今年の読書(70)『神域』真山仁(文春文庫)
11月
16日
アルツハイマー病の特効薬と期待される奇跡の細胞「フェニックス7」が、世界的なIT企業を一代で築き上げた「氷川」の助力を得ることに成功した「篠塚」と「秋吉」の2人の日本人研究者によって開発されつつありました。それは、不可能とされた脳細胞を再生させる画期的な発明となるはずだでしたが、高血圧や糖尿病などの疾患で起きる副作用がネックとなり、実用化はまだ無理な段階でした。
そんな折に、認知症を患った高齢者が相次いで行方不明となる「事件」が発生。2・3カ月後に遺棄死体で発見される事例が相次ぎ、所轄の警察は捜査に乗り出しますが、思いもよらぬ事実が浮かび上がってきます。
綿密な取材に基づいたリアルな描写と、巧妙なストーリーテリングは、いま正に起きている問題の核心に迫ります。
最先端の再生医療につきまとう倫理問題、超高齢化社会の深刻な現実を突きつける介護問題、新薬開発をめぐる巨大な利権問題、それを奪い合う国際間の熾烈な競争。図らずも、新型コロナウイルスの感染拡大と治療法をめぐって浮き彫りになった課題や医学界の構造的な障壁ともリンクする内容となっているのに驚きます。
「再生医療は救世主か。悪魔か。」と帯にも書かれていますが、もしも、副作用や未知のリスクなどのマイナス要因があったとしても、そこに一類の望みを期待する患者や家族に対して「ノー」とつきつけられるのか? この小説が提示するのは、まさに生命に対する究極かつ苦渋の選択です。「氷川」は自らのアルツハイマーを治すべく巨万の資金を提供、「篠塚」はアルツハイマーを患った祖母の現状を子供心に目撃、何もできない医療学者の父を軽蔑して臨床医となり新薬の開発に情熱を傾けています。
医薬品としての開発は「スピード」か「安全」かの問題も興味深く読めました。物語の中では、せっかく日本人が開発した「フェニックス7」について、日本での認可のスピードが遅いために「実用化の甘い汁」をアメリカに奪われそうになります。研究者としては治験許可がすぐ出るアメリカに研究を移すのもうなづけます。
人類として脳科学の探求と治療は、神の領域と割り切れるものではなく、尽きることのない研究とジレンマの両輪で我々の目の前を疾走し続ける問題を考えさせられる519ページでした。