saw the reality of the government service that allocates a day's work time for just five cases. Incidentally, my application took less than 15 minutes.
If that's the case, you didn't need to make appointments weeks in advance, did you?
In the previous consulate, there was a Japanese culture and public relations room on the other side of the hallway from the administrative services room, and I looked forward to spending time in that room.
I wonder if it is due to budget cuts that the new place they moved to no longer has such a public relations room.
Anyway, the pending passport application was completed successfully.
I learned once again that you should never give up on anything, even if you run into obstacles and get impatient.
20年前の本日、私の人生は一変しました。
1人の女性に加えてもう1人、我が子と言う守るべき存在が加わったのです。
それは、単純に責任が2になっただけのものではなく、父となったこと。それまでにはなかったあり方の質的変化を感じました。
そしてこの子は、どのような大人になるのだろう?との漠然とした想い。
この7300日の毎日、あなたは私の暗闇を照らし、世界を明るく彩り、美しく成長されたのです。
明美ちゃん、20歳の誕生日おめでとう。
Twenty years ago today, my life changed forever.
In addition to one woman, I now had another person to protect, that’s my first child.
It was not simply a matter of having two responsibilities, but of becoming a father. I felt a qualitative change in my way of being that I had never felt before.
And what kind of adult would this child become?
I wondered such question in my heart on that day.
Every day for the past these 7300 days, you have illuminated my darkness, brightened the world, and grown up beautifully.
Happy 20th birthday, Akemi.
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ